2011年11月22日火曜日

月のわらやのしづくする新年がきた

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―日々余話― 昭和32年卒組

一次会・二次会あわせ、12時から6時過ぎまでの6時間余、僅か20人ばかりの同窓会も、世話役仕切役ともなると結構草臥れるものである。
前回が’06年の秋だからちょうど5年前、その間に3人の友が鬼籍となり、また3人が消息不明となってしまった。
それでもこれまで一度も顔を出せなかった初顔が4人、遠く半世紀を越えた再会を和気藹々と賑やかに果たしたのは各々にとっても相応の意義があったろう。
遠来は、福島市のW君、島根益田からK君、香川さぬきからのFさん、そして徳島からKさん。
なにしろ僕らの子どもの頃は、虱退治だといって頭からDDTを撒かれた時代である。文字どおり洟垂れ小僧だった、そんな面影を互いの記憶から手繰り寄せながら言葉を交わし合うというのは、きっと老化防止のリハビリとしても効果てきめんだったろうと思われもするのだ。


―表象の森―
書籍さまざま
遅まきながら9月と10月の購入本紹介

-10月の購入本-
・西垣通「コズミック・マインド」岩波書店
情報学・メディア論の論者が初めて書いたという小説。進行するシステム綜合のプロジェクトから顔を覗かせる金融の闇あるいはシステムの迷宮‥。IT革命がもたらす新しい世界経験に見合った宇宙のヴィジョンとは‥。中古書。

・田澤耕「ガウディ伝-<時代の意志>を読む」中公新書
副題にあるように「ガウディ伝」というよりは、彼の建築造型を育んだ、19世紀末から20世紀初頭のバルセロナを中心とした「カタルーニャ」という特殊な地域の独自文化なり時代背景なりを語ることに力点が置かれており、その意味では「激動のバルセロナに、ガウディを追う」という帯のコピーは当を得ているといえる。

・加藤文元「ガロア-天才数学者の生涯」中公新書
今年はガロア生誕200年という。そのガロアが生きた1911年からの20年は、ユゴーの「レ・ミゼラブル」の時代設定とほぼ重なっており、本書では、ガロアの生涯を描くのに、たびたびこの小説からの引用がなされ、フランスの、パリの、その時代を映すのに効果をもたらしている。

・赤松啓介「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」ちくま学芸文庫
民俗学の父柳田国男は<常民の民俗学>を樹立したが、著者は<性とやくざと天皇>を対象としない柳田を批判し、<非常民の民俗学>を提唱し、柳田らが切り捨ててきた性民俗や性生活の実像を庶民のあいだに分け入り生き生きとした語り口調で記録した。。「夜這いの民俗学」・「夜這いの性愛論」の二冊を合本した本書は、性民俗のフィールド・ワーカー赤松啓介のかけがえのない足跡を詳細に伝える。

・角幡唯介「空白の五マイル」集英社
チベットの秘境、世界最大のツアンボー渓谷にはなお未踏の五マイルがあった。空白の五マイルへ三度挑みつづけた冒険の記。’10年の開高健ノンフィクション賞受賞作。中古書。

・尹東柱「空と風と星と詩-尹東柱全詩集」影書房
戦時下の日本へ留学生として渡ってきた若き朝鮮詩人尹東柱は、治安維持法違反の嫌疑で逮捕され、獄死した。終戦も近い’45年2月のことだった。平易な語り口の作品は、国民的詩人として慕われつづけている。中古書。

-9月の購入本-
・アンドリュー.キンブレル「すばらしい人間部品産業」講談社
ヒューマンボディショップ-人間部品産業-という穏やかならぬ名辞、この新産業=遺伝子ビジネスのリアルな実態を暴きたて根底から警告を発する批判の書。訳者は福岡伸一。新刊書。

・ジャック.デリダ「声と現象」ちくま学芸文庫
「フッサールの現象学における記号の問題入門」と付された本書は、「脱構築」「痕跡」「茶園」「白穂」「エクリチュール」といったデリダ特有の操作子-言葉でも概念でもない脱構築の道具-が産み出された古典的著作と目されている。こなれた日本語の訳者林好雄による100頁近くの詳細な訳注が付されている。新刊書。

・中西進/辰巳正明.編「郷歌-注解と研究」新典社
万葉仮名の原典でもある古代朝鮮半島の「郷歌」を、今に甦らせる中・韓・日の研究者協働の労作。新刊書。

・福岡伸一/小林廉宜「フェルメール-光の王国」木楽舎
フェルメールの絵を渉猟、旅する著作は数多いが、本書はANA企画で機内誌「翼の王国」に連載したものに加筆修正をしたものゆえ、さすがに写真構成が凝り型となっている。Keywordは「光のつぶ」と「界面」。フェルメールを求めて訪ね歩いた世界の街々の、小林廉宜のカメラが捉えたショットがいい。新刊書。

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・渡辺保「江戸演劇史-上」講談社
演劇評論家とりわけ歌舞伎に関しては著作の多い渡辺保、その集大成的著作か、ともみえる。514頁という大部なれど本文は行間隔を広くとってあり、読むにさほどの量ではない。新刊書。

・梅原猛/井上隆雄「京都発見⑨-比叡山と本願寺」新潮社
「地霊霊魂」で始まったこのシリーズも’07年刊のこの巻でようやく完結。中古書。

・木村泰治「名画の言い分」集英社
語り口はたしかに軽妙だが、酒脱というほどにはいかない。’66年生まれという世代的ノリのよさか、歴史的あるいは宗教的背景の知を駆使して西洋美術をかように肉化してみせてくれても、此方の胸にはあまり響かない。中古書。

