2010年7月27日火曜日

まつぱだかを太陽にのぞかれる

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―日々余話― iPadの一騒動

他人にお節介をするときは、端から相応の覚悟をしておくに若くはない。
先週の火曜から昨日の月曜まで、ちょうど1週間、このお節介から振り回される羽目になってしまった。

先日、車椅子の詩人こと畏友岸本康弘君宅を訪ねた際、「手の不自由な君でも、これならなんとか扱え、愉しめるのじゃないか」と、iPadを取り出しご披露に及んでみたら、とりわけ彼は「青空文庫」を快適に読めるのが気に入ったとみえて、「欲しい!」と一言、その一週間後には早々と手に入れていた。
手に入ったと聞きつけては、奨めた立場上、設定やアプリのダウンロードなど、彼には出来そうもない面倒なことは私がやってやらないと宝のもち腐れとなろうから、翌日また宝塚の彼宅へ駆けつけることに。

前日に、介護者が二人もついて、わざわざ心斎橋の直販店まで出向いて購い求めたものだが、担当した女性店員はずいぶん懇切丁寧に応接したらしく1時間半ばかりもかかったというに、付属品の電源コネクタとケーブルがない。小さなものだが、これがなければ充電も出来ないし、PCと接続してアプリなどのやりとりも出来ない、いわば命の綱。

これが騒動の発端で、問題の部品一つを無事手にするのに、メーカー側のカスタマーセンターの度重なる誤配などの所為もあって、結局は昨日、私自身が関係書類を持って直販店へ出向いて貰い受けるという始末で、1週間を要してようやく一件落着と相成った次第だが、この小さな部品、まだ私の手元にあるのだから、今日明日にも宝塚まで持参してやらなければならない。

なに、余計なお節介をするものじゃない、と悔いたりしてるわけじゃない。事に関わった以上は、それも相手が相手だけに、相当に面倒なことは百も承知のうえでのこと。ただ、ことさらハンデのある身が、文明の利器を自家薬籠中のもののごとく利用しようと望んでも、いかにも初歩的なトラブルといえど、いったんそれに巻き込まれてしまったら、複雑なマニュアルどおりのシステムが立ちはだかって、もうどうにも手の打ちようがないという現実が、いささか腹立たしくもあり哀しいのだ。そんな思いで、このドタバタ騒ぎも記憶にとどめるべしと書き留めておく。

―山頭火の一句― 行乞記再び -95
4月5日、花曇り、だんだん晴れてくる、心も重く足も重い、やうやく2里ほど歩いて2時間ばかり行乞する、そしてあんまり早いけれどここに泊る、松原の一軒家だ、屋号も松原屋、まだ電灯もついてゐない、しかし何となく野性的な親しみがある

自省一句か、自嘲一句か
  もう飲むまいカタミの酒杯を撫でてゐる –改作-

自戒三章もなかなか実行できないものであるが、ちつとも実行できないといふことではない、或る時は菩薩、或る時は鬼畜、それが畢竟人間だ。

今日歩いて、日本の風景-春はやつぱり美しすぎると感じた、木の芽も花も、空も海も。‥
風呂が沸いたといふので一番湯を貰ふ、小川の傍に杭を5.6本打ち込んでその間へ長州釜を挟んである、蓋なんかありやしない、藁筵が被せてある、-まつたく野風呂である、空の下で湯の中にをる感じ、なかなかよかつた、はいらうと思つたつてめつたにはいれない一浴だつた。

同宿二人、男は鮮人の飴屋さん-彼はなかなか深切だつた、私に飴の一塊をくれたほど-、女は珍重に値する中年の醜女、しかも二人は真昼間隣室の寝床の中でふざけちらしてゐる、彼等にも春は来たのだ、恋があるのだ、彼等に祝福あれ。

今夜もたびたび厠へ行つた、しぼり腹を持ち歩いてゐるやうなものだ、2.3日断食絶酒して、水を飲んで寝てゐると快くなるのだが、それがなかなか出来ない!

層雲4月号所戴、井師が扉の言葉「落ちる」を読んで思ひついたが-落ちるがままに落ちるのにも三種ある、一はナゲヤリ-捨鉢気分-、二はアキラメ-消極的安心-、三はサトリ-自性徹見-である。
世間師には、ただ食べて寝るだけの人生しかない!

