2011年2月26日土曜日

からつゆからから尾のないとかげで

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―四方のたより― 琵琶の会

以前は、雛の節句にあわせたかのように、きまって3月初めの日曜に行われていたのだが、
数年前から2月末の日曜開催が定着した感の、奥村旭翠一門の琵琶の会。
明27日、日本橋の文楽劇場小ホール、開演は午前11時から。
連合いの末永旭濤が奏する演目は「一の谷」だそうな。

Biwanokai2011
<日暦詩句>-21
わたしの屍体に手を触れるな
おまえたちの手は
「死」に触れることができない
わたしの屍体は
雨にうたせよ

  われわれには手がない
  われわれには死に触れるべき手がない

わたしの屍体を地に寝かすな
おまえたちの死は
地にやすむことができない
わたしの屍体は
立棺のなかにおさめて
直立させよ

  地上にはわれわれの墓がない
  地上にはわれわれの屍体を入れる墓がない

わたしの屍体を火で焼くな
おまえたちの死は
火で焼くことができない
わたしの屍体は
文明のなかに吊るして
腐らせよ

  われわれには火がない
  われわれには屍体を焼くべき火がない

    ―田村隆一詩集「四千の日と夜」所収「立棺」より-昭和31年

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-154
6月11日、同前。

快晴、明日は入梅だといふのに、これはまた何といふ上天気だらう、暑い日がキラキラ照つた。
農家は今が忙しい真盛りだ、麦刈り、麦扱-今は発動機で麦摺だが-、やがてまた苗取、田植。
しかし今年はカラツユかも知れない、此地方のやうな山村山田では水がなくて困るかも知れないな、どうぞさういふ事のないやうに。―

歯が悪くなつて、かへつて、物を噛みしめて食べるやうになつた-しようことなしに-、何が仕合せになるか解つたものぢやない。-略-

また文なしになつた、宿料はマイナスですむが、酒代が困る、やうやうシヨウチユウ一杯ひつかけてごまかす。
やつぱり生きてゐることはうるさいなあ、と同時に、死ぬることはおそろしいなあ、あゝ、あゝ。

※表題句の外、3句を記す

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Photo/川棚温泉の名物「瓦そば」は、西南の役で薩摩軍の兵士が瓦を使って肉や野菜を焼いて食べたという故事に倣ってて考案されたという。

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Photo/その瓦そば発祥の、元祖瓦そば「たかせ」本店


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2011年2月24日木曜日

あるだけの酒のんで寝る月夜

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―四方のたより― チカラビトの世界

力士―チカラビトはいつ、どこで生まれたか。
草原と砂漠のまじりつつ果てもなくつらなるアジアの北辺、現在の地図でいえばモンゴル共和国のしめているところだったろう。

と、始まる宮本徳蔵の「力士漂泊」は、「相撲のアルケオロジー」と副題するように、まさに相撲の考古学-Archaeology-というに相応しい。

本書の初版は85(S60)年12月、翌々87年の読売文学賞を受賞している。

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とにかく面白い、前半のⅠ-チカラビトの彷徨、Ⅱ-チカラビトの渡来、Ⅲ-チカラビトの栄光と悲惨、Ⅳ-鎮魂のパフォーマンスの四章は、とりわけ愉しく秀逸だ。

高句麗の旧都だった現在の中国吉林省集安県の片田舎に残る「角抵塚」のこと、
なぜ、中国にチカラビトが見あたらないのか、
現在の朝鮮半島において盛んに行われるシルム-いわゆる韓国相撲-と呼ばれる競技、
日本へと渡来したチカラビトたちは「健児-こんでい-」とも呼ばれ、また「隼人」でもあった、
桓武天皇の代に始まる「相撲節」、またこれに関わる「部領使-ことりづかい-」のこと、
金剛力士信仰に基づく金剛界曼荼羅との関連、等々、

