2011年12月29日木曜日

枯枝をひらふことの、おもふことのなし

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―日々余話― 軽重-?-合わせて

またも月遅れの購入本報告。
やたら冊数ばかりが多くなったは、W選挙の所為もありまた原発関連もあり、さらには「深読みシェイクスピア」を読んだあと、暇な折々にひとわたり気楽に読んでみるのもいいかと、松岡和子訳のシェイクスピアもの中古書を、安い物から買い集めた所為で、軽重-?-合わせて21冊にまでなってしまった。

-11月の購入本-
・F.ヴァレラ「身体化された心」工作舎
マトゥラーナとともにオートポイエーシスの創始者であるヴァレラが、「仏教思想からのエナクティブ・アプローチ」と副題するように、中観仏教への着眼から、自己の投影としての世界と、世界の投影としての自己という循環に、認知=行為のはじまりを説く。原著初版は’91年、訳書初版は’01年。
以前、図書館で借りて読んでいるが、再度きちんと読む為に購入。

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・河本英夫「オートポイエーシス―第三世代システム」青土社
「オートポイエーシスは境界をみずから作り出すことによって、そのつど自己を制作する」と考える著者の、従来のシステム論-ホメオスタシスや自己組織化-を乗り超える第三世代のシステム論。著者はシステム論の全歴史を通観しつつ、生物学・社会学・心理学・経済学・法学・科学論・歴史学・文学など、あらゆる分野の常識を覆すこの革命的システム論を、初めて明確に定式化せんとする。

・河本英夫「哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題」日経BP社
経験的世界の際限ない深み-大脳皮質は脳の広範な領域で起きたことをうまく汲取れないように出来上がっている。言語表記にも限界がある。 行為という運動のみが発見の場所となり続ける。そこには、質の異なるものの同時進行-二重作動-が経験されている。どのような行為であれ二重に自ら作動する。そのことが自己産出-新しい組織化-となる。

・大河内直彦「チェンジング・ブルー―気候変動の謎に迫る」岩波書店
気候変動に関わる科学的、学術的な内容を、広い視野から詳細によく解説し、しかもスリリングなストーリー展開をしているあたり、若い著者ながらその筆力は相当なもの。

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・外尾悦郎「ガウディの伝言」光文社新書
まさに、神は細部に宿る-サグラダ・ファミリアの専任彫刻家として30年を生きる著者ならではの、とくにプロローグから7章あたりまでで、明かされる造型の工夫、その読解きは、随所に心撲たれるものがあり、お薦め。

・植木雅俊「仏教、本当の教え-インド、中国、日本の理解と誤解」中公新書
「法華経」-2004-、「維摩経」-2011-をサンスクリット語の原典から完訳した在野の仏教学徒である著者が、インドと中国そして漢訳による仏教受容をした日本における三様の仏教理解を、その誤解も含め、一般向けに解き明かしてくれる。

・J.オーウェル「一九八四年」ハヤカワ文庫
ディストピア-反ユートピア-小説の系譜を引く名作の誉れ高く、オーウェリアン-Orwellian-という形容詞まで生んだ、全体主義国家の恐怖を描いた近未来小説。’48年に執筆、翌年出版された当初から冷戦下の米英でベストセラーに。

・児玉龍彦「内部被曝の真実」幻冬舎新書
子どもと妊婦を守れ! 7/27の衆議院厚生労働委員会で涙ながらに訴え、日本中を戦慄させた著者の、あのスピーチの全容と補筆解説。

・T.D.ラッキー「放射能を怖がるな」日新報道
低量の放射線被曝はホルミシス効果-適応応答-をもたらし、むしろ健康によいとの立場で学説を唱える、前書とは対極の書。

・内田樹.他「橋下主義-ハシズム-を許すな!」ビジネス社
9/17に行われた「ハシズムを斬る-第1回」の講演シンポ-山口二郎・香山リカ・薬師院仁志-内容に加え、内田樹の小論「おせっかい教育論」を冒頭に配して、大阪W選挙直前の緊急出版。

・雑誌「新潮45-12月号」
橋下徹バッシング特集記事の第2弾

・写真誌「風の旅人vol.44-彼岸の際-まほろば」ユーラシア旅行社
‘03年の創刊から隔月刊、そして’09年からは4ヶ月毎に刊行。偶々とある情報から購ったものだが、「本格的グラフ文化誌」を称する編集人佐伯剛の言-Blog-によれば、本号をもって永の休刊となるらしい。

・山田風太郎「八犬傳-上」廣済堂文庫
・山田風太郎「八犬傳-下」廣済堂文庫
・W.シェイクスピア/松岡和子訳「ハムレット」ちくま文庫
・W.シェイクスピア/松岡和子訳「ロミオとジュリエット」ちくま文庫
・W.シェイクスピア/松岡和子訳「マクベス」ちくま文庫
・W.シェイクスピア/松岡和子訳「リア王」ちくま文庫
・W.シェイクスピア/松岡和子訳「ウィンザーの陽気な女房たち」ちくま文庫
・W.シェイクスピア/松岡和子訳「ペリクリーズ」ちくま文庫
・W.シェイクスピア/松岡和子訳「タイタス・アンドロニカス」ちくま文庫
・DVD「リーマン予想-天才たちの150年の闘い~素数の魔力に囚われた人々」NHKエンタープライズ


―山頭火の一句― 其中日記-昭和9年-257

2月5日
天も私も憂鬱だ、それは自然人生の本然だから詮方がない、水ばかり飲んでゐても仕方がないから、馴染の酒屋へ行つて、掛で一杯ひつかけた、そしてさらに馴染の飲食店から稲荷鮨とうどんとを借りて戻つた。
湯札が一枚あつたので、久振に入浴、憂鬱と焦燥とを洗ひ落としてさつぱりした。
幸福な昼寝。
やつぱり、句と酒だ、そのほかには、私には、何物もない。
大根、ほうれん草、新菊を採る、手入れをする、肥をやる。
私の肉体は殆ど不死身に近い-寒さには極めて弱いけれど-、ねがはくば、心が不動心となれ。
米桶に米があり、炭籠に炭があるといふことは、どんなに有難いことであるか、米のない日、炭のない夜を体験しない人には、とうてい解るまい。
徹夜読書、教へられることが多かつた。

※表題句の外、6句を記す

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Photo/復元されている小郡・其中庵の室内風景-2011.04.30撮影