※表題句の外、改作も含め12句を記す

御厨から2里ばかりの松原とは、唐津街道の調川-つきのかわ-町近くか。

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Photo/松浦市調川港の全景

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Photo/松浦市中心部の公園にある松浦党水軍兜の碑


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2010年7月23日金曜日

はなれて水音の薊いちりん

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―日々余話― 炎暑の下でなに励む‥?

平年の1.5倍という降雨で、各地に豪雨禍をもたらした梅雨が明けたかと思えば、これまた記録的な猛暑、炎熱の日々がつづく。午後11時現在ですら、気温30℃、湿度81%というから、当月生れの夏男の筈のこの身もヘタリ気味。
このところ手に入れたiPadに凝り型となっている所為もあるけれど、まとまったことなど記す意欲なし‥。

そのiPadの青空文庫で時間潰しに読んでいた、懐かしの中原中也「山羊の歌」より-
「都会の夏の夜」

月は空にメダルのやうに、
街角に建物はオルガンのやうに、
遊び疲れた男ども唱ひながらに帰つてゆく。
――イカムネ・カラアがまがつてゐる――

その唇は胠-ひら-ききつて
その心は何か悲しい。
頭が暗い土地になつて、
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。

商用のことや祖先のことや
忘れてゐるといふではないが、
都会の夏の夜の更-ふけ-――

死んだ火薬と深くして
眼に外燈の滲みいれば
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。

―山頭火の一句― 行乞記再び -94
4月4日、雨、曇、晴、行程3里、御厨、とうふや

ぼつりぼつり歩いてきた、腹がしくしく痛むのである、それでも3時間あまりは行乞した。
腹工合は悪かったが、行乞層は良かつた。

留置郵便を受け取る、うれしかつた、すぐそれぞれへハガキを出す、ハガキでも今の私にはたいへんである。
此宿はよい、電灯を惜むのが玉に疵だ-メートルだから-。

ゆつくり飲んだ、わざわざ新酒を買つて来て、そして酔つぱらつてしまつた、新酒一合銅貨9銭の追加が酔線を突破させたのである、酔中書いたのが前頁の通り、記念のために残しておかう、気持がよくないけれど-5日朝記-。
アルコールのおかげでグツスリ寝ることが出来た、昨夜の分までとりかへした、ナム アルコール ボーサー。

※表題句の外「笠へぽつとり椿だつた」を含む7句を記す

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Photo/御厨町は現在の長崎県松浦市西部の港町、写真は姫神社に奉納される御厨くんち

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Photo/御厨町の北に半島状に突き出た一角が星鹿町で、此処には説教節の石動丸所縁の刈萱城-城山-跡がある。写真は夕陽に映える城山展望台の風景


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2010年7月16日金曜日

酔ひどれも踊りつかれてぬくい雨

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―表象の森― 肉筆と明朝体、円谷幸吉の遺書

「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。
 巌兄、姉上様、しめそし、南ばん漬け美味しゆうございました。喜久蔵兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゆうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
 幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難ううございました。モンゴいか美味しゆうございました。正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
 幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敦久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正祠君、立派な人になって下さい。
 父上様、母上様。幸吉はもうすっかり疲れ切つてしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」
  ――円谷幸吉 -1968/01/09

Wikipediaの円谷幸吉の項によれば、その挫折と自殺について、
‘64年の東京五輪のマラソンで栄光の銅メダルに輝いた円谷幸吉は、次の目標を次の「メキシコ五輪での金メダル」と宣言した。しかし、その後は様々な不運に見舞われ続けた。所属する自衛隊体育学校の校長が円谷と畠野の理解者だった吉井武繁から吉池重朝に替わり、それまで選手育成のために許されて来た特別待遇を見直す方針変更を打ち出した。その上、ほぼ決まりかけていた円谷の婚約を吉池が「次のオリンピックの方が大事」と認めず、結果的に破談に追い込んでしまう。直後に、体育学校入学以来円谷をサポート、婚約に対する干渉の際も「結婚に上官の許可-「娶妻願」の提出-を必要とした旧軍の習慣を振り回すのは不当だ」と抵抗した畠野が突然転勤となり、円谷は孤立無援の立場に追い込まれた。さらに円谷は幹部候補生学校に入校した結果トレーニングの時間の確保にも苦労するようになる。その中で周囲の期待に応えるため、オーバーワークを重ね、腰痛が再発する。病状は悪化して椎間板ヘルニアを発症、’67年には手術を受ける。病状は回復したが、既に嘗てのような走りが望めるような状態ではなかった。
‘68年1月9日、カミソリで頸動脈を切って自死した。-Wikipedia「円谷幸吉」

