2011年8月31日水曜日

雨の蛙のみんなとんでゐる

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―四方のたより― 大塔村星の国

後醍醐の皇子護良親王が拠った大塔宮にその名を由来する大塔村は、地図上ではすでに姿を消してしまっている。
旧大塔村は、隣接した吉野郡西吉野村とともに、’05年9月、五條市に合併編入されていたのだ。現在は五條市大塔町。
その大塔町にある星の国へ、二日つづきの晴天に満点の星空など子どもに鑑賞させてやれればと、昨夕、家族とともに車を走らせた。
ところが出かける頃から、夕空には雲がちらほらとと目立つようになってきた。午後7時にはまだ少し間のある頃、目的の地に着いたが、暮れかかった空は雲にさえぎられわずかにしか望めない。

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正面円形の建物は道の駅「吉野路大塔」、右の坂が星の国へのアプローチ。

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坂を登っていくと左右にいくつかのドーム付バンガローやログキャビンが配され、登りきった辺りに天文台、その奥手にロッジがある。

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天文台に入って望遠鏡を覗くも、まったく星は見えず、やむなくプラネタリウムへと移動、スクリーンでの星座鑑賞と相成ってしまった。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-234

8月31日、曇后晴。4時半起床、朝食7時、勤行8時、読書9時、散歩11時、それから、それから。‥‥
裸体で後仕舞いをしてゐたら、虫が胸にとまつた、何心なく手で押へたので、ちくりと螫された、蜂だつたのだ、さつそく、ここの主人にアンモニヤを塗つて貰つたけれど、少々痛い。
駅まで出かけて、汽車の時間表をうつしてくる、途上で野菜を買ふ、葱1束2銭也-この葱はよくなかつた-。
川棚から小郡へきた時、私の荷物は三個だつた、着物と書物とで岳行李が一つ、蒲団と机とで菰包みが一つ、外に何やら彼やらの手荷物一つである、ずいぶん簡単な身軽だと思つてゐたのに、樹明兄は、私としてはそれでも荷物が多過ぎるといふ、さういへばさうもいはれる。
ざーつと夕立がきた、すべてのものがよろこんでうごく、川棚では此夏一度も夕立がなかつたが。
午後、樹明さんが黒鯛持参で来訪-モチ、銘酒註文-、ゆつくり飲む、夕方、山口まで進出して周二居を驚かす、羨ましい家庭であつた、理解ある母堂に敬意を表しないではゐられなかつた。
そけから-、それからがいけなかつた、徹宵飲みつづけた、飲みすぎ飲みすぎだ、過ぎたるは及ばざるにしかず、といふ事は酒の場合に於て最も真理だ、もう酒には懲りた、こんな酒を飲んでは樹明さんにすまないばかりでなく世間に対しても申訳ない、無論、私自身に対し、仏陀に対しては頭を石にぶつけるほどの罪業だ。
我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、従身語意之所生、一切我今皆懺悔、
―ほんとうに、懺悔せよ。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―函館、トラビスチヌ修道院-’11.07.24


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2011年8月30日火曜日

稲妻する過去を清算しやうとする

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-表象の森― 今月の購入本

・B.エルンスト「エッシャーの宇宙」朝日新聞社
エツシヤー自身との共同作業で、その全作品の制作動機やアイデアなどの成長過程をまとめあげた労作。訳は坂根巌夫、初版’83年刊の第15刷版-‘90-の中古書

・ヘーゲル「歴史哲学講義 上」/「 々 下」岩波文庫
長谷川宏という訳者を得て、新しい読者層をひろげたヘーゲルの世界史講義。

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・G.ブルーノ「無限、宇宙および諸世界について」岩波文庫
地動説や宇宙の無限を唱え、異端者として焚刑に処された修道士ブルーノの、長らく禁書とされてきた書。

