2011年6月13日月曜日

ひさしぶり逢へたあんたのにほひで

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―四方のたより― しっかり-6159歩

久しぶりに早朝の散歩。
二日つづきの大雨がやっと霽れて、夏至も近い頃合の午前5時はすでに薄明りで、歩くにつれどんどん明るくなっていく。
住吉公園をぐるりと周回してから大社の方へと足を運んだが、どっこいいずれの門扉も閉じられていて、境内には入れない。開門は4月~9月は午前6時、10月~3月は午前6時30分と表札にあり、時計を見ればまだ5時半、やむをえず社塀に沿って南の方へ廻ると、ほぼ正方形の広い御田に出会す。
田圃の中央には櫓造りの舞台が設えられてあり、細
い橋懸りが手前の岸へと伸びている。明14日が例年行われる御田植祭だそうで、なるほど周囲にはテントが張られパイプ椅子も所狭しと並べられていた。
あまりご無沙汰だった所為か、歩き始めて30分も経つと、情けないことにへばってきて運びが緩む。やっぱり日々継続してなくてはダメだネと、ちょっぴり反省しつつも、あとはのんびりと歩いて帰参。
歩行計によれば「しっかり-6159歩-53分」とあった。

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記憶では70年代後半から80年代にかけてほぼ毎号のように購読していた青土社の月刊誌「現代思想」、30年ぶりになるか、特集「うつ病新論」の2月号を取り寄せ、このほど通読、雑誌をほぼ隅から隅まで読み切るなどとんと久しいことだけれど、私にとってはそうさせるだけの内容であった。
以下、参考になった論考を目次順に列挙しておく-
・立石真也「社会派の行き先-4」連載
・特集対談討議-内海健/大澤真幸「うつ病と現在性-<第三者の審級>なき主体化の行方」
・鈴木國文「<うつ>の味-精神科医療と噛みしめがいの薄れた<憂うつ>について」
・津田均「<うつ病>と<うつの時代>」
・熊木徹夫「<らしさ>の覚知-診断強迫の超克」
・村上靖彦「固有名とその病理」
・小泉義之「静かな生活-新しいことは起こらないこともありうる-アレント」
・粥川準二「バイオ化する社会-うつ病とその治療を例として」
・柳澤田実「ノンコミュニケーション-生の流れを妨げない思考のために」
・美馬達哉「ホモ・ニューロエコノミクスの憂うつ」

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-168

6月26日、同前。
曇、近郊散策、気分よろし、御飯がうまい、但し酒はうまくない、これも人生の悲喜劇一齣だらう。
蚤はあたりまへだが、虱のゐたのにはちよいと驚いた、蝿や蚊はもちろん。
-略- 青龍園-妙青寺境内、雪舟築くところ-を改めて鑑賞する、自然を活かす、いひかへれば人為をなるたけ加へないで庭園とする点に於てすぐれてゐると思ふ、つゝじとかきつばたとの対照融和である-萩が一株もう咲いてゐた-。
午後はあてどもなく山から山へ歩く、雑草雑木が眼のさめるやうなうつくしさだ、粉米のやうな、こぼれやすい花を無断で貰つて帰つた。
おばさんが筍を一本下さつた、うまい、うまい筍だつた、それほどうまいのに焼酎五勺が飲みきれなかつた!-明日は間違なく雨だよ!-
ほんたうに酒の好きな人に悪人がゐないやうに、ほんたうに花を愛する人に悪人はゐないと思ふ。
改造社の俳句講座所載、井師の放哉紹介の記録を読んで、放哉は俳句のレアリズムをほんたうに体現した最初の、そして或は最大の俳人であると今更のやうに感じたことである。
「刀鋒を以て斬るは勝つ」、捨身剣だ、投げだした魂の力を知れ。
-略- 今朝はめづらしくどこからも来信がなかつた、さびしいと思つた、かうして毎日々々遊んでゐるのはほんたうに心苦しい、からだはつかはないけれど、心はいつもやきもきしてゐる、一刻も早く其中庵が建つやうにと祈つてゐる。‥‥
近頃また不眠症にかかつて苦しんでゐる、遊んで、しかも心を労する私としては、それは当然たらうて。