この美しくも悲痛このうえない遺書を採りあげて、石川九楊は著書「文字の現在、書の現在」のなかで、肉筆とそれが活字となった明朝体との、表象のあらわれとしての差異について論じている。
野坂昭如が「円谷の実、三島の虚」において、「自衛官として自殺した円谷幸吉のそれ‥を、新聞で読んだ時、何というすさまじい呪いであるかと、受けとった。」と書いたように、肉筆で書かれた遺書が、活字の明朝体に転換された場に、否応なく出現してくる呪の深さ、その衝撃といった表象の位相がここにはある。
円谷が肉筆で描いたものは、周囲を取りまく人々の好意と善意への率直な感謝と、その期待を裏切ることへの「わび」であったにちがいない。ところが、いったん、この遺書が明朝体に転換されるや、怨みと呪いに満ちた陰画の世界が現前する。「美味しゅうございました」のリフレーンが、ガソリンのように食物を給油され、車のように走れ、走れと急き立てられたことへの怨みの歌と化してくる。最後の一行「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」もまた悲痛な叫びであると同時に、人間としてわずかの望みさえ奪われてレーシング・マシンと化せられたことへの呪いの韻きをもっている。
むろん円谷自身は怨みの遺書を残そうとしたわけではない。感謝や詫びの言葉の背後に、本人すら気づかぬほどに密かにしのびこんでいた怨みや呪いを、明朝体が外被を剥ぎとってあらわにしたものに他ならないのである。


―山頭火の一句―
行乞記再び -93
4月3日、雨かと心配したが晴、しかし腹具合はよくない。

婦負ばかりゐられないので、3時間ばかり行乞する、行乞相は満点に近かった、それはしぼり腹のお
かげだ、不健康の賜物だ、春秋の筆法でいへば、シヨウチユウ、サントウカヲタダシウスだ。
湯に入つて、髭を剃つて、そして公園へ登つた-亀岡城趾-、サクラはまだ蕾だが人間は満開だ、そこでもここでも酒盛だ、三味が鳴つて盃が飛ぶ、お弁当のないのは私だけだ。
昨日も今日もノン アルコール デー、さびしいではありませんか、お察し申します。
春風シュウシュウといふ感じがした、歩いてをれば。
  平戸よいとこ旅路じやけれど
    旅にあるよな気がしない  -略-

けふの道はよかつた、汗ばんで歩いた、綿入2枚だもの、しかし、咲いてゐたのは、すみれ、たんぽぽ、げんげ、なのはな、白蓮、李、そしてさくら。‥
これだけの労働、これだけの報酬。-略-
とうとう一睡もしなかつた、とろとろするかと思へば夢、悪夢、斬られたり、突かれたり、だまされたり、すかされたり、七転八倒、さよなら!

-これから改正-
時として感じる、日本の風景は余り美しすぎる。
花ちらし-村総出のピクニック-味取の総墓供養。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/寺院群のなかに聳え立つザビエル記念聖堂

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Photo/寺塀に沿ったオランダ坂から覗く聖堂

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Photo/平戸くんちの大祭が行われる亀岡神社


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2010年7月11日日曜日

すみれたんぽゝ咲いてくれた

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―日々余話― 選挙初体験!?