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2011年12月26日月曜日

梅がもう春近い花となつてゐる

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―日々余話― 凝り型となって‥

久し振り、一ヶ月余を経ての言挙げである。
Facebookを始めたのが8月下旬頃だった-
Twitterに比べれば、お互いの正体がはっきりしているのが性に合ったのだろう、とりわけ10月に入る頃から友達をどんどん増やして、ずいぶん凝り型になってしまい、また本も読みたい、読まねばならぬ‥と、その反動でBlogがとんと書けなくなった。

凝り型になったについては、思いあたりそうなもう一つの訳がある。
これを始めた頃より、ちょうど時を同じくして、新しい稽古場づくりを模索しだしたことだ。
場所の候補は生まれ里の九条、永らく空いたままの、到底新しい借り手も見つかるまいと思われる20坪余りの倉庫だ。高さは優に二階ほどもあるから小さな小屋-劇場型-にも出来なくはない。
そんな色気も出てきたから大変だ。言うほどの資金力もない、むしろないない尽くしで無謀にも芝居小屋をものしようというのだから、厚顔と言えば厚顔、まことに厚かましいような話だが、誼を頼っての小屋づくりとて、思うに任せず、事はなかなか捗らない。まあ来年の春のうちに柿落し、ともなれば上々の運びだろう。

かように稽古場づくりから、それのみならず小屋利用も視野に入ってきたからには、同根同類の知友をこの際ひろげておくに如かず、とそんな思惑も働いての、Facebook-凝り型の当今なのだろう。


―山頭火の一句― 其中日記-昭和9年-256

2月4日
明けてうらうらだつたが、また曇つて雪がふりだした。
身心不調、さびしいとも思ひ、やりきれないとも感じたが、しかし、私は飛躍した、昨夜の節分を限界として私はたしかに、年越しをしたのである。
朝、冷飯の残りを食べただけで、水を飲んで読書した、しづかな、おちついた一日一夜だつた。

-第三句集「山行水行」に挿入する語句二章
〈庵中間打坐〉
山があれば山を観る
雨のふる日は雨を聴く
春 夏 秋 冬
受用してつきることがない

 〈一蜂千家飯〉
村から村へ
家から家へ
一握の米をいただき
いただくほどに
鉢の子はいつぱいになつた

※この日句作なし、表題句は翌5日付記載の句

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Photo/防府アスピラートに於ける山頭火展にて-01.09.08


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2011年11月22日火曜日

月のわらやのしづくする新年がきた

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―日々余話― 昭和32年卒組

一次会・二次会あわせ、12時から6時過ぎまでの6時間余、僅か20人ばかりの同窓会も、世話役仕切役ともなると結構草臥れるものである。
前回が’06年の秋だからちょうど5年前、その間に3人の友が鬼籍となり、また3人が消息不明となってしまった。
それでもこれまで一度も顔を出せなかった初顔が4人、遠く半世紀を越えた再会を和気藹々と賑やかに果たしたのは各々にとっても相応の意義があったろう。
遠来は、福島市のW君、島根益田からK君、香川さぬきからのFさん、そして徳島からKさん。
なにしろ僕らの子どもの頃は、虱退治だといって頭からDDTを撒かれた時代である。文字どおり洟垂れ小僧だった、そんな面影を互いの記憶から手繰り寄せながら言葉を交わし合うというのは、きっと老化防止のリハビリとしても効果てきめんだったろうと思われもするのだ。


―表象の森―
書籍さまざま
遅まきながら9月と10月の購入本紹介

-10月の購入本-
・西垣通「コズミック・マインド」岩波書店
情報学・メディア論の論者が初めて書いたという小説。進行するシステム綜合のプロジェクトから顔を覗かせる金融の闇あるいはシステムの迷宮‥。IT革命がもたらす新しい世界経験に見合った宇宙のヴィジョンとは‥。中古書。

・田澤耕「ガウディ伝-<時代の意志>を読む」中公新書
副題にあるように「ガウディ伝」というよりは、彼の建築造型を育んだ、19世紀末から20世紀初頭のバルセロナを中心とした「カタルーニャ」という特殊な地域の独自文化なり時代背景なりを語ることに力点が置かれており、その意味では「激動のバルセロナに、ガウディを追う」という帯のコピーは当を得ているといえる。

・加藤文元「ガロア-天才数学者の生涯」中公新書
今年はガロア生誕200年という。そのガロアが生きた1911年からの20年は、ユゴーの「レ・ミゼラブル」の時代設定とほぼ重なっており、本書では、ガロアの生涯を描くのに、たびたびこの小説からの引用がなされ、フランスの、パリの、その時代を映すのに効果をもたらしている。

・赤松啓介「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」ちくま学芸文庫
民俗学の父柳田国男は<常民の民俗学>を樹立したが、著者は<性とやくざと天皇>を対象としない柳田を批判し、<非常民の民俗学>を提唱し、柳田らが切り捨ててきた性民俗や性生活の実像を庶民のあいだに分け入り生き生きとした語り口調で記録した。。「夜這いの民俗学」・「夜這いの性愛論」の二冊を合本した本書は、性民俗のフィールド・ワーカー赤松啓介のかけがえのない足跡を詳細に伝える。

・角幡唯介「空白の五マイル」集英社
チベットの秘境、世界最大のツアンボー渓谷にはなお未踏の五マイルがあった。空白の五マイルへ三度挑みつづけた冒険の記。’10年の開高健ノンフィクション賞受賞作。中古書。

・尹東柱「空と風と星と詩-尹東柱全詩集」影書房
戦時下の日本へ留学生として渡ってきた若き朝鮮詩人尹東柱は、治安維持法違反の嫌疑で逮捕され、獄死した。終戦も近い’45年2月のことだった。平易な語り口の作品は、国民的詩人として慕われつづけている。中古書。

-9月の購入本-
・アンドリュー.キンブレル「すばらしい人間部品産業」講談社
ヒューマンボディショップ-人間部品産業-という穏やかならぬ名辞、この新産業=遺伝子ビジネスのリアルな実態を暴きたて根底から警告を発する批判の書。訳者は福岡伸一。新刊書。

・ジャック.デリダ「声と現象」ちくま学芸文庫
「フッサールの現象学における記号の問題入門」と付された本書は、「脱構築」「痕跡」「茶園」「白穂」「エクリチュール」といったデリダ特有の操作子-言葉でも概念でもない脱構築の道具-が産み出された古典的著作と目されている。こなれた日本語の訳者林好雄による100頁近くの詳細な訳注が付されている。新刊書。