※表題句には「緑平老に」前書あり、この句の外7句を記す

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Photo/妙青禅寺境内の雪舟作と伝えられる庭


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2011年6月10日金曜日

待つてゐるさくらんぼ熟れてゐる

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―表象の森― 「江戸の紀行文」を読む

著者板坂耀子は’46年生れ、昨年3月、福岡教育大教授を定年退官した、と。
曰く、芭蕉の「おくのほそ道」は名作だが、江戸時代の紀行としては異色の作であり、作為に満ちて無理をしている不自然な作である。この異色の名作「おくのほそ道」でもって、江戸期に花開いた二千五百二余る数多の紀行が、正当な評価も得ることなく、文学史から顧みられることなく終始してきたことに対し、まず一石を投じ、俳諧の世界ではともかく、紀行作家たちの中では、芭蕉の影響は皆無に近く、彼やその作品と関係ない場所で、近世紀行を生み育てる営みは行われていた、と。
その背景には、「参勤交代というシステムが、各大名を軸として中央の文化と地方の文化を上手に混ぜ合わせ-略-、各藩毎の地方文化を、少なくともその上澄みの部分に於いては極めてハイ・レベルで均質なものとする事に成功した。」という中野三敏-西国大名の文事-の説を引き、旅が娯楽化し、都から鄙へという図式が崩れていったことがある、と。

芭蕉より少し時代を下った江戸中期の上田秋成が、紀行「去年の枝折-コゾノシヲリ-」の中で、旅先で会った僧の意見として、芭蕉に対し悪態をついているとして引用している。
「実や、かの翁といふ者、湖上の茅檐、深川の蕉窓、所さだめず住みなして、西行宗祇の昔をとなへ、檜の木笠竹の杖に世をうかれあるきし人也とや、いともこゝろ得ね。-略- 八洲の外行浪も風吹きたゝず、四つの民草おのれおのれが業をおさめて、何くか定めて住みつくべきを、僧俗いづれともなき人の、かく事触れて狂ひあるくなん、誠に尭年鼓腹のあまりといへ共、ゆめゆめ学ぶまじき人の有様也とぞおもふ。」

以下、二章から十章までほぼ時代を追って、異色の芭蕉ならず、主流となった江戸紀行の作者たちを紹介していく。
名所記としての、林羅山「丙辰紀行」-1616頃-
寺社縁起としての、石出吉深「所歴日記」-1664頃-
実用性と正確さに徹した、博物学者貝原益軒の紀行「木曽路紀」-1685-「南遊紀事」-1689-
益軒の曰く、「詩のをしへは温厚和平にして、心を内にふくみてあらはさず。是、風雅の道、詩の本意なるべし。-略-ことばたくみにしかざり、ことやうなる文句をつくりて、人にほめられんとするは、詩の本意にあらず。故に詩を作る人、学のひまをつひやし、心をくるしむるは、物をもてあそんで、志をうしなふ也。かくの如くにして詩を作るは、益なく害ありて無用のいたづら也。風雅の道をうしなへり。歌を作るも又同じ。」-文訓-

古学者本居宣長の「菅笠日記」-1795-
宣長は、見るもの聞くもののみならず、自らの心の内にわきおこる、さまざまな相反する感情まで何一つ切り捨てず、最大限にとりいれてこの紀行を書こうとした。彼の文体は、明晰で平明で、かつ雅文の格調や品位を失うことがない。益軒が生み出した力強さや多彩さをとりいれつつ、ひとりの個人の内面を描く古来からの日記文学とも合体し、新しい時代の紀行文学として成立させている、と。

奇談集としての、橘南谿「東西遊記」-1795頃-
古川古松軒の蝦夷紀行「東遊雑記」-1788頃-
女流紀行としての、土屋斐子「和泉日記」-1809頃-
江戸紀行の集約点としての、小津久足「青葉日記」