朝から降ったりやんだりの雨が、夕刻からは風がつよくなって、なんだか嵐模様。
二十歳で選挙権を得て以来40数年、これまで投票を欠かしたことはない筈だが、図らずもこのたびは、私の選挙史上初体験のものとなった。
なに棄権をしたわけではない、初めてというのは、国政に関して、嘗て一度も経験したたことのない、与党への投票という選択である。これってなんだか落ち着きのわるい妙な感慨に襲われもすることだ。
いまTV各局はどこも選挙報道で、その与党苦戦を伝えて喧しい。これも選挙戦途中から予測されていたことだから、さして驚くことではないが、この選挙結果、深刻なのは、またしても政局騒動がつづくこと必至、という事態だ。

―表象の森― 異貌の装束

昨夜、新世界の山王町で、またまたD.Marieらの成田屋路上パフォーマンス、お題は照坊雨女。
成田屋の主人が考案したという、D.Marieの装束というか、その異貌の出立ちが秀逸だった。近来にないヒット作になるものだ。

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―山頭火の一句―
行乞記再び -92
4月2日、晴、また腹痛と下痢だ、終日臥床。

緑平老の手紙は春風春水一時到の感があつた、まことに持つべきものは友、心の友である。
April foo! 昨日はさうだつたが今日もさうらしい、恐らくは明日も-マコト ソラゴト コキマゼテ、人生の団子をこしらへるのか!
しくしく腹がいたむ、読書も出来ない、情ないけれども自業自得だ、病源はショウチュウだつたのだ。

※句作なし、表題句は3月31日記載の句

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Photo/寺院と教会のある風景、平戸

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Photo/1931-S6-年に完成した、聖フランシスコザビエル記念聖堂-平戸カトリック教会-の偉容


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2010年7月6日火曜日

弔旗へんぽんとしてうらゝか

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―日々余話― 眠いし、蒸し暑いし…
眠いのと、蒸し暑いのと、そんな二重苦が、もうかれこれ3週間ばかりつづいているか‥。

昨日の稽古、2ヶ月余りイギリスに遊んできたAyaが無事ご帰還なって2度目のもの。
さすがに2ヶ月も食糧事情のちがう異国に滞在してきたとあって、ぐっと痩身になって見ちがえるよう。やはり踊るには、余計なものは刮ぎ落とした身体がいい。動きのなかになにやら繊細なものがふっと匂い立つことがある。
出立前より3kg減で、すでに1kgリバウンドした、といっていたから、それ以上戻ったらダメ、今のままをキープしろと厳命しておいた。

神尾真由子のPaganini「24のカプリース」、以前にも書いたが、とてもいい、音の運びが乱気流のように紡がれゆくといった感。

夕刻から朝にかけて、秋予定の市岡15期会の案内コピーやレイアウト原案に没頭、ほぼ輪郭は仕上がった。昼になって、代表幹事会の集まりに持参したのだが、約束の場所を探して、蒸し暑いなかを歩くことほぼ30分、草臥れた。
今夜も眠い。


―山頭火の一句―
行乞記再び -91
4月1日、晴、まつたく春、滞在、よい宿だと思ふ

生活を一新せよ、いや、生活気分を一新せよ。
朝、大きな蚤がとんできた、逃げてしまつた、もう虱のシーズンが去つて蚤のシーズンですね。
9時から2時まで行乞、-略-

「絵のやうな」といふ形容語がそのままこのあたりの風景を形容する、日本は世界の公園だといふ、平戸は日本の公園である、公園の中を発動船が走る、県道が通る、あらゆるものが風景を成り立たせてゐる。

もし不幸にして嬉野に落ちつけなかつたら、私はここに落ちつこう、ここなら落ちつける-海を好かない私でも-。
美しすぎる-と思ふほど、今日の平戸附近はうららかで、ほがらかで、よかつた。-略-

平戸町内ではあるが、一里ばかり離れて田助浦といふ、もつとうつくしい短汀曲浦がある、そこに作江工兵伍長の生家があつた、人にあまり知れないやうに回向して、‥

島! さすがに椿が多い、花はもうすがれたが、けふはじめて鶯の笹鳴をきいた。
鰯船がついてゐた、鰯だらけだ、一尾3厘位、こんなにうまくて、こんなにやすい、もつたいないね。
平戸にはかなり名所旧跡が多い、-オランダ井、オランダ塀、イギリス館の阯、鄭成功の‥

※表題句の外、1句を記す

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Photo/平戸藩松浦氏の居城だった平戸城、明治の廃藩置県で解体され、現状のように復元されたのは1962-S37-年