・中西進/辰巳正明.編「郷歌-注解と研究」新典社
万葉仮名の原典でもある古代朝鮮半島の「郷歌」を、今に甦らせる中・韓・日の研究者協働の労作。新刊書。

・福岡伸一/小林廉宜「フェルメール-光の王国」木楽舎
フェルメールの絵を渉猟、旅する著作は数多いが、本書はANA企画で機内誌「翼の王国」に連載したものに加筆修正をしたものゆえ、さすがに写真構成が凝り型となっている。Keywordは「光のつぶ」と「界面」。フェルメールを求めて訪ね歩いた世界の街々の、小林廉宜のカメラが捉えたショットがいい。新刊書。

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・渡辺保「江戸演劇史-上」講談社
演劇評論家とりわけ歌舞伎に関しては著作の多い渡辺保、その集大成的著作か、ともみえる。514頁という大部なれど本文は行間隔を広くとってあり、読むにさほどの量ではない。新刊書。

・梅原猛/井上隆雄「京都発見⑨-比叡山と本願寺」新潮社
「地霊霊魂」で始まったこのシリーズも’07年刊のこの巻でようやく完結。中古書。

・木村泰治「名画の言い分」集英社
語り口はたしかに軽妙だが、酒脱というほどにはいかない。’66年生まれという世代的ノリのよさか、歴史的あるいは宗教的背景の知を駆使して西洋美術をかように肉化してみせてくれても、此方の胸にはあまり響かない。中古書。

―山頭火の一句― 其中日記-昭和9年-250

※昭和7年9月、山口県小郡町矢足の其中庵に入って1年4ヶ月、その間、近在を行乞し、貧しい生活のなかで、精力的な句作をつづける。第二句集「草木塔」を昭和8年12月に刊行。明けて昭和9年、其中庵での二度目の新年を迎える。

  おかげさまで、五十代四度目の、
  其中庵二度目の春をむかへること
  ができました。
                    山頭火拝
    天地人様

※1月1日より2月3日迄には日時の記載なし。この間に俳句129句が録されている。


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2011年11月10日木曜日

月にほえる犬の声いつまでも

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―表象の森―
断片化の迷走
またまた旧聞に属するが、3日に京都へと出かけ、御所近くの府庁旧本館で行われた「すごいダンス」を観た。
といっても、12時の部と2時の部のプログラムの内、昼食休憩後に駆けつけるも大入り満員の為、後半のほうは見損なってしまったのだが‥。
その前半の4つのダンスを観ながら、想起したのが「断片化」であり、このWordで目の当たりに進行するものたちのことを考えていた。
断片化をコラージュと言い換えてもいいのだが、コラージュの技法については、河本真理の「切断の時代-20世紀におけるコラージュの美学と歴史」なる労作があり、本書は「20世紀を通じて数多く制作されたコラージュの原理に基づく作品は、異なる様々な構成要素の引用と組み合わせから成り、均質な空間を破壊する不連続性を特徴とする。作品を「切断」-断片化-するという破壊的な身振りとあらゆる要素の綜合という、相反する極の間を絶え間なく揺れ動くコラージュは、造形芸術における単なる一技術上の問題を越え、近代文明の認識そのものを問うパラダイムとなる。」といった視点から、20世紀芸術のコラージュ的技法の数々を具体的なアプローチで分析してみせている大著で、一度は読んでみたいと食指が動かぬ訳ではない。
ここにコラージュの制作過程を分かりやすく図示したものを引いておこう。
<コラージュ・アクティヴティにおける、選択された部分の行方>
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選択された部分の切り取られる前のそれぞれの完成作品では、そのものひとつとしてのゲシュタルトを形成しており、これから切り取られる部分である事物自体、各々の完成された世界のレトリック・文脈に則ってその中でのある意味合いを有している。しかし、いったん切り離された切り抜きは、選択し切り取った行為者の意味合いが付加され、それまでの文脈の中での意味を失いとは異なる、新たな意味を持つことになる。
次に、他の切り抜きとともに台紙という新しいひとつの空間に配置されることにより、そこで出会った事物同士との関係性が生まれ、新たなる文脈上におかれ、新たなる意味が生まれることになる。
<図2-1>から<図2-2>への流れでは、元来の意味が消失され、<図2-2>から<図2-3>への流れの中で、新たなる意味合いと関係性の形成が生まれる。つまり、帰属する作者の意向に伴い、各々のパーツの意味合いの変化がある。
<図2-1>において、既存の空間内にあるパーツの意味と、<図2-3>に構成された同パーツでは、役割も変化し、それ自体の意味合いも変化している。これを、一種の錬金術とも換言することが出来得るし、新たなトロンプ・ルイユ-騙し絵-とも考えることが出来る。
     -「かけ橋機能としてのコラージュ」-佐藤仁美-より
このようなコラージュ的技法は、たしかに20世紀において、絵画・彫刻の美術のみならず、詩や小説、音楽あるいは建築にいたるまで、あらゆる芸術に大きな変容をもたらしたといえるだろうし、また舞踊におけるコンテンポラリー化なども、その延長にあるのだろう。さらにいえば、アートの日常化といった90年代以降の社会的潮流にも、コラージュ的技法のひろがりを見てとることもできるだろう。いいかえればコラージュこそが近代から現代への橋渡しをしたといっても過言ではないのかもしれない。
さて、断片として切り取られたさまざまな動きが、かように新しい関係性の中で意外性に満ちた相貌を呈してくるとすれば、コラージュとして成功したということになるのだが、私がこの日観た4つのダンスにそのような事例を見出すことはまったくなかったといっていい。断片が断片のままにただ虚しく並列していくといった躰でしかなく、むしろこの技法の負の側面、未熟なコラージュ的なるものの弊害であり、色褪せた悪しき断片化の類を見せられたというしかない。
とまれ、これら4つのダンスばかりではない、いまや低レベルの安易なコラージュ的作品は枚挙に暇がない、というのが現実だ。私などの実感としては、おそらく30年がこのかたずっと、かような迷走・退行がダンスや演劇の世界を席巻してきたのだ、と思われる。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-254
9月20日、小郡町矢足、其中庵。
晴、彼岸入、そして私自身結庵入庵の日。 朝の井戸の水の冷たさを感じた。
自分の一人で荷物を運んだ、酒屋の車力を借りて、往復二度半、荷物は大小9箇あつた、少いといへば少いが、多いと思へば多くないこともない、とにかく疲れた、坂の悪路では汗をしぼつた、何といふ弱い肉体だらうと思つた、
自分で自分に苦笑を禁じえないやうな場面もあつた。
5時過ぎ、車力を返して残品を持つて戻ると、もう樹明兄がきてゐて、せつせと手伝つてゐる、何といふ深切だらう。 私がここに結庵し入庵することが出来たのは、樹明兄のおかげである、私の入庵を喜んでゐるのは、私よりもむしろ彼だ、彼は私に対して純真温厚無比である。
だいぶ更けてから別れた、ぐつすり眠つた、心のやすけさと境のしづけさとが溶けあつたのだ。
昭和7年9月20日其中庵主となる、-この事実は大満州国承認よりも私には重大事実である。
※この日句作なし、表題句は18日付記載の句