―山頭火の一句― 其中日記-昭和9年-250

※昭和7年9月、山口県小郡町矢足の其中庵に入って1年4ヶ月、その間、近在を行乞し、貧しい生活のなかで、精力的な句作をつづける。第二句集「草木塔」を昭和8年12月に刊行。明けて昭和9年、其中庵での二度目の新年を迎える。

  おかげさまで、五十代四度目の、
  其中庵二度目の春をむかへること
  ができました。
                    山頭火拝
    天地人様

※1月1日より2月3日迄には日時の記載なし。この間に俳句129句が録されている。


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2011年11月10日木曜日

月にほえる犬の声いつまでも

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―表象の森―
断片化の迷走
またまた旧聞に属するが、3日に京都へと出かけ、御所近くの府庁旧本館で行われた「すごいダンス」を観た。
といっても、12時の部と2時の部のプログラムの内、昼食休憩後に駆けつけるも大入り満員の為、後半のほうは見損なってしまったのだが‥。
その前半の4つのダンスを観ながら、想起したのが「断片化」であり、このWordで目の当たりに進行するものたちのことを考えていた。
断片化をコラージュと言い換えてもいいのだが、コラージュの技法については、河本真理の「切断の時代-20世紀におけるコラージュの美学と歴史」なる労作があり、本書は「20世紀を通じて数多く制作されたコラージュの原理に基づく作品は、異なる様々な構成要素の引用と組み合わせから成り、均質な空間を破壊する不連続性を特徴とする。作品を「切断」-断片化-するという破壊的な身振りとあらゆる要素の綜合という、相反する極の間を絶え間なく揺れ動くコラージュは、造形芸術における単なる一技術上の問題を越え、近代文明の認識そのものを問うパラダイムとなる。」といった視点から、20世紀芸術のコラージュ的技法の数々を具体的なアプローチで分析してみせている大著で、一度は読んでみたいと食指が動かぬ訳ではない。
ここにコラージュの制作過程を分かりやすく図示したものを引いておこう。
<コラージュ・アクティヴティにおける、選択された部分の行方>
111002
選択された部分の切り取られる前のそれぞれの完成作品では、そのものひとつとしてのゲシュタルトを形成しており、これから切り取られる部分である事物自体、各々の完成された世界のレトリック・文脈に則ってその中でのある意味合いを有している。しかし、いったん切り離された切り抜きは、選択し切り取った行為者の意味合いが付加され、それまでの文脈の中での意味を失いとは異なる、新たな意味を持つことになる。
次に、他の切り抜きとともに台紙という新しいひとつの空間に配置されることにより、そこで出会った事物同士との関係性が生まれ、新たなる文脈上におかれ、新たなる意味が生まれることになる。
<図2-1>から<図2-2>への流れでは、元来の意味が消失され、<図2-2>から<図2-3>への流れの中で、新たなる意味合いと関係性の形成が生まれる。つまり、帰属する作者の意向に伴い、各々のパーツの意味合いの変化がある。
<図2-1>において、既存の空間内にあるパーツの意味と、<図2-3>に構成された同パーツでは、役割も変化し、それ自体の意味合いも変化している。これを、一種の錬金術とも換言することが出来得るし、新たなトロンプ・ルイユ-騙し絵-とも考えることが出来る。
     -「かけ橋機能としてのコラージュ」-佐藤仁美-より
このようなコラージュ的技法は、たしかに20世紀において、絵画・彫刻の美術のみならず、詩や小説、音楽あるいは建築にいたるまで、あらゆる芸術に大きな変容をもたらしたといえるだろうし、また舞踊におけるコンテンポラリー化なども、その延長にあるのだろう。さらにいえば、アートの日常化といった90年代以降の社会的潮流にも、コラージュ的技法のひろがりを見てとることもできるだろう。いいかえればコラージュこそが近代から現代への橋渡しをしたといっても過言ではないのかもしれない。
さて、断片として切り取られたさまざまな動きが、かように新しい関係性の中で意外性に満ちた相貌を呈してくるとすれば、コラージュとして成功したということになるのだが、私がこの日観た4つのダンスにそのような事例を見出すことはまったくなかったといっていい。断片が断片のままにただ虚しく並列していくといった躰でしかなく、むしろこの技法の負の側面、未熟なコラージュ的なるものの弊害であり、色褪せた悪しき断片化の類を見せられたというしかない。
とまれ、これら4つのダンスばかりではない、いまや低レベルの安易なコラージュ的作品は枚挙に暇がない、というのが現実だ。私などの実感としては、おそらく30年がこのかたずっと、かような迷走・退行がダンスや演劇の世界を席巻してきたのだ、と思われる。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-254
9月20日、小郡町矢足、其中庵。
晴、彼岸入、そして私自身結庵入庵の日。 朝の井戸の水の冷たさを感じた。
自分の一人で荷物を運んだ、酒屋の車力を借りて、往復二度半、荷物は大小9箇あつた、少いといへば少いが、多いと思へば多くないこともない、とにかく疲れた、坂の悪路では汗をしぼつた、何といふ弱い肉体だらうと思つた、
自分で自分に苦笑を禁じえないやうな場面もあつた。
5時過ぎ、車力を返して残品を持つて戻ると、もう樹明兄がきてゐて、せつせと手伝つてゐる、何といふ深切だらう。 私がここに結庵し入庵することが出来たのは、樹明兄のおかげである、私の入庵を喜んでゐるのは、私よりもむしろ彼だ、彼は私に対して純真温厚無比である。
だいぶ更けてから別れた、ぐつすり眠つた、心のやすけさと境のしづけさとが溶けあつたのだ。
昭和7年9月20日其中庵主となる、-この事実は大満州国承認よりも私には重大事実である。
※この日句作なし、表題句は18日付記載の句

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Photo/復元されている小郡の其中庵内部-11.04.30


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