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<日暦詩句>-30-
なんといふ駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
真っ黒なかたまりが
投げこまれる
 -石原吉郎詩集「サンチョ・パンサの帰郷」所収「葬式列車」より-昭和38年-

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-167

6月25日、同前。晴后曇、梅雨の或る日は、といつたやうな気分。
朝焼けはうつくしかつた-それは雨を予告するのだが-、自然のうつくしさが身心にしみいるやうだつた。
朝、青草-壺に投挿すために-5.6本を摘んだ、露も蜘蛛もいつしよに。
燕の子が、いつのまにやら巣立つてゐる、それらしいのがをりをり軒端近く来ては囀づる。
水田もまた、いつのまにやら、いちめんの青田となつてゐる、そして蛙が腹いつぱいの声でうたうてゐる。
生きのよい鯖が一尾8銭だつた、片身は刺身、塩焼きにして食べた、おいしかつた、焼酎一合11銭、水を倍加して飲んだがうまくなかつた。
たしかにアルコールに対する執着がうすらぎつつある、酒を飲まないのではなくて飲めなくなるらしい、うれしくもあり、かなしくもあり、とはこのことだ。
捨てられて仔猫が鳴きつづけてゐる、汝の運命のつたなきを鳴け、といふ外ない。
新聞配達の爺さんが、明日からは魚を持つてまゐりますから買うて下さいといふ、新聞と生魚! 調和しないやうで調和してゐると思ふ。

※記載は表題句のみ。

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Photo/妙青禅寺境内にある山頭火句碑


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2011年6月1日水曜日

蝿がうるさい独を守る

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―四方のたより― 承前、ふたり旅Repo-2
4月30日、曇、宿で朝食を摂って津和野を発ったのは午前9時頃、またも国道9号線へ出て一路山口市へと向う。街の中心部を通り過ぎるとやがて小郡。その小高いあたりに山頭火の其中庵がある。以前に訪れたのはかれこれ15.6年前になるのだろうか、復元されたのが平成4年というから成ってまだまもない頃だった訳だ。
其中庵を後に、今度は国道2号線を走って下関市へ入り、川棚温泉へと向うため国道491号線へ。

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  Photo/其中庵前庭の句碑「母よ、うどんそなへてわたしもいたゞきまする」

川棚に着いたのはもう昼近く。此の地に庵居を求めた山頭火が、昭和7年6月から百余日滞在したという宿の木下屋は、妙青禅寺山門下に山頭園と名を変えて今も残っている。寺の本堂裏には小ぶりながら瀟洒な佇まいの雪舟築庭。門前の坂道を少し下った所にはモダンな建築の川棚温泉交流センター。
卵白などのアレルギーがあるKAORUKOに瓦そばは無理だろうと、昼食には近くのイタリアンカフェでパスタを賞味。
腹も満たされ、次に訪れたのがこんもりと茂った森深くにある三恵-さんね-寺。愛敬たっぷりにさまざまな表情をたたえた石仏たちに混じってパチリ。
それからまた少し車を走らせて川棚のクスの森へ。この大楠殿にはKAORUKOもさすがにビックリの態。

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  Photo/三恵寺境内の石仏たちと

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  Photo/大楠を背景にKAORUKO

これで川棚ともおさらば、山陰本線と並行するように国道191号線を北上するが、数キロも走らないうちに海岸近くの小高いところにあって、遙か洋上に北九州の山脈や壱岐を見はるかす福徳稲荷神社へと立ち寄る。

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  Photo/海辺の山腹に建つ福徳稲荷神社

次に目指すは2000年の完成以来、山口県下で人気の観光スポットになったという角島大橋。響灘の海岸沿いをしばらく北上すると、やがて191号と分かれて県道275号となるが、それも5分ばかり走って左へ折れると、全長1780m、中ほどにアップダウンのあるラインが碧い洋上に浮かんでいるのだが、折悪しく天気は雨混じりの荒れ模様。
車から降りてゆっくり眺めるほど時間もないから、ただ角島へと渡って折り返すのみ。