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Photo/復元されている小郡の其中庵内部-11.04.30


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2011年10月22日土曜日

つかれてもどるに月ばかりの大空

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―表象の森― 榎忠展私感

些か旧聞に属するのだけれど、このまま触れないで済ますのは少なからず「腹ふくくるわざ」にて、ここで言挙げしておく。
先週の土曜-10/15-、兵庫県立美術館に出かけ、先日亡くなった元永定正らの具体の作品を観、野外階段でDance Performanceの公開リハを観て、さらにことのついでに榎忠展をも拝見したのだが、本題はこの榎忠展。

榎忠-エノキチュウ-、Wikipediaによれば、香川県善通寺市出身の1944年生まれ、というから偶々私と同年だ。16歳から現在に至るまで神戸市に住み、定年になるまで金属加工の会社で旋盤工として働きながら、作家活動を並行させてきたという。’70年頃から「裸のハプニング」などPerformance Artを展開、’79年には銃口が山口組々長の自宅に向けられている巨大な大砲のObjet『LSDF』で注目を集め、鉄の廃材や機械部品を用いた彫刻・Objetを連作していく。‘08年に井植文化賞、’09年には神戸文化賞を受賞とあり、近年とくに世評が高いようだ。

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「美術館を野生化する」と題された今回の展示、鉄の廃材やスクラップ化した金属加工品などを用いた立体とインスタレーションが大半。米ソの自動小銃をMotifにした多量の鋳物群、機械部品などで造形した大砲様の立体、夥しい量の薬莢類を積み上げたインスタレーション、或いは溶鉱炉のノロや鋳鉄のバリなどを使った造形や、スクラップとなった工作機械などのシャフト類を大量に並べ立てたインスタレーション-それが写真だ-、etc.。
多くの評者が賞するように、たしかにどれもが異様で力強い存在感を放っている、と見える。だが、私の眼には、ただの悪趣味、短絡的思考の虚仮威し、これ見よがしの世界としか映らなかった。いやむしろ観るほどに不快感をつのらせるばかりの展示であった、というべきか。

ここで先ず触れておかねばならないことは、先述したように、定年になる数年前までは旋盤工を身すぎ世すぎとしてきたというこの作家榎忠にとっては、これら作品群の素材、鉄のスクラップや無用と化した加工品の数々はなべて彼の日常で深く馴染んできた代物ばかりであるのと同様に、私もまた巷間鉄工の町といわれる下町で育ったばかりか、親の家業そのものが鉄工所であったし、要するに境遇は違えど彼と同様、こういった諸々の鉄材・鉄製品にはどれも生々しい記憶がさまざま固有に貼りついている者だということである。このさまざまなタネを肌身でよく知る者にとって、彼の作品世界から受けとめる印象は、多くの評者がいう讃辞「この異様で力強い存在感」とはむしろ遠く、なんだか空疎で、見え透いたものにしか映らないというのは、ごく自然なことではないだろうか。とりわけ人を喰った展示は、ある一つの室内全体を、今でこそスクラップでしかないが、30年ほど前ならまだ下町の鉄工所などではよく見かけられた旋盤やフライス盤などの工作機械を並べ、そのままに陳列していたことだ。これには逆の意味で度肝を抜かれた。
とくに彼がこれらスクラップや廃材を大量に駆使してひたすら積み上げたり並べたりしたインスタレーションを展開するようになったのは、あの阪神大震災の破壊されつくした光景に自身遭遇してからのことらしいが、それもまた動機としては単純明快、こんなに判りやすい筋書きはないだろうと思われる。

とまれ重厚長大の鉄の文明は、19世紀から20世紀へと急激な世界資本主義化を果たし、先の世紀末においてすでに終焉を迎え、今や鉄は文明の果ての終末や廃墟のイメージと結びつきやすかろうが、そんなことは判りきったことではないのか。かような教条的思考で、夥しいほどの鉄のスクラップや廃材をもって、鬼面人を威かすがごとき造形世界を開陳しているのが、この「美術館を野生化する」ではないのか、としかどうしても私には思えないのだ。
阪神大震災から16年を経て、この3月に起こった東日本大震災によって、この国はさらに甚大な被害を受け、深刻な危機に見舞われている。この大自然からの言語に絶するような強烈なしっぺ返しに比べれれば、このレベルの見え透いたような「野生化」は後追いでしかなく、せいぜい「野戦化」あたりが相応しい謂いだろう。

端的に言おう、これら榎忠の作品世界を前にして私の脳裡をかすめるのは、芸術と政治というまったく舞台は異なるけれど、ハシイズム-橋下主義-こと橋下徹との類似、同根性である。

※榎忠の作品世界-Photo-については、
兵庫県立美術館「榎忠展」また「樋口ヒロユキ氏の紹介ブログ」などを参照されたい。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-253

9月19日、天地清明、いよいよ本格的秋日和となつた、働らくにも遊ぶにも、山も野も空も、すべてによろしいシーズンだ、よくぞ日本に生まれける、とはこの事だ。
子規忌、子規はゑらかつた-私としてはあの性格はあまり好きでないけれど-、革命的俳人としては空前だつた、ひとりしづかに彼について、そし俳句について考へた、床の花瓶には鶏頭が活けてあり、糸瓜は畑の隅にぶらさがつてゐる。
朝から其中庵へ、終日掃除、掃いても掃いても、拭いても拭いてもゴミが出る。-
此服装を見よ、片袖シヤツにヅボン、そのうへにレーンコートをひつかけてゐる-すべて関東震災で帰郷する時に友人から貰つた品-、頭には鍔広の麦桿帽、足には地下足袋、まさに英姿サツソウか!
更に此弁当を見よ、飯盒を持つてゆくのだが、それは私の飯釜であり飯櫃であり飯茶碗である。
日中一人、夜は三人-樹明、冬村の二君来庵-。
月を踏んで戻る、今夜もまた樹明君に奢つて貰つた、私は飲み過ぎる、少なくとも樹明君の酒を飲み過ぎる。
古釘をぬいてまはる、妙に寂しい気分、戸棚の奥から女の髪の毛が一束出て来た、何だか嫌な、陰気な感じ、よし、この髪の毛を土に埋めて女人塔をこしらへてやらう。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/二人子連れ越前の旅-越前竹人形の里にて-‘11.10.08