・長谷川宏「いまこそ読みたい哲学の名著」光文社文庫
アラン・シエークスピアにはじまりウイトゲンシユタイン・M.ポンテイまで、12著作を採り上げた鑑賞ガイダンス。

・竹下節子「聖者の宇宙」中公文庫
驚いたことに巻末には50頁に及ぶ詳細な聖者カレンダーなるものが併載されている。

・秋山巌「山頭火版画句集-版画家・秋山巌の世界」春陽堂
100の句と版画を掲載した廉価版の秋山巌版画集

・「つなみ-被災地のこども80人の作文集」文藝春秋


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-233

8月30日、風が落ちておだやかな日和となつた、新居三日目の朝である、おさんどんと坊主とそして俳人としてのカクテル。
今日もまた転居のハガキを書く-貧乏人には通信費が多すぎて困る、といつて通信をのぞいたら私の生活はあまりに殺風景だ-。
樹明兄から、午後1時庵にふさはしい家を見に行かう、との来信、一も二もなく承知いたしました。大田の敬坊-坊は川棚温泉に於ける私を訪ねてくれた最初の、そして最後の友だつた-から、ありがたい手紙が来た、それに対して、さつそくこんな返事をだしてをいた。-
‥‥私もいよいよ新しい最初の一歩-それは思想的には古臭い最後の一歩-を踏みだしますよ、酒から茶へ-草庵一風の茶味といつたやうな物へ-山を水を月を生きてゐるかぎりは観じ味はつて-とにもかくにも過去一切を清算します。‥‥
-略-、樹明兄に連れられて、山麓の廃屋を見るべく出かけた、夏草ぼうぼうと伸びるだけ伸んでゐるところに、その家はあつた、気にいつた、何となく庵らしい草葺の破宅である、村では最も奥にある、これならば「其中庵」の標札をかけても不調和なところはない、殊に電灯装置があつたのは、あんまり都合がよすぎるよ。
帰途、冷たいビール弐本、巻鮨一皿、これだけで二人共満腹、それから水哉居を訪ねる-君は層雲派の初心晩学者として最も真面目で熱心だ-。
樹明兄の人柄が渾然として光を放つた、その光に私はおぼれてゐるのではあるまいか。
其中庵、其中庵、其中庵はどこにある。
廃屋から蝙蝠がとびだした、私も彼のやうに、とびこみませう。
水哉居でよばれた酢章魚はほんたうにおいしかつた、このつぎは鰒だ。
ふけてから、ばらばらと雨の音。
今夜は寝つかれさうだ、何といつても安眠第一である、そして強固な胃袋、いひかへれば、キヤンプをやるやうなもので、きたないほど本当だ。

※表題句のみ記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―函館、トラビスチヌ修道院にて-’11.07.24


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2011年8月29日月曜日

風のトマト畑のあいびきで

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-232

8月29日、厄日前後らしい空模様である、風のために木まで動く、炊事、掃除、読書、なかなか忙しい。
処方の知友へ通知葉書を出す、三十幾つかあって、ずゐぶん草臥れた。-略-
新居第一日に徹夜して朝月のある風景ではじまつた。
あせらずにゆうゆうと生きてゆくこと。
夜おそく、樹明兄来訪、友達と二人で。
いろいろの友からいろいろの品を頂戴した。樹明兄からは、米、醤油、魚、そして酒!
友におくつたハガキの一つ。-
「何事も因縁時節と観ずる外ありませんよ、私は急に川棚を去つて当地へ来ました。庵居するには川棚と限りませんからね。ここで水のよいところに、文字通りの草庵を結びませう、さうでもするより外はないから。山が青く風が涼しい、落ちつけ、落ちつけ、おちつきませう。」
いつとなく、なぜとなく-むろん無意識的に-だんだんふるさとへちかづいてくるのは、ほんとうにふしぎだ。
野を歩いて、刈萱を折つて戻つた、いいなあ。
どこにもトマトがある、たれもそれをたべてゐる、トマトのひろまり方、。たべられ方は焼芋のそれを凌ぐかも知れない、いや、すでにもう凌いでゐるかも知れない。

※表題句の外、3句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―小樽運河、中央橋より-’11.07.30


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2011年8月28日日曜日

秋風のふるさと近うなつた

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―四方のたより― 琵琶のゆかた会

今夏で3回目となる筑前琵琶奥村旭翠門下の「ゆかた会」が、今日の午後、藤井寺駅近くの料亭こもだで催された。
毎年2月の「びわの会」は欠かしたことはないが、このゆかた会に関しては前2回とも失礼してきた。三度目のなんとやら、今回はひょいとその気になって、出向いてみた。
会場は、普段は宴会場に供されるのだろう、ずいぶんと広い和室。プログラムは全12曲、末永旭濤ことJunkoは4番目の登場で、演目は明智光秀の最期を詠ずる「小栗栖」、山崎旭萃の代表曲にも数えられる作品だから自ずと稽古にも身が入っていたろう。
旭翠師についてすでに10年、発声は学生演劇から鍛えているから一応問題なしだが、歳も四十を越えたことだし、そろそろ節に艶が欲しい頃ではないか、というのが第一感。

