2012年1月30日月曜日

夜のふかうして薬鑵たぎるなり

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―日々余話- 机越しに‥

我が家の居間、横に長い机に向かえば、壁一面に一間半の書棚。
その棚の一角を占めているのが三人の遺影。
中央に、’08年9月に事故で逝った娘のRyouko、その左右に我が両親。
仏壇はない、位牌もない、こうしてただ写真のみ。

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日々、机に向かえば、否やもなく三人の姿が視野の内に入ってくる。
机上の片隅には、友に貰った一輪挿し、その横に100均で買ってきた香台と線香立て。
毎々日課というよりは、気まぐれにまかせ、香を焚く。

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いま、一輪挿しには金魚草、この花、意外と保ちよく、なかなか枯れないでいる。

-表象の森- 「釜ヶ﨑のススメ」

序章を含めれば全12章に、9つのコラムやイラストを散りばめ、歴史的・地理的由来にはじまり、外国人旅行者が集い闊歩するようになったゼロ年代風景まで、ドヤ街「釜ヶ﨑」のまるごとを、多彩な顔ぶれの執筆陣で、手づくり感一杯にまとめられているのが良く、本書出版の意義を際立たせている。

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日雇い労働者の街、単身者の街、高齢化する街、福祉の街、観光の街と、多様に輻輳しながら変貌を遂げてきたその変遷は、’61年8月の第1次にはじまり’08年6月の第24次に至る、その暴動史一覧からも充分に覗える。

お薦めは、原口剛の「釜ヶ﨑という地名」序章
ありむら潜の釜ヶ﨑変遷イラスト「いまむかし」
平川隆啓の「釜ヶ﨑の住まい」第3章
加藤政洋の「釜ヶ﨑の歴史はこうして始まった」第4章
原口剛の「騒乱のまち、釜ヶ﨑」第7章
白波瀬達也の「生きづらさと宗教」第8章
松村嘉久の「外国人旅行者が集い憩うまち釜ヶ﨑へ」第11章、etc.

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―山頭火の一句― 其中日記-昭和9年-264

2月12日
春日和です、私は終日終夜、寝床の中です。
酒も煙草もない一日一夜でした。
風呂はまことに結構でした、餅はたいへんおいしうございました。‥‥

※表題句の外、3句を記す


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2012年1月28日土曜日

朝から小鳥はとべどもなけども

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-表象の森- 河本真理「切断の時代-20世紀におけるコラージユの美学と歴史-」

「コラージュの空間において、破壊的な身振りによって立ち現れる、<切断><断片化><引き裂き><間>の問題は、とりわけ興味深い。
パウル・クレーは、生涯にわたって、いったん完成されたと思われた200以上の作品を、鋏やナイフで切り取った。クレーにとって、鋏は、絵筆と同じように、制作に必要な道具だったと言ってよいだろう。
クレーは、この元の作品の両側を大きく切り取り、そうして得られた断片を二つとも上下逆さまにし、中央にまさにぽっかり口を開けたような<間>を残して台紙に貼り付けた。
こうした一連の操作の結果、この前例のない新しいコラージュにおいて、抽象的な造形言語と色彩のコントラストがダイナミックに高められ、中央と周縁の位相が反転したのである。」

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「コラージユ」をkeywordに20世紀の美学と歴史を語り尽くさんとするかのような、本文545頁に達する野心的な本書を、暮れから訥々と読みすすめ、やっと読了-1/16-。
なんだか長い旅路の果てといった感懐を抱きつつ、最後の僅か7頁ほどのコンパクトにまとめられた結語を読むにいたって、本書の全貌がようやく明瞭な形をとりはじめた感がある。

「20世紀芸術におけるいくつかの枠組みを顕在化させ、さらには変容してきたコラージュの役割は、今日、その際後の限界とともに、その意義自体を失いつつあるように見える。コラージュがもたらした新たな意義は、単に用いられた技法にあるのではなく、構成要素の異質性とその開かれた性質にあった。このようなコラージュの開かれた性格が、絵画、彫刻、建築といった既成のジャンルの間の仕切りをずらし、まなざしを新たな空間性に直面させたのである。」