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Photo/オランダ商館跡へ連なるオランダ坂

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Photo/オランダ橋-別名幸橋-

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Photo/オランダ井戸

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2010年7月4日日曜日

春寒い島から島へ渡される

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―世間虚仮― 梅雨の不快も‥

今日も朝早くから、豪雨と形容するのが相応しいほどに、雨が降り続いているが、この蒸し暑さ、堪らぬ不快さには、いまにも音を上げそうで、なんとかならぬものかと、辟易もいいところ。
今年の梅雨には、なんだかおぞましささえ感じているような私なのだが、そんな弱音も、自身の加齢の所為もいくらか与ってあるのかもしれぬ。
まあ、これほどに降れば、各地のダムも、例年騒がれるような、渇水の心配もないのだろうけど‥。

それに加えて、これは梅雨とはなんの因果もないことだが、このところ老眼の度がさらに進んだらしく、いよいよメガネが合わなくなってきている。細かい字を読むのも、PCに向かうのも、以前に増して気力を要するようだ。そんな苦も重なって、他人様以上に、今年の梅雨に対し恨みがましく思っているのかも‥。
いずれにせよ、歳古るほどに、適応能力も劣ってくるのだからして、身に堪えようが違ってきているのだろう。


―山頭火の一句―
行乞記再び -90
3月31日、晴、行程8里、平戸町、木村屋

早く出発する、歩々好風景だ、山に山、水に水である、短汀曲浦、炭車頻々だ。
江迎を行乞してゐて、ひよつこり双之介さんに再会して夢のやうに感じた、双之介さんはやつぱり不幸な人だつた。
双之介さん、つと立つて何か持つてきた、ウェストミンスターだ、一本いただいてブルの煙をくゆらす、乞食坊主と土耳古煙草とは調和しませんね。

日本百景九十九島、うつくしいといふ外ない。
田平から平戸へ、山も海も街もうつくしい、ちんまりとまとまつてソツがない、典型的日本風景の一つだらう。
テント伝導の太鼓が街を鳴らしてゆくのもふさはしい、お城の練垣が白く光つてゐる、-物みなうつくしいと感じた-すつかり好きになつてしまつた。

当地は爆弾三勇士の一人、作江伍長の出生地である、昨日本葬がはなばなしく執行されたといふ。-略-
此宿はしづかでよろしい、お客といつては私一人だ、一室一灯一鉢一人だ-宿に対してはお気の毒だけれど-。-略-

※表題句の外、2句を記す

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Photo/名勝九十九島の風景と、夕映えの眺め

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Photo/平戸の対岸にある、田平の天主堂とその傍らの墓地


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2010年7月2日金曜日

さくらが咲いて旅人である

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―表象の森― 土門拳の鬼

いい写真というものは、写したのではなくて、写ったのである。計算を踏み外した時にだけ、そういういい写真が出来る。僕はそれを、鬼が手伝った写真といっている。-「肖像写真について」1953年-

ぼくは心のふるさとへ帰るように、日本の古典、弘仁彫刻と文楽人形浄瑠璃の撮影に没頭した。昭和16-1941-年12月8日、対米宣戦布告の号外を見たのも、大阪四ツ橋の文楽座の楽屋だった。留守宅に赤紙が来てやしないかと、いつもあやぶみながら、空きっ腹をかかえて、寺から寺への旅をつづけていた。-「古寺巡礼」1963年-

報道写真家としてのぼくも、今日ただ今のアクチュアリティのある問題と取組んで、現場の目撃者として火柱の立つような告発なり、発言なりを行いたい。-「デモ取材と古寺巡礼」1968年-

死も生も絶対なのは、それが事実であるからだ。運命というようなメタフィジカルな思考を離れてむ゜、それは事実そのものとしての絶対性において、人間の全存在を決定している。それは、死か生かというような決定的な瞬間を定着するだけでなく、日常茶飯のすべてをも、その連鎖の上に成立させている。-「死ぬことと生きること」1974年-