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「ゆかた会」そのものについて一つ難を挙げれば、会場が座敷であること。12曲延べ3時間余を座敷で聴くのは些か堪える。いや聴くほうだけではない、演ずるほうも先番たちを聴きながら同じ座敷で出番を待つのはやはり堪えよう。実際、出番が後になるほど、年期の入ったベテランなのだが、それにもかかわらず少々集中力を欠いていたように見うけられた。
そんななかで、ひとり存分に演じていたのは新家旭桜のみである。彼女には自身の技倆的課題がつねに明確に見えているからだ。琵琶の奏法については余人の追随を許さず、すでに群を抜いた存在である彼女であってみれば、語りにおけるいわば心技体がいかにあるべきか、といった地点に向かっているからだ、と思われる。
宴会用の広い座敷は、本来当座の一同みな胸襟を開いて和やかに、さらにはくだけてよしとする空間だ。そんな場所で、長時間の集中を持続させるのは甚だ難しい、我知らずどうしてもダレが忍び寄るというものだ。
「ゆかた会」を今後も継続していくとすれば、会場については一考されたほうがよいだろう。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-231

8月28日、小郡町柳伊田、武波憲治氏宅裏。
朝から二人で出かける、ちようど日曜日だつた、この雑座敷を貸していただいた-ここの主人が樹明兄の友人なので、私が庵居するまで、当分むりやりにをいてもらふのだ-。
駅で手荷物、宿で行乞道具、運送店で荷物、酒屋で酒、米屋で米。
さつそく引越して来て、鱸のあらひで一杯やる、樹明兄も愉快さうだが、私はよつぽど愉快だ。夜、冬村君が梅干とらつきようを持つて来て下さる、らつきようはよろしい。
一時頃まで話す、別れてから、また一時間ばかり歩く、どうしても寝つかれないのだ。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―札幌自動車道、金山PAにて-’11.07.29


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2011年8月27日土曜日

けふはおわかれのへちまがぶらり

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―四方のたより― ご帰還

先週来トラブルのPCが修理を終え、ご帰還あそばした。
修理報告書に曰く、マザーボードとパワーサプライを交換した、と。
今夏の暑熱地獄ではかなくも炎上?したものとみえる。
保証期間を2年としていたからよかったものの、でなければ2、3万円を請求される憂き目をみたことだろう。
使用者としては、マシンのデリカシーというものにもう少し気を配れないといけないのだが、なかなか‥。

―表象の森― <日暦詩句>-43


  「大儀」  山之口獏

躓いたら転んでゐたいのである
する話も咽喉の都合で話してゐたいのである
また、
久し振りの友人でも短か振りの友人でも誰とでも
逢へば直ぐに、
さよならを先に言ふてゐたいのである
すべて、
おもふだけですませて、頭からふとんを被つて沈殿してゐたいのである
言ひかへると、
空でも被つて、側には海でもひろげて置いて、人生か何かを尻に敷いて、膝頭を抱いて
その上に顎をのせて背中をまるめてゐたいのである。