「芸術家がいったん完成した作品を切り取り-あるいは破り-、分割してできた断片を再構成するという、「破壊的-創造的」方法によって作られる「分析的コラージュ」をとりわけ詳細に分析したのは偶然ではない。というのは分析的コラージュに豊穣な可能性が秘められているにもかかわらず、それに関する従来の研究は、各々の芸術家の個別研究に限られていたからである。それゆえ、本書では、作品の「修正」を目的とするクレーの<分割コラージュ>、アルプのデッサン・デシレ、およびエルズワース・ケリーの<偶然による>コラージュの比較研究を試みた。具体的な作品分析を通して、連続性と不連続性、求心性と遠心性という二項対立の間を常に揺れ動く、分析的コラージュに特有な空間性が明らかになる。それは、中央と端の入れ替え、ずらし、<間>の挿入-クレー-、散種と接ぎ木-アルプ-、置換-ケリー-等の操作に顕著に見られる。このような分析的コラージュの空間は、形態・構造のレベルおよび意味のレベルにおけるずらしから生じる。この点において、<分析的コラージュ>の空間性は、キュビスムのコラージュの畳み込まれた空間とも、<意味論的コラージュ>の文学的・遠近法的空間とも、そして言うまでもなくアッサンブラージュの突出した三次元的空間とも異なっている。」

「またこうした分析を通して、一見して見えにくいものの、看過できない別の次元も浮かび上がってくる。それは、
分析的コラージュの<時間性>である。このタイプのコラージュは、時の流れの中で、いったん解体され、また再構成されるというプロセスを経ている。芸術作品に立ち現れるのは、その「内的な時間であり、こうして芸術作品が立ち現れる時が爆発することによって、時間の連続性が砕け散る」-アドルノ-。コラージュにおけるこうした<内的な時間>は、その物質的な脆さに内在的に結びついている。しかしながら、コラージュの<内的な時間>は、作品の避けがたい変質の過程を越えて、芸術家が本来破壊的である自然の時間を乗り越え、手なずけようとする試みをも意味する。本書では、こうした時間として、1.伝記的・歴史的な時間、2.有機的に展開する芸術創造の時間、3.<自己批判的>な反転する時間、4.最終作の前-準備-段階としての時間、という四つの時間の層を浮き彫りにした。このような時間性が複雑に絡み合う分析的コラージュの生成過程は、アルケオロジックな観者のまなざしによって復元され、追体験されうる。このようにしてコラージュは、<破壊的・創造的>なプロセスという、その起源を顕わにするのである。」

「こうした分析的コラージュの断片化に対して、アッサンブラージュの空間的な拡張、そしてさらには<綜合芸術作品>をめざすという逆の傾向も顕在化する。しかしながら、こうして次々に拡張する空間においてこそ、逆に限界の問題が一層決定的となって現れる。「断章」において、フリードリヒ・シュレーゲルは、<自己限定>をイロニーの最も必然的で、最高の営みだと定義している。「<自己限定>が最も必然的であるのは、我々が自己を限定しないときには常に世界が我々を限定し、我々を奴隷にしてしまうからである。最高であるのは、我々が自己創造と自己破壊の無限の力を我がものとしている点と面においてのみ、自己を限定することができるからである」。シュヴィッタースのメルツバウにおいては、枠を越えていこうとする過剰な欲望と、<自己限定>との間に弁証法的な関係が見られる-シュレーゲルならアイロニカルな関係と言っただろう-。メルツバウが拡張していくのは、シュヴィッタースが相続した<古い建築-アルトバウ->―自身の住居の壁で仕切られ、住まわれた空間―においてである。シュヴィッタースは、この空間を迷宮のような構造に変容し、絶えず新たな限界と枠を設定し続けた。こうしてメルツバウは、個人的―あるいは<アンチーム>―な言語を紡ぎ出す場となる。シュヴィッタースのコラージュによる造形は、準備習作やその他のあらゆる準備段階なしに行われるが、ケリー、そして時にピカソやマティスにおいては、コラージュは下絵や模型の役割を果たしていた。逆にシュヴィッタースの場合、メルツバウの創造において展開されたような、構築する身振り自体に含まれる<進行するデザイン-design in progress->とも呼べるものがある。メルツバウに取り込まれた廃物の断片を通して、外部の都市空間が畳み込まれ解体され、それと同時に、海底の貝殻の渦巻き模様や成長する珊瑚礁にも似た建築が生成する。メルツバウは、長い年月にわたってひそかに積み重ねられた過去と現在の多層構造を通して、すなわちこのコラージュに住まうという主観的な経験を通して、逆説的に集合的な経験の記憶をとどめるだろう―その破壊に至るまで。」