歴史的民俗学的知見に富んでおり、このところ八百長問題で騒擾とした相撲関係者らやマスコミに、あらためて本書を繙くべしと言いたいくらいだ。

八百長騒動といえば、このたびの問題が発覚、表面化したのが今月2日のことで、奇しくも同じ日、この著者宮本徳蔵氏は、肺炎のため、80歳で死去しているのだが、この奇妙な偶然をなんとみるべきか‥。

<日暦詩句>-20
空は青い
空は他人の恋でいっぱいだ
おれはおれの悲しい肺臓の重たい石に手をあてる
それをたたくと錆びた牡蠣殻の音がする
それはつめたい
それは動かない
おれの生きている肉体の中でその部分だけが死んでいる
死んでしまった地球の半分
おれはそれをかかえて海へ出る
海は青い
海は魚の恋でいっぱいだ
海は青い炎をあげて
海の言葉をしゃべる
化石したおれの恋が
海の鏡を流れる
  ―三好豊一郎詩集「囚人」所収「四月馬鹿」より-昭和24年

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-153
6月10日、同前。

晴、めづらしい晴だつたが、それだけ暑かつた。
朝、宿の主人が、昨夜の寺惣代会では、私の要求は否定されたといふ、私はしみじみ考へた、そして嫌な気がした、自然と人間、個人と大地。‥
野を歩いて青蘆を切つて来て活けた、何といふすがすがしさ、みづみづしさぞ、野の草はみんなうつくしい、生きてゐるから。
つばくろがよくうたふ、此宿にも巣をかけて雛をかへしてゐる。-略-

彼女から送つてくれた荷物が来た、フトン、ヤクワン、キモノ、ホン、チヤワン、ヰハイ、サカヅキ、ホン、カミ、等、等、等。
その荷物の中から二通の手紙が出て来た、一つは彼に送金した為替の受取、他の一つはS子からのたより、前者はともかくも、後者はちょんぴり私を動かした、悪い意味に於て、―なるほど、私は彼女が書いてゐるやうに、心の腐つた人であらうけれど、―これは故意か偶然か、故意にしては下手すぎる、私には向かない、偶然にしてはあまりに偶然だ。-略-

夕方散歩する、いそがしい麦摺機の響、うれしさうな三味の音と唄声。
今日はいやにゲイシヤガールがうろうろしてゐる。

私の因縁時節到来! 緑平老へ手紙を書きつつ、そんな感じにうたれた。
昨夜は幾夜ぶりかでぐつすり眠つたが、今夜はまた眠れないらしい、ゼイタク野郎め!
若夫婦の睦言が、とぎれとぎれに二階から洩れてくる、無理もない、彼等は新婚ほやほやだ。
どうしてもねむれないから、また湯にはいる、すべてが湯にとける、そしてすべてがながれてゆく。‥‥

※表題句の外、6句を記す

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Photo/山頭火句碑「湧いてあふれる中にねてゐる」―川棚グランドホテルのロビーにある

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2011年2月19日土曜日

柿の葉柿の実そよがうともしない

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―四方のたより― 就活地獄と‥

毎日の夕刊三面記事「就活漂流」を読んで、新卒大学生の就活事情もここまできたかと思わず絶句、暗澹とした気分に襲われた。
今夜の記事の事例は法政大経済学部4年の男子学生、就活の始まりから数えて536日間の苦闘の果て、都内のIT関連の中小企業にやっと内定を手にしたという。この間、挑んだ会社はエントリーだけに終ったものも含めれば269社にのぼり、些か上がり性の気質とて、その対策に説明会や面接内容などをこまめに書きとめてきた記録がなんとノート15冊に及んだというのだから、まさに凄まじいの一語に尽きる。