   -「山之口獏詩文集」講談社文芸文庫より


―山頭火の一句―
行乞記再び-昭和7年-230

8月27日、樹明居。
晴、残暑のきびしさ、退去のみじめさ。
百日の滞在が倦怠となつただけだ、生きることのむつかしさを今更のやうに教へられただけだ。、世間といふものがどんなに意地悪いかを如実に見せつけられただけだつた、とにかく、事ここに到つては万事休す、去る外ない。
  けふはおわかれのへちまがぶらり –留別-
これは無論、私の作、次の句は玉泉老人から、
  道芝もうなだれてゐる今朝の露
正さん-宿の次男坊-がいろいろと心配してくれる-彼も酒好きの酒飲みだから-、私の立場なり心持なりが多少解るのだ、荷造りして駅まで持つて来てくれた、50銭玉一つを煙草代として無理に握らせる、私としても川棚で好意を持つたのは彼と真道さんだけ。
午後2時47分、川棚温泉よ、左様なら!
川棚温泉のよいところも、わるいところも味はつた、川棚の人間が「狡猾な田舎者」であることも知つた。
山もよい、温泉もわるくないけれど、人間がいけない!
立つ鳥は跡を濁さないといふ、来た時よりも去る時がむつかしい-生れるよりも死ぬる方がむつかしいやうに-、幸にして、私は跡を濁さなかつたつもりだ、むしろ、来た時の濁りを澄ませて去つたやうだ。
T惣代を通して、地代として、金壱円だけ妙青寺へ寄附した-賃貸借地料としてはお互いに困るから-。
  ふるさとちかい空から煤ふる –再録-
  この土のすゞしい風にうつりきて –小郡-
小郡へ着いたのが7時前、樹明居へは遠慮して安宿に泊る、呂竹さんに頼んで樹明兄に私の来訪を知らせて貰ふ、樹明兄さつそく来て下さる、いつしよに冬村居の青年会へ行く、雑談しばらく、それからとうとう樹明居の厄介になつた。

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Photo/北の旅-2000㎞から―小樽のガラス市で-’11.07.29


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2011年8月26日金曜日

いつも一人で赤とんぼ

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-229

8月26日、川棚温泉、木下旅館
秋高し、山桔梗二株活けた、女郎花一本と共に。
いよいよ決心した、私は文字通りに足元から鳥が飛び立つやうに、川棚をひきあげるのだ、さうするより外ないから。‥‥
形勢急転、疳癪破裂、即時出立、-といつたやうな語句しか使へない。
其中庵遂に流産、しかしそれは川棚に於ける其中庵の流産だ、庵居の地は川棚に限らない、人間至るところ山あり水あり、どこにでもあるのだ、私の其中庵は!
ヒトモジ一把一銭、うまかつた、憂鬱を和げてくれた、それは流転の香味のやうでもあつたが。
精霊とんぼがとんでゐる、彼等はまことに秋のお使いである。
今夜もう一夜だけ滞在することにする、湯にも酒にも、また人にも-彼氏に彼女に-名残を惜しまうとするのであるか。‥‥

※表題句のみ記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―旭山動物園-’11.07.29


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2011年8月25日木曜日

一人となればつくつくぼうし

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―表象の森― 感覚と脳と心と

人間の知覚システムの研究が進むに従って、知覚と実在の関係そのものが変わってきた。色や味や音や匂いは、人間の脳が処理して初めて「存在」するからだ。物質の塊があってそこから揮発する分子があったからといって、「匂いが存在する」とはいえないし、空気や地面が震動するからといって「音が存在する」とももういえない。匂いも音も、色も味も、知覚する人間の存在と無関係に存在するという考え方は、たとえ自然に思えても実は正しくない。たとえばバラの花を見る人間は、素朴には、バラによい香りがついていて、美しい色がついていると思うが、実はバラの香りも色も、人間の知覚器官と脳の働きを離れて外界に「実在」するものではない。それは、たとえ人がバラの棘に指を指されれば「痛い」と感じるとしても、「痛み」がバラの棘の中に内在しているわけではないのと同じことである。また、匂いや音や痛みを認識したとしても、それをどのように受け止めるかという主観的内容までは説明できない。

見神者による神の存在の知覚と認識についても同じだ。人によって「何かが存在する」ことは、物理的刺激を人間の感覚受容細胞が生体の電気信号に変換したものを通じてキャッチされるわけであるが、たとえそのように「神」をキャッチしても、そのクオリア-実感-の量的質的な計測は不可能である。実際、脳科学が発達したといっても、たとえば「心」がどのようなものかは、科学の言葉によって表現できていない。脳の活動は心の生成の「必要条件」ではあるが、「十分条件」であるかどうかについては、証拠もなければ理論もない。

世界を分節して法則を発見し単純化しようとした科学は、発展するに従って、世界が決して単純なハーモニーやシンプルな秩序で構成されているわけではないことを明らかにした。科学の対象は、全体から分けられて切り出されるものではなく、常にさまざまな要素が複合的に作用しあう「複雑系」の世界にあるのだ。それでも、この世界を解明していくには、科学研究の鉄則として、正しいタイミングで正しい問題に取り組み、その問題を正しいレベルに設定して問うということが要求される。