「内部と外部、主観とと集合的な経験との間の対立は、ラウシェンバーグには存在しない。アメリカの芸術家は、そのグローバルな作品のプロジェクトにおいて、あらゆる仕切りを打ち壊そうとしたのである。透明な仕切りとも言えるテレビの画面に映る、メディア化されたイメージに魅了されたラウシェンバーグは、地理的な空間を踏破することによってグローバル性に到達しようとする。こうして、や<四分の一マイルあるいは二ハロンの作品>において、首尾一貫性の追求は放棄され、あらゆることを言う欲望が勝っているように見える。それゆえ、ラウシェンバーグには、準備習作という形-ケリー、ピカソ、マティス-や、内的なデザインという形-シュヴィッタース-による、構造的な分節はもはや存在しない。ラウシェンバーグのグローバル化した作品は、シュヴィッタースのメルツバウに見られる空間的・時間的な多層構造とは無縁であり―グリーンバーグが想像だにしなかったであろう平面性によって―、時間と空間を平板化し、美術館のみが提供できる壁に沿って、現在を絶え間なく反復する。」

「今日、コラージュとアッサンブラージュが勝ち得た自由は、芸術の概念自体が不確かになるまで拡大した。この点において、シュレーゲルのいくつかの直観は正しかったように思われる。「断章」の著者にとって、<自己限定>の概念は本質的であり、そこでは<自己破壊>と<自己創造>が<アンチーム>に結びついていた。それは、ある程度自己の限界を受け入れたコラージュと、シュヴィッタースがメルツバウにおいて問い直した空間に立ち現れたのである。」

―山頭火の一句― 其中日記-昭和9年-263

2月11日
旗日も祝日もあつたものぢやない、身心の憂鬱やりどころなし、終日臥床、まるで生ける屍だ。
敬君やうやく帰宅、樹明君来庵、テル坊も-この呼称は樹明君にしたがふ-。
退一歩、そして進十歩、歩々新たなれ。

※表題句の外、5句を記す


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2012年1月24日火曜日

ふるつくふうふう逢ひたうなつた

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-日々余話- 戦いぬいた闘士

昨朝、起きると声が出ない。
嗄れ声どころではない、息を送れども、まったく声帯は鳴らない。
前夜、呑みながら喋りすぎたのだ。こういう羽目に陥るのはまことに久しぶり‥。
市岡美術のOBたち、Kさんを囲んで、17期がO君、I君、U君、M君、T君、18期がO君とK君、そして15期の私。
女人を交えず野郎ばかり-、往々にしてしつこいほどの議論になるが、それがまた愉しくもあり。

Amazonレビユーの「おじいさん」の話題を供したが‥、
その彼は、昨年の暮れ、前立腺癌の手術をした、との情報に愕然。
昨日の午後、O君への彼からのメールが転送されてきた。
-以下は、その戦いぬいた闘士の、絶叫にも似た一節

私は、精神医療の現場の渦中にのなかに、はいりました。自ら選んだみちです。
そのなかで 生きごろされている 人々に 出会いました。
私は 戦いました。
現在 ただいまも 戦っています。
しかし、同志たちが 死んでいきます。
その 悲しみを 諸氏は 感じて ください。
現状は 敗北です。
私から言わせれば 過去の 戦った 諸氏の 動きを 忘れ去った
「近代合理主義者」が 主導権をにぎっており 国家と仲良し。
このような 連中へは 怒りと無残さが 残り、
「無残であった戦い」のことをおもいだすのみ。
悔しい。まことに悔しい。
こいつらの 戦い方を封じ込める力は われらには ありません。
こいつたちは、所詮 近代合理主義にもとずく 奴隷です。
アメリカの奴隷たち。
それを自覚していない 最低限の「いきもの」です。
本来は 「畜生」と いうべきものたち。
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悔しい。
怒り。
殺意。
------------------------
私は 人殺しはしません。
しかし、今の精神医療の世界を 変えて見せるぞと がんばった 私たちの 無念は はらせません。
せめて まきび病院が 抱いてきた 戦いを続けてくださるよう おねがいします。
私も、4回目の癌、前立腺癌で 明後日より 入院し、手術をうけます。
------------------------
諸君、決して負けないでください。
戦い続けてください。