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  Photo/雨にけむる角島大橋

あとは長門の仙崎を目指してひた走る。仙崎の港に着いたのはかれこれ午後4時半頃だったろう。
今夜の宿のある青海島へ渡る前に、金子みすゞの記念館に立ち寄る。いまどきの子どもにとってみすゞの詩はお馴染だ、KAORUKOも小3の教科書に出てきた「不思議」ですでにご対面している。

 「私は不思議でたまらない、
  黒い雲からふる雨が、
  銀にひかっていることが。」
 「私は不思議でたまらない、
  青い桑の葉たべている、
  蚕が白くなることが。」
 「私は不思議でたまらない、
  誰もいじらぬ夕顔が、
  ひとりでぱらりと開くのが。」
 「私は不思議でたまらない、
  誰にきいても笑ってて、
  あたりまえだ、といふことが。」

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  Photo/みすゞ記念館の金子文英堂

館内を一巡して、金子文英堂の玄関を出ると、真向かいに「みすゞこうぼう」の看板があったので、そろりと入ってみると、60年配のおじさんが独り、ぼそっと座っていた。
もりいさむというその御仁、みすゞの詩ばかり90編も曲にのせて唄っているというフォークシンガーだそうで、話をしているうちに興が乗ったか、店の奥に設えた小さなstageで一曲ご披露していただいたので、お礼に彼のCDを買い求めてサヨナラした。

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  Photo/みすゞの詩を唄うへんな小父さんもりいさむ氏と

橋を渡って青海島の宿へ着いたのが午後6時過ぎ。此処では夕食の予約をしていないので、ひとしきり寛いでからまたぞろ仙崎の町へと車で出かける。アレルギー体質の所為でとかく偏食のKAORUKOには寿司なんぞがよかろうと、港に面した店で舌鼓。
翌朝、小さな旅のちょっとしたアクセントにと、船で青海島めぐりをするべくまたも仙崎の港へ。海からぐるりと青海島を一周するコースで、所要時間が90分、大人2200円と小学生1100円、計3300円也。乗船待ちのあいだに開けたばかりの土産物屋の軒先で名代の蒲鉾を買い求めた。
雨まじりの風が吹きつける荒れ模様の天候のなか、定員30人ばかりの小さな船が島を廻って外海へとピッチをあげる。そそり立つような断崖、数々の奇岩や洞窟など、次から次と経巡って船は走る。その景観と船の運びのリズムがずいぶんと変化に富んでいた所為か、心配された船酔いもなくKAORUKOは元気にタラップを降りた。

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  Photo/青海島奇岩の一、仏岩

このぶんならこのまま帰路に向かわず、昨日立ち寄れなかった油谷の棚田へと遠回りしても大丈夫とみて、国道191号を引き返す。
油谷の東後畑あたりは、もう11時を過ぎているというのに深い霧の中、棚田の絶好ポイントも視界はまったく霞んでいるばかりで、わざわざ来たのにこれでは拍子抜け。このまま立ち去る訳にも行かず、狭い農道を海岸線の方へとさらに降りていけば、霧も切れてきて、やっと棚田の景色とご対面が叶い、不承々々ながらもとりあえずは納得。

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  Photo/油谷東後畑の棚田

あとは一目散に帰路をとる。191号線から美祢線の316号線へ、美祢INから中国道、山口JCから山陽道と、途中三度のトイレ休憩を挟んで、530km余りをひたすら走らせるも、案の定、三木JCの手前あたりから渋滞の憂きの目に。挙げ句、宝塚トンネルまでの渋滞を抜けるのに1時間半を要したものの、午後7時前には無事三日ぶりのご帰還となった。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-166