  -竹下節子「無神論」-P255-「素朴実在主義と神の存在の問い」より


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-228

8月25日、朝の散歩、そして朝の対酌、いいですね!
彼は帰る、私に小遣までくれて帰る、逢へば別れるのだ、逢うてうれしや別れのつらさだ、早く、一刻も早く、奥さんのふところに、子供の手にかへれ。-略-
残暑といふものを知つた、いや味つた。
「アキアツクケツアンノカネヲマツ」
 -秋暑く結庵の金を待つ- 緑平老へ電報
夕方、S氏を訪ねる、これで三回も足を運んだのである、そして土地の借入の保証を懇願したのである、そしてまた拒絶を戴いたのである、彼は世間慣れがしてゐるだけに、言葉も態度も堂に入つてゐる、かういふ人と対座対談してゐると、いかに私といふ人間が、世間人として練れてゐないかがよく解る、無理矢理に押しつけるわけに行かないから、失望と反抗とを持つて戻つた。
夜、Kさんに前後左右の事情を話して、此場合何か便法はあるまいかと相談したけれど乗つてくれない-彼も亦、一種の変屈人である-。
茶碗酒を二三杯ひつかけて寝た。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―層雲峡・銀河の滝-’11.07.28


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2011年8月24日水曜日

家をめぐる青田風よう出来てゐる

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―表象の森― <日暦詩句>-42

  「崖」  石垣りん

戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。

美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。

とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)

それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。

  -茨木のり子「言の葉Ⅱ」より-石垣りん詩集「表札など」-S43年刊-


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-226
8月23日、何となく穏やかでない天候だつたが、それが此頃としては当然だが、私は落ちついて読書した。
旅がなつかしくもある、秋風が吹きはじめると、風狂の心、片雲の思が起つてくる、‥しかし、私は落ちついてゐる、もう落ちついてもよい年である。
此句は悪くないと思ふが、どうか知ら。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-227
8月24日、晴れてきた、うれしい電話がかかつてきた、-いよいよ敬坊が今日やつてくるといふのである、駅まで出迎に行く、一時間がとても長かつた、やあ、やあ、やあ、やあ、そして。――
友はなつかしい、旧友はとてもなつかしい、飲んだ、話した、酒もかういふ酒がほんとうにうまいのである。

※表題句のみ記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―網走の監獄博物館-’11.07.28


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2011年8月22日月曜日

逢うて別れる月が出た

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―表象の森― 金子光晴Memo

「おれは六十で
 君は、十六だが、
 それでも、君は
 おれのお母さん。
 ‥‥‥‥‥‥‥ 」 -光晴「愛情2」

金子光晴を語ろうとすることが、われにもあらず、なぜ日本男性攻撃へと傾くのだろうか? このたびの、これは一つの発見だ。-茨木のり子

「男とつきあわない女は色褪せる
 女とつきあわない男は馬鹿になる」-チェホフ

「大統領と娼婦とは本来同じ値打だ」-ホイットマン

「金子さんほど歩き廻る日本人は見たことがない」-魯迅

「堕っこちることは向上なんだ」-光晴「人非人伝」

「僕が死んだら、よく考えてみて下さい」-光晴

  -茨木のり子「言の葉2」より


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-225

今日も家の事で胸いつぱいだ、売家が二つ三つある、その一つが都合よければ、其中庵も案外早く、そして安く出来るだらう、うれしいことである。

※表題句のみ記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―カムイワッカの湯の滝-’11.07.27


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2011年8月21日日曜日

星あかりをあふれくる水をすくふ

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―四方のたより― 丸一年でPCダウン
私が日ごろ主に使ってきたPCは、DELL製品のInspiron Desktop 580S、いわゆるスリム型というやつ。
昨年8月上旬に購入したものだから、ちょうど1年経ったばかりというのに、あろうことかこ奴、一週間ばかり前に突然ダウンした。起動してもプログラム修復の画面が立ち上がるだけで、以後は空回りするだけ、ONとOFFを数秒ごとに繰り返すのみ。BIOS画面へも移れないし、リカバリDISKもまったく受けつけないという始末。

Dell580s
そんな訳で、この1週間は、予備にあるASUSのEee Boxの世話になっているのだが、此方のほうはメモリが2GBで、処理速度が少々遅いので、ちょいと焦れ気味に作業をしている。