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Photo/倉敷市真備町箭田、まきび公園にほど近いところに「まきび病院」はある


―山頭火の一句―
其中日記-昭和9年-262

2月10日
晴、朝は霜で冷えたが、日中はほんたうにぽかぽかだつた。
アルコールのおかげで、ぐつすり寝られた、同時にそのまたおかげで胃が悪い、ありがたくもありありがたくもなし、か。
朝酒はうまし、朝茶もうまし、敬坊とふたりで、しめやかな朝飯をたべた、いつもかういふ調子だと‥よすぎます!
葉も実もすつかりおとしてしまつた木のゆうぜんたるすがたはよいかな、うらやましいかな。
敬君が実家を見舞ふといふので、連れ立つて街へ。
帰庵して、間もなく敬坊も来庵、餅を持つてきてくれた、それにしても其中庵は家庭よりも、そんなにいいのだらうか!
樹明君から来信、今日午後、岐陽、呂竹の両君といつしよに、御馳走を携へてくるとのこと、日々好日、今日大好日。
彼等を待つ間のしんきくささに、二人で山を散歩する、‥せめて、私たちの生活をして二二ケ三ぐらゐであらしめたい、などと話しながら。‥‥
待つていた三人がやつてきた、枯れ枝を焚いて酒をあたため飯を炊く、ヂンギスカン鍋はうまかつた、みんな酔ふた。
それから三人は街へ、どろどろ、どろどろになる、私は私の最後の一銭まではたいた。
私が最初に帰庵、そけから敬君、最後に樹明君、一枚のフトン、一つのコタツに三人が寝た。

※表題句の外、4句を記す


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2012年1月21日土曜日

夢の女の手を握つたりなどして夢

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―温故一葉― 田中恒子さんへ

 先日は、突然の電話で、さぞ驚かせたことと思います。
図録、拝受。昔の巻手紙のような、いささか型破りな体裁に驚きましたが、見ていくうちに、美術館に行って諸作品を観ているかのような、そんな工夫なのだと合点、思わずニヤリと笑ってしまいました。
お言葉通り、50円切手50枚を同封させていただきます。ご査収下さい。
時折、九条へも行くことがあるので、偶にひょいと覗いては、義次君と話をすることもあります。
彼が大学卒業後、豊中市役所に就職したのも、幼い頃の一時期を豊中に住んでいた事と遠くつながっていたのかも知れないな、などとそんな連想も、ご本を読みながら思い浮かびました。
大変不躾とは思いつつ、いくつかの雑文と2冊の本を同封させていただきます。
一つは、中原喜郎氏-市岡14期-の作品集。間質性肺炎を罹病していた彼は’06年12月に急死しました。私の手許に二冊ありましたので、お手許にお加えいただければ幸いです。
あと一つは、あまりに私的なものでまことに申し訳ないのですが‥。
この世にはよくある不幸事、それが偶々何の因果かこの身にも降りかかったにすぎないのですが‥。
ちらりと読み捨てていただければ、と思います。
70歳を越えて、コンテンポラリーダンスに嵌まり、成ヤンこと北村成美の追っかけをしているとのこと。
益々、お元気に、老いにこそある青春を謳歌してください。 -2012.01.21-

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三年前のいつ頃だったか、新聞紙面に大きく紹介された現代美術作品のコレクター田中恒子女史、その写真を見て驚いた。
なんと私が子ども時代を過ごした九条の家の隣人、しかも中学・高校とずっと一緒で仲良しだった同級生のすぐ上のお姉さんだったのだ。家族同士で一緒にハイキングに行ったことも何度かある。
旧姓は水島といい、高校も市岡で4年先輩にあたる11期生。大阪市大の家政学部へ進学、後に京大大学院を経て、市大の教授となられ、退官後は名誉教授にある。
20年余り前から現代美術のコレクションをはじめ、その数は積もり積もって1000点にのぼるという。彼女のコレクションが、'09年12月に和歌山県立近代美術館で「自宅から美術館へ」と題され、展覧会が催されていたのだが、このほどその図録が出版されていたのを知り、遅まきながら手に入れたいと思った。
出版社へ電話したら、すでに在庫はないが、女史の手許にいくらかは残っているかもしれないので、連絡先を教えるから電話されたら、と。
そんな次第で、電話を介してながら、半世紀ぶりかの女史とご対面ならぬご対聞となった。
二日後、件の図録が送られてきた。