6月24日、同前。やうやく晴となつた。
妹から心づくしの浴衣と汗の結晶とを贈つてくれた、すなほに頂戴する。
血は水よりも濃いといふ、まつたくだ、同時に血は水よりもきたない。
小串へ出かけて、予約本二冊を受取る、俳句講座と大蔵経講座、これだけを毎月買ふことは、私には無理でもあり、贅沢でもあらう、しかし、それは読むと同時に貯へるためである、此二冊を取り揃へて置いたならば、私がぽつかり死んでも、その代金で、死骸を片づけることが出来よう、血縁のものや地下の人々やに迷惑をかけないで、また、知人をヨリ少く煩はして、万事がすむだらう-こんな事を考へて、しかもそれを実行するやうになつただけ、私は死に近づいたのだ-。
近来、水-うまい水を飲まない、そのためでもあらうか、何となく身心のぐあいがよろしくない、よい水、うまい水、水はまことに生命の水である、ああ水が飲みたい。
蝿取紙のふちをうろうろしてゐる蝿を見てると、蝿の運命、生きもののいのち、といつたやうなものを考へずにはゐられない。
終日終夜、湯を掘つてゐる、その音が不眠の枕にひびいて、頭がいたんできた。
今日は書きたくない手紙を三通書いた、書いたといふよりも書かされたといふべきだらう、寺領借入のために、いひかへれば、保証人に対して私の身柄について懸念ないことを理解せしめるために、-妹に、彼に、彼女に、-私の死病と死体との処理について。-
鬱々として泥沼にもぐつたやうな気分だ、何をしても心が慰まない、むろん、かういう場合にはアルコールだつて無力だ、殊に近頃は酒の香よりも茶の味はひの方へ私の身心が向ひつつあることを感じてゐる-それは肉体的な、同時に、精神的なものに因してゐると思ふ-。

※この日句作なし、表題句は6月21日所収

「書きたくない三通の手紙」-その相手、妹は防府近在大道の富農家に嫁いだという3歳下のシズのこと、彼は息子の健だが、この頃は秋田県の鉱山専門学校に在籍していた筈、そして彼女はむろん別れた妻咲野、熊本市内で二人ではじめた文具屋「雅楽苦多」を独りで営んでいる。

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  Photo/妙青禅寺の鐘撞堂

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2011年5月27日金曜日

炎天の影ひいてさすらふ

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―四方のたより― 炭鉱の記録画「世界の記憶」へ

「世界記憶遺産」というのもあったんだ。不明にして知りませんでした。
昨日の新聞紙面に載った、狭い坑道で働く半裸姿の男女を描いた絵。
半世紀を炭鉱で働いたという山本作兵衛-1892~1984-氏が、その記憶をたよりに描きつづけた墨画や水彩画が1000点以上、絵の余白にはどれも細かな筆跡で解説文が添えられているという。
その作品の内584点が田川市石炭歴史博物館などに寄贈され、福岡県有形民俗文化財に指定されているのだが、このたび日本初の「世界記憶遺産」に登録されたというのだ。

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ならば、世界の記憶遺産とは、他にどんなものが居並んでいるか。
英の「マグナカルタ」、仏の「人権宣言」、「グーテンベルクの聖書」、「ニューベルンゲンの歌」、ベートーヴェンの「交響曲第9番自筆譜」、イプセンの「人形の家筆写本」、「アンネの家」などなど。
その他、「英国カリブ領の奴隷達の登録簿(1817-1834)」や「ベルゼンの癩病記録文書」、韓国の「訓民正音解例本」、カンボジアの「ツゥールスレン虐殺収容所博物館」などまでも網羅されている。

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写真は「田川市ホームページ」より拝借転載

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-165

6月23日、同前。
空模様のやうに私の心も暗い、降つたり照つたり私の心も。‥
ふりかへらない私であつたが、いつとなくふりかへるやうになつた、私の過去はただ過失の堆積、随つて、悔の連続脱多、同一の過失、同一の悔をくりかへし、くりかへしたに過ぎないではないか、ああ。
払ふべきものは払つた、といつてはいひすぎる、ほがらかになつたやうである。
多少、ほがらかになつたやうである。

※この日句作なし、表題句は6月19日所収

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Photo/妙青禅寺の山門と石段- 11.04.30撮影-


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2011年5月25日水曜日

ひとりをれば蝿取紙の蝿がなく

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―四方のたより― <脱成長>と<ポスト開発>

「経済成長なき社会発展は可能か?」セルジュ・ラトゥーシュ著、中野佳裕訳
3.11の大震災以後、日本中が福島原発事故のもたらす深刻な恐怖下にある事態のなか、折しも本書を繙くのは時宜に適ったものとは思われつつも、じっくりと読み進めるのはかなりの根気を要するものであった。

