2011年3月19日土曜日

樹かげすゞしく石にてふてふ

Santouka081130072

―四方のたより― この恐怖から逃れきれるか

3.11、宮城沖に発した地震、M9.0という、その激甚さ―
直後に襲来した未曾有の大津波―
三陸海岸ばかりか、東北の太平洋岸一帯にもたらされた、想像を絶する惨劇をまえに
ただ鬱々と黙するほかない日々がつづく
とりわけ原発破壊による放射能漏れの事態収拾は未だ解決せず
その恐怖は果てしない精神的抑鬱となってこの列島を覆いつくしたままだ

想定外だった、と口を揃えていう―
だが、自然の猛威は、つねに想定の外にありうるものなのだ
想定の外にあることが、起りうる、ということ
いや、現に、あってはならぬことが、起こってしまったのだ―
人は、われわれは、この恐怖から逃れきることができるのか
この恐怖を克服することなど、はたしてできるのだろうか

<日暦詩句>-23

この衰残をきわめた地方を何としよう
花田民の嵐が立ち去つたあとのように
赤茶けた土塊はぼろぼろとくづれるばかり
喬木には鳥さへもなかず
疎らなる枝々はひたすらに大地をねがう
ああこの病みほけた岸辺に立つて潟を望めば
日没はあたかも天地の終焉のごとく
あるいは創世の混沌のごとく
あの木小屋の畦りで人間のむれは
愛のささやきも忘れはてた‥‥
とおく不毛の森林のかげに
村落の集団のいくつかがかくされているのであろうか
わたくしは知らない 昔ペテロが
何故に滂沱たる涙をながしたか 
 –以下略-
  ―中村稔詩集「無言歌」所収「ある潟の日没」より

花田民-かでんみん-―嘗て朝鮮半島山岳地帯で焼畑農業を営んだ生活困窮の農民たちのこと。とりわけ日本総督府支配下において増加、半島北部の山林はほとんど禿山と化した、という。

―2月の購入本―
亀井孝他編「日本語の歴史-5-近代の流れ」平凡社ライブラリー
  〃  「日本語の歴史-6-新しい国語への試み」平凡社ライブラリー
加藤隆「歴史の中の『新約聖書』」ちくま新書
茨木のり子集「言の葉-1-」ちくま文庫
神田千里「宗教で読む戦国時代」講談社メチエ
宮本徳蔵「力士漂泊-相撲のアルケオロジー」講談社文芸文庫

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-156
6月13日、同前。

-略-、三恵寺へまた拝登する、いかにも山寺らしい、坐禅石といふ好きな岩があつた、恰雲和尚-温泉開基、三恵寺中興-の墓前に額づく、国見岩といふ巨岩も見た、和尚さん、もつと観光客にあつてほしい。
酒はもとより、煙草の粉までなくなつた、端書も買へない、むろん、お香香ばかりで食べてゐる、といつて不平をいふのぢやない、逢茶喫茶、逢酒喫酒の境涯だから―しかし飲まないより飲んだ方がうれしい、吸はないより吸ふた方がうれしい、何となくさみしいとは思ふのである。

南無緑平老如来、御来迎を待つ!
今日は句数こそ沢山あるが、多少でも自惚のある句は一つもない、蒼天々々。
どうやら寺領が借れるらしい、さつそく大工さんと契約しよう、其中庵まさに出来んとす、うれしい哉。

※表題句の外、9句を記す

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Photo/三恵寺にある伝承の国見岩、現下関市豊浦町

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Photo/三恵寺境内の石仏たち


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2011年3月3日木曜日

考へてをれば燕さえづる

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―四方のたより― 春の日長に‥

「SOULFUL DAYS―逆縁-ある交通事故の顛末-」をひとまずは一書とし、読んでもらうには重きに過ぎるのを承知で、親類縁者や生前のRYOUKOと交友のあった人あるいは私の旧知の人々など180名ほどに、勝手ながら一方的に送ったのは1月も晦日近くだった。
それから一ヶ月余、はや3月になってしまったが、この間断続的ながらさまざまの反応があったし、なかには丁重な書面や思いもよらぬ供物まで届けられたりで、心にひとくぎりをつけるべし筈だったのに、送り主たちの心慮に恐縮しつつも、そのたびにふりかえっては些か沈潜気味となる日がくりかえされる。

一昨日、近くの仏具屋を尋ねて香炉を買い求めてきた。
供物として届けられた木箱入りの線香がそれも二つ、古い知友からのもので、ひとりは千葉に住む中高時代の同期生で半世紀近くも逢えぬままの友、もう一人は私が泉北に在る頃サンデー太極拳に集ってくれた仲間だから三十年来の知己。
このほどようやく調った机まわりなのだが、そこで日長おりふし線香を灯しては仄かな香りが室内に漂う。
壁に掛かった狩野芳崖の悲母観音が微かな笑みを投げかけている。

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Photo/狩野芳崖の悲母観音図軸装より

<日暦詩句>-22
薔薇いろの鉱石質の陽がはいまわる。
いま地上には、
下界をおおいつくそうとする灰色の湿地がはびこる。
それはおれたちのえいえいとしたいとなみの何億倍かの速度で殖える。
しかし、ああ、おれたちがその不毛の影を消す悲願を持ちはじめてから久しい。

おれたちはあの日以来二本の足で歩きまわることをやめた。
さればといつて手の長さと脚の長さのちがつてしまつたおれたちは、
もう四足で歩くことは永久に御免だ。
おれたちは二本の手を
それが最大の忍従のように、べつたりと前へ突き、
嬉しそうに膝ではいずりまわる。
  ―安東次男詩集「蘭」所収「死者の書」より

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-155
6月12日、同前。

曇、今日から入梅。
山を歩いて山つつじを採つて戻る、野の草といつしよに、―花瓶に活けて飽かず眺める。
川棚名物の「風」が吹きだした-湯ばかりが名物ぢやない-。
16銭捻出して、11銭は焼酎1合、5銭は撫子一包、南無緑平老如来!
リヨウマチ再発、右の腕が痛い。

※表題句の外、7句を記す

020202009
Photo/’02年2月、高砂市にある山頭火句碑の園にて、抱かれたKaorukoはまだ生後4ヶ月だったか


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