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―山頭火の一句― 其中日記-昭和9年-261

2月9日
朝は曇って寒くて、いまに雪でもふりだしさうだつたが、だんだん晴れてきてぬくうなつた、吹く風は冷たいけれど。
山をあるく、風がさわがしい、枯枝をふんで寂しい微笑をさがすといふのが、ロマンチケルだ。
午後、岐陽さん呂竹さん、来庵、珍品かたじけなし、といふ訳で、さつそく一杯やつて御馳走ちようだい、うまいうまい。
敬坊はいまだに帰らない、アヤシイゾ!
街へ出かけるとて、書きのこして曰く、アブラ-いろいろのアブラ-買ひに! よかつたね!
やりきれなくなつて、街まで出かけて熱い湯にはいる、戻つてくると、庵には灯がついてゐる、敬坊が炬燵にぬくぬくと寝てゐるのだつた。
酒と米とを持つてくることを忘れない彼は涙ぐましい友情を持ちつづけてゐる、彼に幸福あれ、おとなしく飲んで、いつしよに寝る、一枚の蒲団も千枚かさねたほどあたたかだつた。‥‥

※表題句の外、10句を記す


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2012年1月17日火曜日

まがらうとしてもうたんぽゝの花

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-日々余話- 地震-なゐ-の句

「国一つたたきつぶして寒のなゐ」 安東次男
「白梅や天没地没虚空没」 永田耕衣
「寒暁や神の一撃もて明くる」 和田悟朗
「地震(なゐ)の夜の林檎ニッポンは滅びますか」 奥坂まや

あの阪神・淡路の震災から17年-
その歳月は被災した街をどのように変貌させてきたのか‥
朝刊の見開きには、292箇所あるという震災モニュメントマップの全容が、掲載されていた。
一方、すでに神戸市民の4割が震災を経験していない、という現実もある。

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―山頭火の一句―
其中日記-昭和9年-260

2月8日
日が射してゐたが、雪となつた、春の粉雪がさらさらとふる、もう春だ、春だとよろこぶ。
敬坊は県庁へ、私は身辺をかたづける。
朝の紅茶はおいしかつた、樹明君ありがたう。
友からあたたかいたよりのかずかず、ありがたう、ありがたう。
小鳥よ、猟銃のひびきは呪はしいかな。
老眼がひどくなつて読書するのにどうも工合が悪い、妙なもので、老眼は老眼として、近眼は近眼として悪くなる、ちょうど、彼女に対して、憎悪は憎悪として、感謝は感謝として強くなるやうに。
夕、樹明来、ハムを持つて、――敬坊不帰、ハテナ!
鰹節を削りつつ、それを贈つてくれた友の心を感じる、桂子さん、ありがたう。
年齢は期待といふことを弱める、私はあまり物事を予期しないやうになってゐる、予期することが多いほど、失望することも多い、期待すれば期待するだけ裏切られるのである。例へば、今日でも、敬坊の帰庵を待つてゐたけれど、間違なく、十中の十まで帰庵するとは信じてゐなかつた、彼も人間である、浮世の事はなかなか知れないと思ふ、だから私は今夜失望しないではなかつたけれども、あんまり失望はしなかつた、ひとりしづかにハムを食べ、ほうれんさうのおひたしを食べて、ひとりしづかに寝た、――これは敬坊を信じないのではない、人生の不如意を知つてゐるからである。
石油がきれたのには困つた、先日来の不眠症で、本でも読んでゐないと、長い夜がいよいよますます長くなるのである。
銭がほしいな、一杯やりたいな、と思つたところでいたし方もありません。

※表題句の外、17句を記す


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2012年1月12日木曜日

冬の山が鳴る人を待つ日は

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―日々余話― ご年詞

正月の松の内とは、近年はどうやら7日説が有力のようだが、抑もは15日までを指した筈。
今日はまだ12日だから、遅まきながらとはいえ、この場を借りて年始の挨拶を掲げても、咎め立てはうけまい。