ことのついでにネットで、男女年齢別の非正規雇用者比率の、1990年から2010年までの推移を具に見てみたが、これまた愕然とする上昇曲線を描いている。とりわけ15歳~24歳の若年層においては、ほぼこの10年、男性で4割強、女性では5割強の高止まりで推移している、といった深刻さである。
これら若年の非正規雇用者たちが、この先の10年で、はたしていったいどれほど正規雇用へと転身できるのだろうか‥。

<日暦詩句>-20
死んだ兵士を生きかえらせることは
金の縁とりをした本の中で
神の復活に出会うことよりもたやすい
多くの兵士は
いくたびか死に
幾たびか生きかえってきた

(聖なる言葉や
永遠に受けとることのない
不思議な報酬があるかぎりは――)
  ―鮎川信夫詩集「神の兵士」より-昭和43年

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-152
6月9日、同前。

晴、といつても梅雨空、暗雲が去来する。
今日は寺惣代会が開かれる日だ、そして私に寺領の畠を貸すか貸さないかが課せられる日だ。

-略- 年をとると、身体のあちこちがいけなくなる、私は此頃、それを味はひつつある。
川棚温泉には犬が多い、多すぎる。
野を歩いてゐたら、青蘆のそよいでゐるのに心ひかれた、こんなにいいものがあるのに、何故、旅館とか料理屋とかは下らない生花に気を採られてゐるのだらう、もつたいない、明早朝さつそく私はそれを活けやう。

※表題句のみ記す

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Photo/山頭火句碑「花いばら、ここの土とならうよ」―川棚温泉近くの高砂墓地の中にある


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2011年2月12日土曜日

さみしうて夜のハガキかく

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―四方のたより―

<日暦詩句>-19
ぼくたちは自分の脂で煮つめられ
自分の脂に浮いていた
眼をあけたまま
錫びきの罐に密閉されて――
何の音もきこえなかった

或る日 ぼくたちは解放された
そして
途方もなく巨きい屋敷の塀の外へ
空罐は抛り出された
だが その時
ぼくたちは もう無かった
  ―村野四郎「魚における虚無」-昭和29年

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-151
6月8日、同前、吉見行乞。

夜が明けきらないのに眼がさめたので湯へゆく、けふもよい日の星がキラキラ光つてゐる。‥
朝湯千両、朝酒万両。
朝から子供が泣きわめく、あゝ、あゝ、あゝ。

吉見まで3里歩いて行乞3時間、また3里ひきかへす、私の好きな山道だからちつとも苦にならない。
満目の青山、汝の見るに任す、―といつた風景、いつまでもあかずに新緑郷を漫歩する。
農家は今頃よつぽど忙しい、麦刈り、麦扱ぎ、そして蚕だ、蚕に食はせるためには人間は食う隙がない、そして損だ!
今日の行乞相は最初悪くして最後がよかつた、彼等が悪いので私も悪かつた、私が善いので彼等も善かつた、行乞中はいつも感応といふ事を考へさせられないことはない。
暑かつた、真ツ陽に照らされて、しばらく怠けていたために。-略-

ここはおもしろいところだ、妙青寺山門下の宿で、ドンチャン騒ぎをやつてゐる、そしてしづかだ!
私は一人で墓地を歩くのが好きだ、今日もその通りだつた、いい墓があるね、ほどよく苔むしてほどよく傾いて。―
川棚温泉の欠点は、風がひどいのと、よい水のないことだ、よい水を腹いつぱい飲みたいなあ!

-略- 緑平老から、いつもかはらぬあたたかいたよりがあつた、層雲6月号、そこには私のために井師のともされた提灯が照つてゐた。‥

※表題句の外、7句を記す

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Photo/下関市吉見町あたりの全景

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Photo/吉見港から望む竜王山


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2011年2月10日木曜日

朝の水くみあげくみあげあたゝかい

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―四方のたより― アルブル木工教室

平林木材団地の一隅にアルブルという名の木工教室がある。
Arbre―フランス語で<樹木>、Openは08年の4月だったらしい。

ほとんどPC作業しかしない我が家の書斎机だが、ずいぶん痛みもきていたし、連合い殿の机も必要とて、手狭な空間を機能的に使えるようにと、以前から模様替えの機会を考えていたのだが、なかなか望むような机が見当たらない。
そこで、この教室に通っている知人に、机の製作を頼める人はいないかと相談したところ、関係者で受注製作をしている個人が居るとのことで、昨日の午後、依頼を兼ねて訪ねることになったのだった。