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DELLのカスタマーサービスには、なかなか繋がりにくいのだが、19日の深夜になってやっと繋がった。保証期間が2年なので、さしあたり引取修理の運びとなったが、なお10日間くらいは、不便ながらこのままいくしかないだろう。

―表象の森― 壁は厚く高く‥

今日はいつもの稽古を早めに切り上げて、まこと久しぶりに大宮の「芸創」に足を運んだ。JUNKOもAYAも一緒だ。
「息吹の生まれるところ」と題されたダンス公演。
主催は森洋子という若手だが、彼女の師にあたる中川薫と、近大で神澤の薫陶を受けた村上和司が、この新人をサポートしている。

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出演も3人、Solo三題とDuoひとつ。実時間なら40分ほどか。
参ったのは音の選曲、どれもhardで重たい。
創作舞踊というものの骨法が、Dancerたちの主観的なやや観念過剰ともみえる呪縛のなかで、古色蒼然とした世界をしか現出しえぬものと見えてくるとしたら、それは方法論の瑕疵ではなく、表現主体の側の問題だ。
主題性やイメージに必要以上に拘泥するまえに、まずは身体や動きの過剰なまでの奔出を望みたいものだが‥、なかなかそうはいかないのです。

会場で出会した、懐かしい顔ふたつ-I女とF女。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-224

8月21日、ほんとうに秋だ、なによりも肌ざわりの秋。
正さん-此宿の二男-と飲んだ、お嫁さんのお酌で、気持よく飲みあつた、ちと新課程を妨げなかつたでもないらしい。
売家があるといふので問合にいつた。

※表題句は8月1日付の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―知床半島の主峰、羅臼岳-’11.07.27


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2011年8月20日土曜日

うぶすなの宮はお祭のかざり

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―表象の森― <日暦詩句>-41

  「他人の空」  飯島耕一

鳥たちが帰つて来た。
地の黒い割れ目をついばんだ。
見慣れない屋根の上を
上つたり下つたりした。
それは途方に暮れているように見えた。

空は石を食つたように頭をかかえている。
物思いにふけつている。
もう流れ出すこともなかつたので、
血は空に
他人のようにめぐつている。
      <すべての戦いのおわり Ⅰ>

  -飯島耕一詩集「他人の空」-S28-より


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-223

8月20日、やつと心機一転、秋空一碧。
初めてつくつくぼうしをきいた、つくつくぼうし、つくつくぼうし、こひしいなあ。
いよいよ身心一新だ、くよくよするな、けちけちするな、ただひとすぢをすすめ。

※表題句は8月4日付の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―長大な砂嘴、野付半島-’11.07.27


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2011年8月19日金曜日

ふるさとの空の旗がはたはた

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―四方のたより― 橋下知事のいかがわしさ

どうも夏バテのようだ、この二日、寝ると爆睡といった調子だし、起きても身体が怠いし重い。

ところで、橋下知事がWTCへの府庁舎移転を断念した、のニュースが朝から躍っている。
3.11の東北大地震の際、震度3で思わぬ被害を出したWTCであってみれば、本来この時点で断を下すべきだったにもかかわらず、これまで頑なに拘泥しつづけた挙げ句、今に到っての断念は笑止千万というしかない。
この男の饒舌、上滑りのお調子乗りにすぎないことは、マスコミの寵児となっていた頃から明々白々のことだろうに、堺屋太一なんぞが持ち上げるに及んで、圧倒的支持を得て知事にまでなってしまった。
そして今、知事・市長のダブル選を仕掛けるなか、これを目前にしつつ180度の政策転回=移転断念をするなら、その反省の弁はどれほどの言を費やしても言い尽くせるものではないと思われるが、この男、多くを語らず、イケシャーシャーとしてござる。
この期に及んでの断念は、救いがたい失政であり、政治生命が断たれるべきものである筈、と私などにはどうしても映るのだが、マスコミはじめ府政周辺での反応がどうにも鈍いのはどうしたことか。


―表彰の森― 秋山巌の版画世界

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「山頭火版画句集-版画家秋山巌の世界-」春陽堂刊-1575円