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2011年10月20日木曜日

仕事のをはりほつかり灯つた

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―表象の森― 最強Improviser +

いつも神戸の酒心館で催される角正之の7回目となる舞打楽暦-まんだらごよみ-は、ヨーロツパ最強Improviserと称し、この10月、東京、横浜、名古屋、京都、神戸そして九州と、各都市12箇所を遍歴Tourする即興Trio、Soprano-Saxのミッシェル・ドネダ、Percussionのル・カン・ニン、Contrabassの齋藤徹たちとのDocking-Performance。

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さらに音のほうでは、いつもこのシリーズででコンビを組む大蔵流小鼓方の久田舜一郎が、踊りのほうでは韓国の辛恩珠が加わるという即興Liveであれば、音とDance、緊迫の時空堪能の一夜となるのもむべなるかな。
とりわけ洋楽の即興Trioに、能の小鼓が参入対峙するとあれば、嘗ての武満徹作品世界にみるまでもなく、音宇宙の緊迫度は増幅してやまぬものがあるだろうし、多彩な小道具を駆使して意外性に満ちた飄逸な音の数々を繰り出すル・カン・ニンの鬼才ぶりが、その濃密度をよく増幅させていた、と受け止めた。
韓国の辛恩珠は、動きのsimpleさと相まってclearな印象を残した。それが音世界ともよくかみあっていたといえるだろう。
一つ難をいえば、2部の終わりちかく、音が単調なup-tempoを繰り返していたあたり、これに合わせたかのようなゆすり・ふりの動きが生硬なままに終始していたのが些か興醒めだった。

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-252

9月18日、晴、すこし風があつた。
満州事変一周年記念日、方々で色々の催ほしがある。
私は朝から夕まで一日中其中庵で働らいた。
庵は山手山の麓、閑静にして申分なし、しづかで、しかもさみしうないといふ語句を用ひたい。
椿の木の多いところ、その花がぽとりぽとりと心をうつことだらう。柿の木も多い、此頃は枝もたれんばかりに実をつけてゐる、山手柿といつて賞味されるといふ。
彼岸花も多く咲いてゐる、家のまはりはそこもここも赤い。
樹明は竹格子を造り、冬村は瓦を葺く、そして山頭火は障子を洗ふ。
樹明、冬村共力して、忽ちのうちに、塵取を作り、箒を作り、何やらかやら作つてくれた。
電灯がついてから、竹輪で一杯やつて別れた-ここはまさに酒屋へ三里、豆腐屋へ二里の感じだ-。
-略- 四日ぶりの入浴、ああくたびれた。
其中庵には次のやうな立札を建つべきか、-
  歓迎葷酒入庵室
或は又、-
  酒なき者は入るべからず
労働と酒とのおかげで、ぐつすり寝た、夢も見なかつた、このぐらゐ熟睡安眠したことはめつたにない。-略-

※表題句の外、6句を記す

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Photo/二人子連れ、越前の旅-東尋坊-‘11.10.09


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2011年10月17日月曜日

なつめたわゝにうれてこゝに住めとばかりに

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―日々余話― 子どもがとりもつ‥

昨夜の宴の主役はどこまでもKAORUKO-
案ずるより産むが易し、まさに子どもがとりもったような形で、和やかに賑やかに終始した3時間余だった。

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〆はKAORUKOのお望み一番、狭い場所に押し込むようにして、みんなでプリクラに収まる始末。
めでたしめでたしの大団円で、地下鉄を右と左にサヨナラ。


―表象の森―
知恵の樹-№.1

<いかにして知るのか>を知る

ぼくらの経験が、いかにぼくらの<構造>にしっかりと結びついているか-
ぼくらは世界の「空間」-客観的・外在的な-を見るわけじやない。ぼくら自身の個別の視野を、生きているのだ。
反省的思考-Reflection-[=反映]とは、ぼくらが<いかにして知るのか>を知るプロセスのことだ。
それは自分自身に向かって帰還してゆく行為だともいえる。それは自分の盲目性を見いだし、他人の確信や知識[認識]にしたところで、ぼくら自身のそれと同じくらい、困った、頼りないものだと認識するための、唯一の機会なのだ。
ぼくらが<いること>「存在」と、<おこなうこと>「行動」と、<知ること>「認識」の、この継ぎ目のない偶発的同時性がふくみもつ意味に、気づくということ。
外部にあるいかなるものについての経験も、「そのもの」が<描写>の中に立ち現れてくることを可能にする人間の構造によって、特別のやり方で価値づけられて[有効化されて] いるのだ。
アクションと経験のこの円環性、この連結、ある特定の<ありかた>「存在様式」と世界の見え方とのこの分離不可能性は、ぼくらに、それぞれの認識行為はひとつの世界を生起させるということを教える。
これらのことは次のようなアフォリズムに要約されることになろう-
「すべての行動は認識であり、すべての認識は行動である」と。

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※このシリーズはオートポイエーシス理論を提唱したU.マトゥラーナとF.バレーラの共著「知恵の樹」からの引用MEMO。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-251

9月17日、晴、うすら寒いので、とうとうシヤツをきた、ことに三時にはもう起きてゐたのだから、-うつくしい月だつた、月光流とはかういふ景情だらうと思つた。
朝から其中庵へ出かける-飯盒そのものを持つて-、大工さんへ加勢したり、戸外を掃除したり、室内を整理したりする、近来にない専念だつた。
樹明さんから、ポケツトマネー-50銭玉一つ-頂戴、それでやうやく煙草、焼酎にありつく。
夜、さらに同兄と冬村君と同道して来訪、話題は其中庵を離れない、明日は大馬力で其中庵整理、明後日入庵の予定。
これで、私もやつとほんとうに落ちつけるのである、ありがたし、ありがたし。
じつさい寒くなつた、朝寒夜寒、障子をしめずにはゐられないほどである。
秋、秋、秋、今年は存分に秋が味はへる。‥‥