紹介された相手は、なんと偶然にも私と同姓の40歳前後とみえる男性、初会から他人と思えぬ親しみが湧く。材質や工法の説明などを聞きながら、図案も固めて、無事お願いをすることに相成る。
その後しばらくは知人に案内されて教室の様子などを見てまわる。

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本業は創業70年にもなろうという製材所で、この新しい事業をはじめた当主は昭和40年生れというから、おそらく三代目と思われる。製材業務との兼業のようだが、その転身や良しではないか。

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そういえば此処から運河に架かった小さな橋を渡れば、今は亡き辻正宏君の実家だった辻二製材があったのだが‥。
帰路、その橋のたもとにさしかかった時、懐かしい風景とともに彼の面影が脳裏をよぎった。

<日暦詩句>-18
風は強く
泥濘川に薄氷浮き
十三年春の天球は 火を噴いて
高い巻雲のへりに光つてゐる。
枯れみだれた葦の穂波
ごうごうと鳴りひびく一眸の原。
セメント
鉄鋼
電気
マグネシウムら
寂莫として地平にゐならび
蒼天下
終日人影なし。
  ―小野十三郎詩集「大阪」より「白い炎」-昭和14年-

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-150
6月7日、木下旅館

転宿、チョンビリ帰家穏座のここち。
壺を貸して下さつたので、すい葉とみつ草とを摘んで来て活ける、ほんによいよい。

小串へ行つて、買物をする、財布を調べて、考へ考へ、あれこれと買つた、茶碗、大根おろし、急須、そして大根3本、茶1袋、―合計金43銭也、帰途、お腹が空いたので、三ツ角の茶店で柏餅を喰べつつ、酒を飲みつつ、考へる。―

うつくしいものはうつくしい、うまいものはうまい、それが何であつても一銭饅頭であつてもいいのである、物そのものを味ふのだから。
飲める時には、飲める間は飲んだがよいぢやあないか、飲めない時には、飲めなくなつた場合には、ほがらかに飲まずにゐるだけの修行が出来てゐるならば。

私も酒から茶へ向ひつつあるらしい、草庵一風の茶味、それはあまりに東洋的、いや日本的だけれど山頭火的でないこともある。
茶道に於ける、一期一会の説には胸をうたれた、そこまで到達するのは実に容易ぢやない。
日にまし命が惜しくなるやうに感じる、凡夫の至情だらう、かういふ土地でかういふ生活が続けられるやうだから!
此宿はよい、ホントウのシンセツがある、私は自炊をはじめた、それも不即不離の生活の一断面だ。

※表題句の外、3句を記す

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Photo/山頭園という名で現在に残る木下旅館


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2011年2月7日月曜日

捨てたものにしづかな雨ふる

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―四方のたより― 修羅の道

近い者の死―、その重さは
畢竟、のこされた者の生
生きることの重さ、でもあるのでしょう。
言い換えるなら
人はだれでも、おのが生の中で
いくつかの修羅場をくぐりぬけてきているもの
と、思われますが
その重さを生きる、とは
まさに、そんな修羅の道を生きる、ことなのでしょう。