今夕、受け取ったおケイさん-河東けい-からの手紙-
韓国の演出家による「小町風伝」が近くあるというのは知っていたが、おケイさん-河東けい-が、その小町を演じるとは、つゆ知らず‥。彼女からの書面で知るところとなったが、その添書きがおもしろい。

「もともと、無言の100才の老婆の筈!
なのに、喋るワ、踊らんならんワ、うたわんならんワ。
エーッ、何やらすんやと、ノイローゼです。
1月9日から稽古、どんなことになるか分りませんが、どうぞご覧になって下さい」と。

コイツは、どうでも観に行かずばなるまいネェ。

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―山頭火の一句― 其中日記-昭和9年-259

2月7日
快晴、心身ややなつたやうだ。
昨夜もねむれなかつた、ほとんど徹夜して読書した。
心が沈んでゆく、泥沼に落ちたやうに、――しづかにして落ちつけない、落ちついてゐていらいらする、それは生理的に酒精中毒、心理的には孤独感からきていることは、私自身に解りすぎるほど解つてはゐるが、さて、どうしようもないではないか!
その根本は何か、それは私の素質-temperament-そのものだ。
生きてゐることが苦しくなつてくる、といつて、死ぬることは何となく恐ろしい、生死去来は生死去来なりといふ覚悟はもつてゐるつもりだけれど、いまの、ここの、わたしはカルチモンによつてでもゴマカすより外はない!
シヨウチユウを二杯ひつかけてきた、むろんカケだ、そして樹明君を訪ねて話す。
風、風がふく、風はさびしい。
昼寝、何ぞ夢の多きや、悪夢の連続だつた。-略- 
蓑虫がぶらりとぶらさがつてゐる、蓑虫よ、殻の中は平安だらう、人間の私は虫のお前をうらやむよ。-略-
待つてゐた敬坊がやつてきてくれた、間もなく樹明君もきてくれた、お土産の般若湯がうまいことうまいこと。
それから三人で雨の中を街へ、ほどよく飲み直して戻る、樹明君よく帰りましたね、敬治君よく泊りましたね、そして山頭火もよく寝ましたよ。
ほんに、とろとろ、ぐうぐうだつた!

※表題句の外、24句を記す

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Photo/「うしろすがたの‥山頭火」初演の舞台より-19年前だから我ながらさすがに若い


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2012年1月10日火曜日

ランプともせばわたしひとりの影が大きく

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―日々余話― 2011逝き去りし人々

警察庁調べによれば6日現在、死者15,844名・行方不明3,450名という東日本大震災の犠牲者―
この国の歴史に否応なく大きな刻印を残すことになる「3.11」の年が暮れ、新しい年が明け早くも10日。
偏狭で渺々たる個の想像力から、この凄絶で圧倒的な質量の凶事についてなにがしか語りうる、とは到底思えず、ただひたすら頭を垂れ黙するしかないのだが、それとは別次に日々メデイアから届けられた訃報の数々、2011年の逝き去りし人々を遅まきながらこうして列挙し一瞥しておくことは、まったく私的意味あいからここ数年続けてきたことなれば‥‥。

1月-03.邦画で活躍していた坂東鶴之助時代が憶い出される5世中村富十郎-81歳/05.ロカビリーで名を馳せた山下敬二郎-71歳/11.真言密教学者の宮坂宥勝-89歳/14.マルチに活躍したTVDr・Pd和田勉-80歳/文学座出身の俳優・細川俊之-70歳/21.大阪府知事だった岸昌-88歳/23.いとこい兄弟コンビで絶妙の突っ込み芸だった喜味こいし-83歳/26.戦前からの映画女優花柳小菊-89歳

2月-05.岐阜ではぐるま座を率いた劇作家こばやしひろし-83歳/獄中で病死の元連合赤軍死刑囚永田洋子-65歳/17.劇作とシナリオ作家の小幡欣治-83歳/28.通算打率.311、ハワイ出身だが読売巨人で活躍した与那嶺要-85歳

3月-03.美術評論の中原佑介-79歳/08.文芸評論の矢沢永一-81歳/10.コント55号の坂上二郎-76歳/15.射程のひろい美術評論をものした瀬木慎一-80歳/23.リズことエリザベス・テイラー-79歳/25.分子生物学者柴谷篤弘-90歳/30.講談社の野間佐和子-67歳/31.新日本文学会からの作家・評論家いいだもも-85歳