※表題句の外、3句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―層雲峡、銀河の滝を背に-’11.07.28


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2011年10月15日土曜日

秋の空から落ちてきた音は何

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―日々余話― 御年10歳を機に‥

秋もたけなわの10月半ばというに、昨日来の豪雨とは、些か憂鬱‥。
KAORUKOも今日で御年10歳なり、57歳のときの子であるから、いわば自身の老いとともに歩んできたことになるが、生後より来し方をふりかえれば、早いといえば早くもあり、またずいぶんとのんびりした歩みであったとも思えるが、爾後の10年は、加速度的に早まりこそすれ、これまでのような悠長なことはないのだろう。

この日を記念してという訳ではないのだが、この機に乗じてといえばあたらずとも遠からず-、
連れ合いのJUNKOと共に暮らすようになってからでもすでに15年、付合いはじめたのはさらにその4年前だから、19年の長きにわたってということになるが、この歳月、彼女の両親たちと私自身はまったく没交渉のままで、まともな挨拶をしてこなかったのを、お互い老いの旅路をゆくばかりの身となれば、いつまでも打棄っておく訳にもいくまい、そろそろケジメをつけるべきかと思い、明日の夜まことにささやかながら一席設けることにしたのである。
先方は、両親と、それに姉と兄、此方はKAORUKOを随えての3人だから計7人、此方から呼びかけた宴席なれば、挨拶の口火をきらずばなるまいが、はてさてどんな口上をしたものか、なんとも悩ましいかぎりなのだ。

―表象の森― 西丸四方の「彷徨記」

母が島崎藤村と姪・叔父にあり、「夜明け前」の主人公青山半蔵のモデル藤村の父・島崎正樹が曾祖父にあたるという、精神科医西丸四方(1910-2002)の自伝的エッセイ「彷徨記-狂気を担って」は、平明で衒いのない語り口が、著者自身の人間性をよく表し、愉しく読ませてくれる。
とりわけ後半部、「都落ち」「心に残る病人たち」など、活写ぶりは際立ち、そのときどきの対象が鮮明に浮かび上がってくるのがいい。

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-以下は本書からのMEMO
「志向的作用は意識野の中心に分凝、セグレゲート(セ=分かれて、グレクス=群)されており、意識野の中心のまわりに、離れて、ひとりでに浮かぶ作用がよく分凝せずにあるのが正常で、統覚されていてもそれに関連した淡い表象がひょいひょいと出てくるものである。幻覚の場合には統覚が弱まり、まわりの淡い表象がはっきりしてきて、これがひとりでに、自動的に浮かび上がる表象ないし観念となる。すなわち意識の場で中心の統覚されたものの分凝が弱まり、周辺の淡かるべきものの分凝がはっきりきわ立ってくる。」 -再び東大で-の章より

「人間は時間的存在であるとともに空間的存在でもあるから、躁病の人の空間は拡大しており、うつ病の人の空間は縮小しているといえば、前者の跳躍、奔逸する症状は了解でき、後者の萎縮退嬰的した世界は了解できる。強迫を持つ人の世界は狭い円環で、その中をぐるぐる廻って前進がない。分裂病の人は非ユークリッド世界に住む。平行線に関係したことを持出せば我々と病人は通じ合えない。三角形を持出せば一応通じ合えるが、全く合うことはなく、方々でずれがある。我々の世界をユークリッド的として、ポアンカレ的に非ユークリッド世界を図示すると、我々の世界から見ると非ユークリッド的、分裂病的世界は小さく局限されている。実存分析者のいう世界の狭まりというときには、どうしても空間的に表象しなければならない。分裂病の人はユークリッド世界の中に非ユークリッド世界を作っている存在であるというと、アナロジーであるが、常識的人間たちの中にあって、人間として不可能であるような存在の仕方をする存在であるといえば、実存分析的に聞こえる。」 -都落ち-の章より

「ニルヴァナ-涅槃-、これは悟りの境地というよりも、生命の蝋燭の火がふっと消えたようなものであり、<ニルヴァナ>とは吹き消すことであるが、煩悩の火を吹き消して悟りの境地に達するというようなものでもなく、煩悩も悟りも何もない、荘子のいう無の無の無である。」 -死に損なって-の章より

「ビンスワーガーは、30年代になってから精神分析とハイデッガーの現存材は世界内存在だというのを精神病に応用した。私はこのやり方はユクスキュルの動物の環界内存在を人間に応用する方が容易でおもしろいと思っていた。」 -死に損なって-の章より

「精神医学の道を辿って50年あまり、迷い、つまずきながらやっと辿り着いたところは元のままであったという気がする。精神医学はイデオロギーの学問のように見え、ドイツイデオロギーとアメリカイデオロギー、クレペリンイデオロギーとマイヤー=フロイトイデオロギーの交代である。政治の方ならばマルクスイデオロギーと西欧イデオロギーの交代のようなものであろう。」 -死に損なって-の章より

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-250

9月16日、今朝も3時には床を離れてゐた。
月を眺め、土を眺め、そして人間-自分を眺める、人間の一生はむつかしいものだ、とつくづく思ふ。
夕方から其中庵へ出かける、樹明兄が冬村、二三雄その他村の青年と働いてゐられる、すまないと思ふ、ありがたいと思ふ、屋根も葺けたし、便所も出来たし、板敷、畳などの手入れも出来てゐる、明日からは私もやつて出来るだけ手伝はう、手伝はなければ罰があたる、今日まで、私自身はあまり立寄らない方が却つて好都合とのことで、遠慮してゐたが、まのあたり諸君の労作を見ては、もう私だとてぢつとしてはゐられない、私にも何か出来ないことはない。
今夜はよい月である、月はいろいろの事を考へさせる、月をひとりで眺めてゐると、いつとはなし物思ひにふけつてゐる、それはあまりにも常套的感傷だけれど、私のやうな日本人としては本当である、しんじつ月はまことなるかな。

※表題句の外、7句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―摩周湖の水面-’11.07.27


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2011年10月6日木曜日

こどもほしや月へうたうてゐる女

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―日々余話― 縮図

夜来の雨もあがって、すっかり青空、暑くなった。
午前10時過ぎ頃、中加賀屋商店街の入口手前の公園を通りかかると、
50代半ばころか、ひとりの男が、なにやら叩きつけるように、大声で口走っている。
 「病院に行けって? なんで行けるんだよ-」
 「金なんかあるもんか、仕事がねえんだよー」
周りに聞く者とて誰も居ないのだが、
お構いなしに、そんなことを何度も繰り返し、怒鳴り散らしている。
知らぬ顔で通り過ぎるしかないのだが、
ここにも現在の日本を映すような、
なんとも気の鬱ぐ光景-。