本書は4つの部分から成っている。第1部と第2部は、04年と07年にそれぞれフランスで刊行されたラトゥーシュの二著を合本翻訳されたもの。短かく挿入的な第3部は仏雑誌「コスモポリティーク」による著者へのインタビュー記事-06-。そして訳者による詳細なラトゥーシュ解説が第4部といった構成。

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第1部<ポスト開発>という経済思想―経済想念の脱植民地化から、オルタナティブ社会の構築へ
 序章 <ポスト開発>と呼ばれる思想潮流
 第1章 ある概念の誕生、死、そして復活
 第2章 神話と現実としての発展
 第3章 「形容詞付き」の発展パラダイム(社会開発、人間開発、地域開発/地域発展、持続可能な発展、オルタナティブな開発)
 第4章 発展主義の欺瞞(発展概念の自文化中心主義、現実に存在する矛盾―実践上の欺瞞)
 第5章 発展パラダイムから抜け出す(共愉にあふれる〈脱成長〉、地域主義)
 結論 想念の脱植民地化

第2部 <脱成長>による新たな社会発展―エコロジズムと地域主義
 序章 われわれは何処から来て、何処に行こうとしているのか?
 第1章 <脱成長>のテリトリー(政治家の小宇宙における未確認飛行物体、<脱成長>とは何か?、言葉と観念の闘い、<脱成長>思想の二つの源泉、緑の藻とカタツムリ、維持不可能なエコロジカル・フットプリント、人口抑制という誤った解決法、成長政治の腐敗)
 第2章 <脱成長>-具体的なユートピアとして(<脱成長>の革命、穏やかな<脱成長>の好循環―八つの再生プログラム-再評価する、概念を再構築する、社会構造を組み立て直す、再分配を行う、再ローカリゼーションを行う、削減する、再利用する/リサイクルを行う、地域プロジェクトとしての<脱成長>-地域に根差したエコロジカルな民主主義の創造、地域経済の自律性を再発見する、<脱成長>的な地域イニシアチブ-縮小することは、退行を意味するのか?、南側諸国の課題、<脱成長>は改革的なプロジェクトか、それとも革命的なプロジェクトか?)
  第3章 政策としての<脱成長>(<脱成長>の政策案、<脱成長>社会では、すべての人に労働が保障される、<脱成長>によって労働社会を脱出する、〈脱成長〉は資本主義の中で実現可能か?、<脱成長>は右派か、それとも左派か?、<脱成長>のための政党は必要か?)
 結論 <脱成長>は人間主義か?

第3部 インタビュー「目的地の変更は、痛みをともなう」

第4部 日本語版解説―セルジュ・ラトゥーシュの思想圏について(中野佳裕)
 1. セルジュ・ラトゥーシュの研究経歴と問題関心(フランス社会科学におけるラトゥーシュの位置付け、ラトゥーシュの思想背景、科学認識論プロジェクト―経済想念の解体作業)
 2. 解題『〈ポスト開発〉という経済思想』(開発=西洋化―われわれの<運命>の問題として、発展パラダイムの超克―インフォーマル領域の自律性)
 3. 解題「<脱成長>による新たな社会発展』(<脱成長>論――その歴史と言葉の意味、エコロジカルな自主管理運動としての<脱成長>論)
 4. 日本におけるラトゥーシュ思想の位置付け
 5. 結語 日本社会の未来のために―平和、民主主義、〈脱成長〉

―今月の購入本―
エルンスト.H.カントローヴィチ「王の二つの身体-上」ちくま学芸文庫
エルンスト.H.カントローヴィチ「王の二つの身体-下」ちくま学芸文庫

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 03年刊行文庫版の第2刷が昨秋発刊され、ようやく手に入る。

亀井孝編「日本語の歴史-別巻-言語史研究入門」平凡社ライブラリー
中川真編「これからのアートマネージメント」フィルムアート社
板坂耀子「江戸の紀行文-泰平の世の旅人たち」中公新書