 不慮の事故から
 あれこれと綴ってきたものを
 一書にまとめる作業もほぼ終えたころ
 そんな感懐がよぎったものでした。

Soulful_days

<日暦詩句>-17
薔薇は口をもたないから
匂いをもつて君の鼻へ語る、
月は、口をもたないから
光りをもつて君の眼に語つている、
ところで詩人は何をもっ語るべきか?
四人の女は、優に一人の男を
だまりこませる程に
仲間の力をもつて、しゃべり捲くるものだ、
プロレタリア詩人よ、
我々は大いに、しゃべったらよい、
仲間の結束をもって、
仲間の力をもって
敵を沈黙させるほどに
壮烈に――。
   ―小熊秀雄「しゃへり捲くれ」より-昭和10年―

―山頭火の一句― 行乞記再び -149
6月6日、同前。

雨風だ、ここはよいところだが、風のつよいのはよくないところだ。
まるで梅雨季のやうな天候、梅雨もテンポを早めてやつてきたのかも知れない。

さみしさ、あつい湯にはいる、―これは嬉野温泉での即吟だが、ここでも同様、さみしくなると、いらいらしてくると、しづんでくると、とにかく、湯にはいる、湯のあたたかさが、すべてをとかしてくれる。‥

安宿にもいろいろある、だんだんよくなるのもあれば、だんだんわるくなるのもある-後者はこの中村屋、前者はあの桜屋-、そしてはじめからしまゐまで、いつもかはらないのもある-この例はなかなかむつかしい-。 -略-

隣室の萩老人とおそくまで話す、話してゐるうちに、まざまざといやしい自分を発見した。 -略-

源三郎君から来信、星を売り月を売る商売をはじめます-天体望遠鏡を覗かせて見料を取るのださうである-、これには私も覚えず微苦笑を禁じえなかつた。

※表題句のみ記す

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Photo/山頭火句碑「波音お念佛がきこえる」
下関市豊北町は大浦街道-国道191号-沿にある


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2011年2月5日土曜日

お寺のたけのこ竹になつた

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―四方のたより― 書の甲子園

書の甲子園こと高校生の選抜書展が天王寺美術館で開催中とかで、休日の暇つぶしと子連れで観てきた。
美術館地下フロアーには所狭しと夥しい作品群がならんで壮観、まずその量に圧倒される。
書に造詣の深いわけでもない私だが、そんな眼から観ても玉石混淆、ハッとさせるものもあればどうにも首をひねるものもあるのだが、それがまた愉しいといえばいえる展示だ。

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Photo/書の甲子園で、ちょっぴりお気に入りの作品

そういえば昨年だったか、「書道ガールズ」なんて映画もあった。てっきり漫画が原作かと思えば、愛媛県の高校生たちがモデルになった街おこしの実話からだったという。

<日暦詩句>-16
そらのふかさをのぞいてはいけない。
そらのふかさには、
神さまたちがめじろおししてゐる。

そらのふかさをみつめてはいけない。
その眼はひかりでやきつぶされる。

そらのふかさからおりてくるものは、永劫にわたる権力だ。
そらにさからふものへの
刑罰だ。
   ―金子光晴「燈台」より-昭和24年―

―山頭火の一句― 行乞記再び -148
6月5日、同前。

朝は霧雨、昼は晴、夕は曇つて、そしてとうとうまた雨となつた。
朝の草花―薊やらみつくさやら―を採つてきて壺に投げ挿した。
今日は日曜日であり、端午のお節句である、鯉幟の立つてゐる家では初誕生を祝ふ支度に忙しかつた-私のやうなものでも、かうして祝はれたのだ!-。

方々からたよりがあつた、その中で、妹からのそれは妙に腹立たしく、I君からのそれはほんたうにうれしかつた-それは決して私が私情に囚はれたためではないことを断言する-。 -略-