山頭火の句を独自の世界へとさまざまに変奏した秋山巌氏の版画が計100作品掲載されている。氏の版画世界を知るには格好の書であり、かつ廉価版なのがうれしい。
あとがきで氏は、「長い生涯の中で、私は二人の師と出会った」といい、その一人は棟方志功であり、もう一人は山頭火であった、と綴られている。
志功師の口癖にも似た「化けものを観ろ、化けものを出せ」の言が、後年、山頭火の句との出会いによって交錯、火花散らすことになったのであろう。このあたりの創造の契機というものは、よくわかるような気がする。本来関わりのない、結びつく筈のない二つのものが、氏の内部で突然結ばれる。氏にとって<山頭火の句=化けもの>は電撃的な閃きであったのだろう。以来、氏は、氏の<化けもの>を顕わにせんと、山頭火の句を板に彫りつづけ、今日に到る。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-222

8月19日、何事も因縁時節、いらいらせずに、ぢつとして待つてをれ、さうするより外ない私ではないか。
入浴、剃髪、しんみりとした気持になつて隣室の話を聞く、ああ母性愛、母といふものがどんなに子というものを愛するかを実証する話だ、彼等-一人の母と三人の子と-は動物に近いほどの愛着を体感しつつあるのだ。‥‥
父としての私は、ああ、私は一度でも父らしく振舞つたことがあるか、私はほんとうにすまなく思ふ、私はすまない、すまないと思ひつつ、もう一生を終わらうとしてゐるのだ。‥‥

※表題句は8月4日付の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―神秘的な水面の摩周湖-2-’11.07.27


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2011年8月18日木曜日

けさも青垣一つ落ちてゐて

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-221

8月18日、近来にない動揺であり、そしてそれだけ深い反省だつた、生死、生死、生死、生死と転々とした。
アルコールよりもカルチモンへ、どうやらかういふやうに転向しつつあるやうである、気分の上でなしに、肉体に於て。
待つ物来らず、ほんとうに緑平老に対してすまない、誰に対してもすまない。

※表題句は8月16日付の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―神秘的な水面の摩周湖-’11.07.27


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2011年8月17日水曜日

あてもない空からころげてきた木の実

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―表彰の森― 聖職者ジャン・メリエの悲劇

ジャン・メリエ-1644~1729-、フランス北東部アルデンヌ地方の寒村で、一介の司祭としてなんの波風もなく40年間の長きを務めあげた彼は、その陰で「すべての宗教は誤謬とまやかしとペテンにすぎない」といった驚くべき文書を営々と綴っていた。
神々と宗教の虚妄なることを論証したこの遺言の書というべきこの手稿は、全8章からなる長大なもので、その死後、彼が属した教区裁判所の文書課に託されたのだが、非合法の地下文書として秘かに流布していく。早くも1730年代にはその写本をヴォルテールの知るところとなり、後-‘61-2年-に、彼によってその抜粋「ジャン・メリエの見解抜粋」が秘密出版され、部分的ながらその思想が知られるようになっていく。

全8章の章立ては以下の如く-
1. 宗教は人間の発明である
2. 「盲目の信心」である信仰とは、誤りと幻想と詐欺の原理である
3. 「見神」や「啓示」と称されるものの誤謬
4. 旧約聖書における預言と称するものの虚栄と誤謬
5. キリスト教の教義と道徳の誤謬
6. キリスト教は権力者の悪習と暴政を許す
7. 「神々」の存在の虚偽
8. 霊性の概念と魂の不滅の虚偽

表面的にはあくまでも忠実なる神の僕として寒村の一司祭の役割を生きるしかなかった彼が、その陰で黙々と書き綴った無神論或いは先駆的唯物論の書、その全訳書は「ジャン・メリエ遺言書-すべての神々と宗教は虚妄なることの証明」として、’06年に法政大学出版局から刊行されている。なんと1365頁の大部の書で、税込31,500円也だ。

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-220

8月17日、やつぱりいけない、捨鉢気分で飲んだ、その酒の苦さ、そしてその酔の下らなさ。
小郡から電話がかかる、Jさんから、Kさんから、-来る、来るといつて来なかつた。
また飲む、かういう酒しか飲めないとは悲しい宿命である。
此句には多少の自身がある、それは断じて自惚れぢやない、あてもないに難がないことはあるまいけれど-あてもないは何処まで行く、何処へ行かう、何処へも行けないのに行かなければならない、といつたやうな複雑な意味を含んでゐるのである-。

※表題句の外、句作なし

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Photo/北の旅-2000㎞から―津別の森の散歩道-’11.07.27

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