4月-7.詩と童話の岸田衿子-82歳/13.美術写真建築と多岐にわたる評論をものした多木浩二-82歳/21.スーちゃんこと田中好子-55歳/23.在日詩人宗秋月-66歳/28.冤罪事件「真昼の暗黒」こと八海事件被告だった阿藤周平-84歳

5月-2.イスラム過激派指導者ウサマ・ビン・ラディン-54歳/6.SM耽美派作家団鬼六-79歳/9.舞踊家邦千谷-100歳/16.TVクイズ司会の俳優児玉清-77歳/21.映画一家の俳優長門裕之-/30.詩人の清水昶-70歳

6月-04.連合会長だった笹森清-70歳14.M.ポンティ共訳の哲学者滝浦静雄-84歳

7月-10.国際的バレエ振付者のローラン・プティ-87歳/12.TV司会で活躍した宮尾すすむ-77歳/19.俳優座出身の個性俳優原田芳雄-71歳/26.「日本沈没」の作家小松左京-70歳

8月-04.現役のサッカー選手松田直樹-34歳/05.大橋巨泉とともに一世を風靡した前田武彦-82歳/10.一発屋ヒットの日吉ミミ-64歳/14.歌人の河野裕子-64歳/15.読売グループ社主正力亨-92歳/16.戦前からの歌手二葉あき子-96歳/20.大蔵流狂言の4世茂山忠三郎-83歳/21.長年鬱病に苦しんだ俳優の竹脇無我-67歳/31.日本近代史の学者遠山茂樹-97歳

9月-20.演劇評論家菅井幸雄-84歳/21.俳優の杉浦直樹-79歳/23.テノールの代表的声楽家五十嵐喜芳-83歳/モダンダンスのアキコ・カンダ-75歳/24.日活青春映画の山内賢-67歳

10月-03.具体作家の元永定正-88歳/05.アップル創始者スティーブ・ジョブズ-56歳/10.歌舞伎の7世中村芝翫-83歳/12.「上海バンスキング」の劇作家斉藤憐-70歳/15.関西で活躍した作曲家奥村英夫-75歳/24.「どくとるマンボー」の作家北杜夫-84歳

11月-01.シナリオ作家石堂淑郎-79歳/05.参議院議長現職だった西岡武夫-75歳/07.暴行疑惑の騒動のなか急死した鳴門親方(元隆ノ里)-59歳/21.稀代の革新的落語家立川談志-75歳/25.プロ野球の名宰相西本幸雄-91歳

12月-05.次期衆院選再出馬を決めていた公明党の冬柴鐵三-75歳/08歌曲・オペラ・交響曲など多彩な作曲活動の三木稔-81歳/09.「千恵っ子よされ」の岸千恵子-69歳/10.阪神大震災時の神戸市長だった笹山幸俊-87歳/シナリオ作家の市川森一-70歳/17.北朝鮮の金正日-70歳/20.映画監督の森田芳光-61歳/24.ガン宣告から手術・延命治療を拒否して逝ったTV俳優入川保則-72歳/25.これまた戦後の一時期、邦画に進出していた歌舞伎の10世岩井半四郎-84歳/プロゴルファーとして草分け的存在の杉原輝雄-74歳


―山頭火の一句―
其中日記-昭和9年-258

2月6日
くもり、何か落ちてきさうだ。
うれしいたよりがあつた。
やうやく句集壱部代入手、さつそく米を買ふ、一杯ひつかける、煙草を買ふ。
‥‥四日ぶりに御飯を炊く、四日ぶりにぬく飯を食べる。あたたかい飯のうまさが今更のやうに身にしみる。
酒もやつぱりうまい、足りないだけそれだけうまい。
山を歩く、あてもなく歩くのがほんたうに歩くのだ。
枯れ木も拾ふたが句も拾ふた。
味ふ、楽しむ、遊ぶ―それが人生といふものだらう、それ自体のために、それ自体になる―それがあそびである、遊行といふ言葉の意義はなかなかに深遠である。
仏法のために仏法を修行する、仏法をも忘れて修行するのである。

※表題句の外、6句を記す

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Photo/其中庵の庭にある句碑「いつしか明けてゐる茶の花」-2011.04.30撮影


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