―表象の森―<日暦詩句>-46

  「鳥」  安永稔和
曇った空を
飛んでいると
よく知っているつもりの
遠い国のことがわからなくなる。
渇いた半分と
濡れた半分と
そのどちらの半分も
わからないものになる。
遠い町の生垣のことも。
遠い空のことも。
遠い心のことも。
わからなくなった
あげくのはて
私は曇った鏡のなかに
飛んでいる。
  -安永稔和詩集「鳥」-昭和33年刊-より

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-249

9月15日、晴、時々曇る、満月、いはゆる芋名月、満州国承認の日、朝5時月蝕、八幡祭礼、肌寒を感じる。
昼、ばらばらとしぐれた、はじめてしぐれの風情を味ふ。-略-
酒壺洞君から、もつと強くなれと叱られた、たしかに私は弱気だ、綺語を弄すれば、善良な悪人だ。-略-
憂鬱な日は飯の出来まで半熟で。ますます憂鬱になる、半熟の飯をかみしめてゐると涙がぽろぽろこぼれさうだ。
朝魔羅が立つてゐた、-まさにこれ近来の特種!
夜、樹明兄来庵、章魚を持つて、-略-、しんみり飲んで話しつづけた、12時近くまで。
ねむれない、3時まへに起きて米を炊いだり座敷を掃いたりする、もちろん、澄みわたる月を観ることは忘れない。
  月のひかりの水を捨てる –自分をうたふ-
月並、常套、陳腐、平凡、こんな句はいくら出来たところで仕方がない月の句はむつかしい、とりわけ、名月の句はむつかしい、蛇足として書き添へたに過ぎない。

※表題句の外、10句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―ランプの宿・森つべつ外観-’11.07.27


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2011年9月26日月曜日

どかりと山の月おちた

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―表象の森― 蛇状曲線的-痙攣的

対比-コントラスト-と逆説-パラドックス-の「蛇状曲線様式」による幻視者的な「高速度撮影-像」は、ヨーロッパ精神史の中でいくつかの頂点を閲している。こうした「爆発的に凝固した」頂点の一つがティントレットの傑作、ヴェネツィアのスクオーラ・ディ・サン・ロッコの「キリスト昇天」である。天使の翼の「爆発」に目をとめるがいい。これは全ヨーロッパ芸術の中にみずからの姿に似たものを探し求める一種の「異常-静力学(パラ・スタティック)」である。つぎにやや奥まった画面の中心点を見よう。すなわち「イデア」の世界からきたエーテル様の、テレプラズマ風なものの像-かたち-、さらにまた画面下方に重心をおく古典的構図が右手でなく左手へとずらされている点に注目しよう。すぐれて反古典的なのは天使の足である。それはまるで天使らしい点がないという怪物性を物語るように、エーテル様の中央のものの像をおそろしく非審美的な仕方で脅かしている-左画面の縁の上半-。何という対比、何という独創的な逆説! 対比と逆説はティントレットにおいて、-グレコにおけるとともに-当時のマニエリスムの頂点に達した。

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 -「キリスト昇天」ティントレット(1518-1594)-

フランスとイタリアのマニエリスムを識っていたグレコは、瑕瑾のない創造的な純粋性のうちに、このヨーロッパ的様式を適用し、ゴンゴラとともに、「形式と内容」のある醇乎たる、幻視者的な一致に到達したのであった。その蛇状曲線様式の傑作「ヨハネ幻視」は、グレコの先行者たちにとってのラオコオン群像のように、後の時代にとってひとつの「原像」となった。その今日の例としては、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」やマックス・エルンストの「動かない父親の幻視」などが挙げられる。
而して、ドヴォルシャックとともに、こう断言して差し支えないだろう―「芸術的幻想はマニエリスムにおいてこそ、先行する幾世紀の間に創られたもの一切をささやかな序曲と想わせる飛翔にまで高められる」と。

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 -「ヨハネ幻視」エル・グレコ(1541-1614) -
  ―G.R.ホッケ「迷宮としての世界-上-」岩波文庫より

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-248

9月14日、晴、多少宿酔気味、しかし、つつましい一日だつた。
身心が燃える-昨夜、脱線しなかつたせいかもしれない、脱線してもまた燃えるのであるが-、自分で自分を持てあます、どうしようもないから、椹野河へ飛び込んで泳ぎまはつた、よかつた、これでどうやらおちつけた。-略-
いつもリコウでは困る、時々はバカになるべし-S君に-。
イヤならイヤぢやとハッキリいふべし、もうホレタハレタではない-彼女に-。
大きな乳房だつた、いかにもうまさうに子が吸うてゐた、うらやましかつた、はて、私としてどうしたことか! -略-
月がよくなつた、蚊もゐなくなり、灯による虫も少くなかつた、暑くなし寒くなし、まことに生甲斐のあるシーズンとなつた、かうしてぶらぶらしているのが勿体ないと思ふ。
新町はお祭、月夜、四十八瀬川のほとりに組み立てられたバラツクへ御神輿が渡御された、私も参拝する、月夜、瀬音、子供の群、みんなうれしいものだつた。
此頃はよく夢を見るが-私は夢中うなるさうな、これは樹明兄の奥さんの話である-、昨夜の夢なんかは実に珍妙であつた、それは或る剣客と果し合ひしたのである、そして自分にまだまだ死生の覚悟がほんとうに出来てゐないことを知つた。
夢は自己内の暴露である。 -略-

※表題句の外、11句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―ランプの宿・森つべつのロビーにて-’11.07.26


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2011年9月17日土曜日

鳴くかよこほろぎ私も眠れない

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―行き交う人々― 浜田スミ子篇

RYOUKOの命日も近い10日だった。
長年音信の途絶えていた人から供物が届けられた。中身はお線香。
届け主は浜田スミ子、もう25、6年は逢っていない。

添えられた書面には、
「逆縁」拝読しました。
本のタイトルに心がざわつきました。
その扉をそっと開けると、すっかり大人になった私の知らない僚子さんがいました。
その下に゛RYOUKOよ、おまえは悲母観音になるのだ」とありました。
僚子さんが亡くなったのだと想いました。
本の内容は心に重くのしかかり、父としての思いの深さが伝わってきました。
この訃報に接したとき、ご命日に何かお届けしようと考えていました。
‥‥、などと綴られていた。

