2011年5月25日水曜日

ひとりをれば蝿取紙の蝿がなく

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―四方のたより― <脱成長>と<ポスト開発>

「経済成長なき社会発展は可能か?」セルジュ・ラトゥーシュ著、中野佳裕訳
3.11の大震災以後、日本中が福島原発事故のもたらす深刻な恐怖下にある事態のなか、折しも本書を繙くのは時宜に適ったものとは思われつつも、じっくりと読み進めるのはかなりの根気を要するものであった。

本書は4つの部分から成っている。第1部と第2部は、04年と07年にそれぞれフランスで刊行されたラトゥーシュの二著を合本翻訳されたもの。短かく挿入的な第3部は仏雑誌「コスモポリティーク」による著者へのインタビュー記事-06-。そして訳者による詳細なラトゥーシュ解説が第4部といった構成。

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第1部<ポスト開発>という経済思想―経済想念の脱植民地化から、オルタナティブ社会の構築へ
 序章 <ポスト開発>と呼ばれる思想潮流
 第1章 ある概念の誕生、死、そして復活
 第2章 神話と現実としての発展
 第3章 「形容詞付き」の発展パラダイム(社会開発、人間開発、地域開発/地域発展、持続可能な発展、オルタナティブな開発)
 第4章 発展主義の欺瞞(発展概念の自文化中心主義、現実に存在する矛盾―実践上の欺瞞)
 第5章 発展パラダイムから抜け出す(共愉にあふれる〈脱成長〉、地域主義)
 結論 想念の脱植民地化

第2部 <脱成長>による新たな社会発展―エコロジズムと地域主義
 序章 われわれは何処から来て、何処に行こうとしているのか?
 第1章 <脱成長>のテリトリー(政治家の小宇宙における未確認飛行物体、<脱成長>とは何か?、言葉と観念の闘い、<脱成長>思想の二つの源泉、緑の藻とカタツムリ、維持不可能なエコロジカル・フットプリント、人口抑制という誤った解決法、成長政治の腐敗)
 第2章 <脱成長>-具体的なユートピアとして(<脱成長>の革命、穏やかな<脱成長>の好循環―八つの再生プログラム-再評価する、概念を再構築する、社会構造を組み立て直す、再分配を行う、再ローカリゼーションを行う、削減する、再利用する/リサイクルを行う、地域プロジェクトとしての<脱成長>-地域に根差したエコロジカルな民主主義の創造、地域経済の自律性を再発見する、<脱成長>的な地域イニシアチブ-縮小することは、退行を意味するのか?、南側諸国の課題、<脱成長>は改革的なプロジェクトか、それとも革命的なプロジェクトか?)
  第3章 政策としての<脱成長>(<脱成長>の政策案、<脱成長>社会では、すべての人に労働が保障される、<脱成長>によって労働社会を脱出する、〈脱成長〉は資本主義の中で実現可能か?、<脱成長>は右派か、それとも左派か?、<脱成長>のための政党は必要か?)
 結論 <脱成長>は人間主義か?

第3部 インタビュー「目的地の変更は、痛みをともなう」

第4部 日本語版解説―セルジュ・ラトゥーシュの思想圏について(中野佳裕)
 1. セルジュ・ラトゥーシュの研究経歴と問題関心(フランス社会科学におけるラトゥーシュの位置付け、ラトゥーシュの思想背景、科学認識論プロジェクト―経済想念の解体作業)
 2. 解題『〈ポスト開発〉という経済思想』(開発=西洋化―われわれの<運命>の問題として、発展パラダイムの超克―インフォーマル領域の自律性)
 3. 解題「<脱成長>による新たな社会発展』(<脱成長>論――その歴史と言葉の意味、エコロジカルな自主管理運動としての<脱成長>論)
 4. 日本におけるラトゥーシュ思想の位置付け
 5. 結語 日本社会の未来のために―平和、民主主義、〈脱成長〉

―今月の購入本―
エルンスト.H.カントローヴィチ「王の二つの身体-上」ちくま学芸文庫
エルンスト.H.カントローヴィチ「王の二つの身体-下」ちくま学芸文庫

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 03年刊行文庫版の第2刷が昨秋発刊され、ようやく手に入る。

亀井孝編「日本語の歴史-別巻-言語史研究入門」平凡社ライブラリー
中川真編「これからのアートマネージメント」フィルムアート社
板坂耀子「江戸の紀行文-泰平の世の旅人たち」中公新書

佐藤春夫他「方法の実験-全集現代文学の発見-第2巻」学藝書林
大岡昇平他「存在の探求-下-全集現代文学の発見-第8巻」学藝書林
野間宏他「青春の屈折-下-全集現代文学の発見-第15巻」学藝書林
 学藝書林の上記3冊は60年代に編まれたシリーズの新装版、中古書

萩尾望都「残酷な神が支配する」-全10巻-小学館文庫
 その昔、光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」は、萩尾望都の劇画でも読んだことがあった。この10巻本は吉本ばななの薦めにのせられて。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-164

6月22日、同前。晴曇さだめなし。
小串へゆく、もう夾竹桃が咲いてゐた、松葉牡丹も咲いてゐた。
あんまり神経がいらだつので飲んだ、そして飲みすぎた、当面の興奮はおさまつたが、沈衰がやつてきた、当分また苦しみ悩む外ない。
笑へない喜劇、泣けない悲劇、それが私の生活ではないか。
寺領借入の交渉が頓挫した、時々一切を投げだしたいやうな気分になる、こんなにまでして庵居しなければならないのか。‥‥
子供はほんたうに騒々しい、耳をふさいでゐた。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/山頭火が長逗留した山頭園のすぐ坂下に建つ、コルトーゆかりの音楽ホールを併設するモダンな外観の川棚の杜-川棚温泉交流センター-がOpenしたのは昨年1月。


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