佐藤春夫他「方法の実験-全集現代文学の発見-第2巻」学藝書林
大岡昇平他「存在の探求-下-全集現代文学の発見-第8巻」学藝書林
野間宏他「青春の屈折-下-全集現代文学の発見-第15巻」学藝書林
 学藝書林の上記3冊は60年代に編まれたシリーズの新装版、中古書

萩尾望都「残酷な神が支配する」-全10巻-小学館文庫
 その昔、光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」は、萩尾望都の劇画でも読んだことがあった。この10巻本は吉本ばななの薦めにのせられて。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-164

6月22日、同前。晴曇さだめなし。
小串へゆく、もう夾竹桃が咲いてゐた、松葉牡丹も咲いてゐた。
あんまり神経がいらだつので飲んだ、そして飲みすぎた、当面の興奮はおさまつたが、沈衰がやつてきた、当分また苦しみ悩む外ない。
笑へない喜劇、泣けない悲劇、それが私の生活ではないか。
寺領借入の交渉が頓挫した、時々一切を投げだしたいやうな気分になる、こんなにまでして庵居しなければならないのか。‥‥
子供はほんたうに騒々しい、耳をふさいでゐた。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/山頭火が長逗留した山頭園のすぐ坂下に建つ、コルトーゆかりの音楽ホールを併設するモダンな外観の川棚の杜-川棚温泉交流センター-がOpenしたのは昨年1月。


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2011年5月10日火曜日

いたゞきは立ち枯れの一樹

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―四方のたより― J.P.デュピュイの「プロジェクトの時間」

過去と未来の閉じた回路である時間―未来はわれわれの過去の行為から偶然に生み出されるが、その一方で、われわれの行為のありかたは、未来への期待とその期待への反応によって決まるのである。

「大惨事は運命として未来に組み込まれている。それは確かなことだ。だが同時に、偶発的な事故でもある。つまり、たとえ前未来においては必然に見えていても、起こるはずはなかった、ということだ。‥‥たとえば、大災害のような突出した出来事がもし起これば、それは起こるはずはなかったのに起こったのだ。にもかかわらず、起こらないうちは、その出来事は不可避なことではない。したがって、出来事が現実になること―それが起こったという事実こそが、遡及的にその必然性を生み出しているのだ。」

もしも―偶然に―ある出来事が起こると、そのことが不可避であったように見せる、それに先立つ出来事の連鎖が生み出される。物事の根底にひそむ必然性が、様相の偶然の戯れによって現われる、というような陳腐なことではなく、これこそ偶然と必然のヘーゲル的弁証法なのである。この意味で、人間は運命に決定づけられていながらも、おのれの運命を自由に選べるのだ。
環境危機に対しても、このようにアプローチすべきだと、デュピュイはいう。大惨事の起こる可能性を「現実的」に見積もるのではなく、厳密にヘーゲル的な意味で<大文字の運命>として受け容れるべきである―もしも大惨事が起こったら、実際に起こるより前にそのことは決まっていたのだと言えるように。このように<運命>と(「もし」を阻む)自由な行為とは密接に関係している。自由とは、もっと根源的な次元において、自らの<運命>を変える自由なのだ。
つまりこれがデュピュイの提唱する破局への対処法である。まずそれが運命であると、不可避のこととして受けとめ、そしてそこへ身を置いて、その観点から(未来から見た)過去へ遡って、今日のわれわれの行動についての事実と反する可能性(「これこれをしておいたら、いま陥っている破局は起こらなかっただろうに!」)を挿入することだ。
  ―S.ジジェク「ポストモダンの共産主義」P247-248より

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-163
6月21日、同前。
昨夜来の風雨がやつと午後になつてやんだ、青葉が散らばり草は倒れ伏してゐる。
水はもう十分だが、この風では田植も出来ないと、お百姓さんは空を見上げて嘆息する。
私にはうれしい手紙が来た、それはまことに福音であつた、緑平老はいつも温情の持主である。
自分でも気味のわるいほど、あたまが澄んで冴えてきた、私もどうやら転換するらしい、―左から右へ、―酒から茶へ!
何故生きてるか、と問はれて、生きてるから生きてる、と答へることが出来るやうになつた、此問答の中に、私の人生観も社会観も宇宙観もすべてが籠つてゐるのだ。