山下老人を訪ね、借りたい妙青寺の畠を検分する、夜、ふたたび同道して寺惣代の武永老人を訪ねて、借入方を頼んだ。 -略-

※表題句の外、3句を記す

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Photo/遠景―川棚温泉と響灘


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2011年2月3日木曜日

更けて流れる水音を見出した

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―四方のたより― 茶器づくり初体験

サン・イシドロ窯を称する陶芸家石田博君の招きを受け、期友の女性ふたりと連れ立って寝屋川の彼の自宅を訪ねたのは師走の11日、土曜日の午後だった。
この折、先に来ていた石田夫人の友人3人と一緒に、思いもよらず石田陶芸教室の体験入門とあいなり、この歳にして初めて土をこね茶器を作るなどという仕儀になったのだった。

石田君の指導のもと中高年の男女が6人、いわれるがままにロクロの上の粘土と格闘すること2時間半ほどか、最後の仕上げはそれぞれ石田君の手を少しばかり煩わせつつ、ひとまずは形になった茶器をおいて、お疲れさんとばかりあとは飲み会となったのだが、此方は夕刻までの訪問と時間を限っていた所為もあって、石田夫人手作りの馳走など折角のもてなしも堪能すること叶わず、足早の退散となって石田君には失礼この上ない反省しきりの訪問に終ってしまったのだった。

年が明け小正月も過ぎて20日頃だったか、その石田君から電話があり、そろそろ茶器の窯焼きをするから釉薬をどんなものにするかそれぞれ希望を、と訊ねてきた。門外漢の此方は釉薬の種類など唐突に訊かれても分かろう筈もない。しどろもどろに狼狽えつつも彼の説明を聞きながら、「じゃ、利休の黒っぽいので」と、なんとか応じたものだった。

それが焼き上がったというので、またぞろ期友ふたりと訪ねたのが昨夕のこと、石田君の指導よろしきを得て、見事に仕上がった私(?)の茶器とご対面となって、あとはまたまたしばしの宴、雑談放談飛び交う飲み会と相成ったのだった。

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Photo/利休天目で焼き上がった茶碗三態

<日暦詩句>-15
 さはれ去年の雪いづくにありや、
  さはれ去年の雪いづくにありや、
   さはれ去年の雪いづくにありや、
    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥意味のない畳句が、ひるがへり、巻きかへつた。美しい花々が、光のない空間を横ぎつて没落した。そして、遙か下に、褪紅色の月が地平の上にさし上つた。私の肉体は、この二重の方向の交錯の中に、ぎしぎしと軋んだ。このとき、私は不幸であつた、限りなく不幸であつた。
―富永太郎「鳥獣剥製所一報告書」より-昭和2年―

―山頭火の一句― 行乞記再び -147
6月4日、同前。

曇后晴、読んだり歩いたり考へたり、そして飲んだり食べたり寝たり、おなじやうな日がつづくことである。
午後、小串まで出かける、新聞、夏帽、ショウガ、壺を買ふ、此代金51銭也。

帰途、八幡の木村さんから紹介されて、森野老人を訪ねる、初対面の好印象、しばらく話した、桑の一枝を貰つてステッキとする、久しぶりにうまい水を頂戴する、水はいいなあ、先日来。腹中にたまつてゐたものがすーつと流れてしまつたやうにさへ感じた。
人は人中、田は田中、といひますから‥とは老人の言葉だつた。

-略-、今夜も睡れない、ちよつと睡つてすぐ覚める、4時がうつのをきいて湯にはいる、そして下らない事ばかり考へる、もしここの湯がふつと出なくなつたら、‥といつたやうな事まで考へた。
杜鵑がなく、「その暁の杜鵑」といふ句を想ひだした、私はまだまだ「合点ぢや」と上五をつけるほど落ちついてゐない。
隣室の客の会話を聞くともなしに聞く、まじりけなしの長州弁だ、なつかしい長州弁、私もいつとなく長州人に立ち返つてゐた。
カルチモンよりアルコール、それが、アルコールよりカルチモンとなりつつある、喜ぶべきか、悲しむべきか、それはただ真実だ、現前どうすることもできない私の転換だ。

※表題句の外、5句を記す。

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Photo/川棚温泉のはずれ、中小野にある岩谷の十三仏


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