浜田スミ子-
彼女が私の作品に初めて登場したのは、’77年秋の「太陽のない日-One day the Sun has gone.」だった。
稽古場に初めてやってきた頃の彼女は、軽い対人恐怖症のようなところがあるように見受けられた。そんな気質を少しでも積極的な性向になれるようにと、友人に勧められて門を叩いてきたらしかったが、芯の強さはあったのだろう、つねに控えめではあったが、真面目な姿勢で励み、徐々に頭角を現してくる。
メロス以後、’80年に入って、稽古場では即興的な表現が中心になっていくが、そんななかで彼女の資質は開花してくる。’80年、尼崎ピッコロシアターでの「アンネ・ラウ」で体現してみせた山中優子との対照は、この作品の中軸を成したし、’84年、島之内小劇場での「秋夜長女芝居女舞三噺篇-少女貝/道成寺絵解/水蜜桃」のなかで、Solo「天国の駅」は、その持ち味に適った佳品であった、と思う。
‘86年頃までのほぼ10年、それは私自身の破綻と再生を挟んだ10年であるが、彼女の20代前半から30代前半を、自身のもっとも華やいだ季節として、私とともに歩んでくれたことになる。

そんな彼女に、お礼の文を綴る-
些か驚きつつも、
お供えの品、ありがたく頂戴しました。
私の家には、仏壇や位牌はないのだけれど、
彼女の写真と、小さな小さな遺骨の入ったロケットが、
机の前の書棚にあります。
なるべく一輪挿しの花を絶やさぬように、
また、日々、お線香を薫らせてもいます。
過分なお志とともに、御文しみじみと拝読、感謝。
ありがとう。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-247

9月13日、起きたい時に起き、寝たい時に寝る、食べたくなれば食べ、飲みたくなれば飲む-在る時には―である-。-略-
めづらしい晴れ、ときどきしぐれ、好きな天候。
摘んできて雑草を活ける、今朝は露草、その瑠璃色は何ともいへない明朗である。
母屋の若夫婦は味噌を搗くのにいそがしい、川柳的情趣。
白船老から来信、それは私に三重のよろこびをもたらした、第一は書信そのもの、第二は後援会費、第三は掛軸のよろこびである。
蛇が蛙を呑んだ、悲痛な蛙の声、得意満面の蛇の姿、私はどうすることもできない、どうすることはないのだ!
廃人が廃屋に入る、―其中庵の手入れは日にまし捗りつつあると、樹明兄がいはれる、合掌。-略-
いやな夢ばかり見てゐる。‥
唖貝-煮ても煮えない貝-はさみしいかな。
根竹の切株を拾ふ、それはそのまま灰皿として役立つ。

※表題句の外、15句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―釧路湿原展望台-’11.07.26


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2011年9月14日水曜日

樹影雲影に馬影も入れて

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―日々余話― たまらぬ残暑に‥

からだが怠い、いささか夏バテ‥‥。とにかく蒸し暑い‥、今日はいったい何日だっけ?
9.14‥、とたんにはっと気づいた、RYOUKOの‥‥。
そうだ、礼状を書かなければ‥、遠い昔の知友から供物の線香が届いていた、二、三日前だ。
春先に送った書への応当だが、それが半年も経てとなったのは、即座に読むに重すぎた所為だろう。平静さを取り戻してから、じっくりと読んでくれたと見える。添えられた短い書面からもそのことは覗える。
6月29日から「山頭火の一句」の日付と同じく、道行と洒落込んでブログの更新を励んできたのに、とうとうその禁を破ることに‥。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-246

9月12日、晴曇不定、厄日前後らしい天候である。
昨夜は蚊帳を吊らなかつた、昼でも障子を締めておく方がよい時もある。
自己勘検は失敗だつた、裁く自己が酔ふたから!
樹明兄から米を頂戴した、これで当分はヒモじい目にあはないですむ、ありがたや米、ありがたや友。
憤独―自己を欺かない、といふことが頻りに考へられた、一切の人間的事物はこれを源泉としなければならない。
古浴衣から襦袢一枚、雑巾二枚を製作した。
夕ぐれを樹明来、蒲鉾一枚酒一本で、とろとろになつた。
今日の水の使用量は釣瓶で三杯-約1斗5升-。
近来少し身心の調子が変だ、何だかアル中らしくもある-ただ精神的に-。
今夜も楽寝だつた。

※この日句作なし、表題句は9月10日記載の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―釧路湿原駅-’11.07.26


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2011年9月11日日曜日

萩の一枝にゆふべの風があつた

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―日々余話―
たった一泊の白馬、あわただしい休日-

ラフオーレ白馬美術館でChagallを鑑賞、銅版、木版の、多くの板画が展示されていた。彼の生涯と作品を解説する映像は、入門には好適。

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宿泊のログハウスは、もうかなり年代物だが、それでも家族水入らずの一夜には快適に充分愉しめる。
明くる朝はレンタサイクルで2時間ほど白馬遊輪-とくれば爽快感あふれそうだが、まだ暑気もたっぷりで汗びっしょりと青息吐息、帰路の長丁場の運転が堪えたこと。

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-245

9月11日、曇、夕方から雨、ほんとうに今年は風が吹かない。
ふつと眼がさめたのは4時、そのまま起きる、御飯をたいて御経をあげて、そしたらやつと夜が明けた。-略-
昨日の日記を読んで驚いた、それは夢遊病者の手記みたいだつた-前半はあれでもよからう-、アルコールの漫談とでもいはうか、書かなくてもよい事が書いてある代りに、書かなければならない事が書いてない。-略-
昨夜、樹明兄を見送つて、日記を書きはじめたのは覚えてゐる、書いてゐるうちに前後不覚になつたらしい。
意識がなくなる、といつては語弊がある、没意識になるのである-それは求めて与へられるものぢやない、同時に、拒んで無くなるものでもない-。
その日記を通して自己勘検をやつてみる。
案山子二つ、‥赤いとあるだけではウソだ。
その前のところに、―即今無-とある、無意味だ、といふよりも欠陥そのものだ、無無無といつた方がよいかも知れない、とにかくムーンだから! -略-

※表題句の外、11句を記す

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Photo/白馬村―薬師の足湯に居並ぶ石仏たち-’11.09.11


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