※表題句の外、「花いばら、こゝの土とならうよ」を含む4句を記す

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Photo/川棚温泉から東へ1km程、閑静な山腹にある三恵寺の山門


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2011年5月9日月曜日

笠ぬげば松のしづくして

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―四方のたより― ふたり旅Repo-1

4月29日、天気晴朗、午前9時過ぎ出発。
玉出~池田間の阪神高速はスムーズに流れたが、中国道は池田入口から渋滞、宝塚のトンネルを抜けるまで1時間余りを要し、社PAでトイレ休憩。
中国道は、山陽道に比べ、道路面が荒れ傷みが進んでいるように思われる。次の休憩地は七塚原SAだったか、いずれも車と人で溢れている。レストランでのんびり昼食などとても望めそうもないので、腹の足しになりそうなものを買い求め、またぞろ車を走らせる。
そのまま走れば、宿泊予定の津和野には3時半過ぎには着いたのだろうが、気分を変えて、山陰へ抜けるべく千代田JCTから浜田道へと方向転換。日本海に沿って国道9号線を走る。その国道9号、しばらくは海沿いがつづくが益田市からは山間部へと分け入って山口市へと連なっていく。
遠回りしたので津和野に着いたのは午後4時過ぎ。ひとまず旧城下を通り抜けて、津和野城の山裾にある太鼓谷稲成神社へ。

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Photo/太鼓谷稲成神社全景と、社殿を背にして

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津和野の城下町、保存地域の殿町の堀割には無数の鯉が泳いでいるが、これがなべて大きく些か気味が悪いほどにメタボときているから、KAORUKOは怖がって近寄ることもできないでいた。

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Photo/堀割に泳ぐ大きな鯉たち

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宿は旧城下界隈から少し離れた町外れにある民宿のごとき「若さぎの宿」、さっそく内風呂をもらって、それから夕食。
食後の小一時間ほど、黄昏時の散策と洒落込んでみたが、宿で借りた婦人ものの下駄で歩くのに疲れたとみえて、KAORUKOのほうはなんだか精彩がない。此方もこちらで長い運転の疲れがどっと出てきて、早めの就寝となった。

<日暦詩句>-29
生きていることが
たえまなしに
僕に毒をはかせる
いやおうなさのなかで
僕が殺してきた
いきものたちの
なきがらを沈めながら
いまでは僕も
神のように
僕自身をゆるしているけれど
まもなく
あの暗い天の奥から
僕をめがけて
ふつてくる雪が
邪悪な僕の
まなこをとざすとき
僕になきがらが
なきがらだけの重みで
そのまましずかに
沈んでいくように
  ―会田綱雄詩集「鹹湖-カンコ-」所収「鹹湖」

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-162
6月20日、同前。

雨、梅雨もいよいよ本格的になつた、それでよすい、それでよい、終日閉ぢ籠つて読書する、これが其中庵だつたら、どんなにうれしいだらう、それもしばらくのしんぼうだ、忍辱精進、その事、その事。
雨につけ風につけ、私はやつぱりルンペンの事を考へずにはゐられない、家をもたない人、保護者を持たない人、そして食慾を持ち愛慾を持ち、一切の執着煩悩を持つてゐる人だ!
ルンペンは固より放浪癖にひきずられてゐるが、彼等の致命傷は、怠惰である、根気がないといふことである、酒も飲まない、女も買はない、賭博もしない、喧嘩もしない、そしてただ仕事がしたくない、といふルンペンに対しては長大息する外ない、彼等は永久に救はれないのだ。
今日も焼酎1合11銭、飛魚2尾で5銭、塩焼きにしてちびりちびり、それで往生安楽国!

※表題句の外、8句を記す

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Photo/復元保存されている山口市小郡の其中庵


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