ぼくに対する憎悪と反発、それはとうてい長い時間そのままではいられない爆発寸前の状態だった。ぼくは梅原さんの全身から、殺気に似たものを感じた。何よりも、ガバッと起ち上がって、カメラほけとばしはしまいかと、と恐れた。ぼくは、咄嗟のり間にもカメラを引抱えてうしろー退けるよう、油断なく気を配りながら、シャッターを切った。そして、もはやこれまでと思い、「有難うございました」と、お辞儀した。
梅原さんは、むっくり起ち上がった。籐椅子を両手で一杯に持ち上げた。そして、「ウン」と気合もろとも、アトリエの床へ叩きつけた。すさまじい音だった。一瞬しーんとした。
-「風貌」1953年、玄関払いを食わせるような手強い相手ほど、かえっていい写真が撮れる、という土門と、写真嫌いで知られた梅原龍三郎の、火花が散るような対決のエピソードである。-

―山頭火の一句― 行乞記再び -89
3月30日、晴、宿酔気味で滞在休養。

旅なればこそ、独身なればこそである、ありがたくもあり、ありがたくもない。-略-
昨夜は酔うたけれど脱線しなかつた、脱線料がないからでもあつたらうが、多少心得がよくなつたからでもあらう、-略-

同宿の老人がいろいろしんせつに宿の事や道筋の事を教へて下さつた、しつかりした、おちついた品のよう老人だつた、何のバイ-商売-か知らないが、よい人が落ちぶれたのだらう。

私はさつぱりと過去から脱却しなければならない、さうするには過去を清算しなければならない、私は否でも応でも自己清算に迫られてゐる。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/相浦富士とも称される愛宕山と相浦川河口付近

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Photo/黒島天主堂で名高い九十九島最大の黒島へは、相浦港からフェリーで渡る


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2010年7月1日木曜日

物乞ふとシクラメンのうつくしいこと

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―表象の森― いまさらこの年齢で‥
今年上半期は石川九楊の書史論に明け暮れた感だが、
このところは、PCトラブルも影響しているが、それよりも近年にない不快きわまる蒸し暑さがきわだつ梅雨空の下で、根と集中力の要る本格派読書はぐんと低調、iPad相手に「青空文庫」の諸本を-こちらは一編々々ごく短いという所為もあるのだが-、気楽に読むなど、のんびりと取り組めるものにならざるをえない。

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そんなのんびりペースのなかで軸に据えてみたいと思っているのが「数学ガール」シリーズ、いまさらこの年齢で、半世紀も前に眠りこけてしまったままの「数学センス」がいささかなりとも目覚めてくれれば、と半ば期待しつつ、そんなのもう無理にきまってるさ、と半ば諦めつ、ぼちぼち繙いてゆこうか、と。

―今月の購入本―
・結城浩「数学ガール」ソフトバンク・クリエイティブ
’02年から著者のWebで綴られてきた「数学ガール」が、若い読者らの評判と熱い支持で出版されたのが’07年、以後、’08「数学ガール-フエルマーの最終定理」、’09「々-ゲーデルの不完全性定理」と続刊され、初巻の「数学ガール」はすでに初版15刷となるベストセラー。近くは電子書籍化もされ話題になっている。ネタの多くは「コンピユータの数学」-R.L.グレアム、O.パタシュニク、D.E.クヌース-に依っているとされるが、ともあれコンピュータ科学の世界で必要とされる数学的センスが身につくこと請合いと好評。

・保阪正康「昭和史の深層」平凡社新書
「昭和史を語り継ぐ会」を主宰するという著者は、その収集した膨大な資料・記録を「昭和史講座」に集約しようと壮大な計画を試みている。本書は副題に「15の争点から読み解く」とあるように、太平洋戦争、東京裁判、南京事件、慰安婦問題、強制連行、沖縄戦、昭和天皇etc.‥各章表題を掲げ、客観的に史実を整理しつつ問題の本質を絞り込んでいく。

・前田耕作「玄奘三蔵、シルクロードを行く」岩波新書
仏法を求めてシルクロードを踏破、遥かにインドまで旅をした玄奘三蔵、それは文字通り命がけの冒険であった。じじつ彼以来、誰一人として同じ道を通ったことはなく、部分的なルートでさえ未だに踏査されていない箇所がいくつも残されているという。本書は、文化史の立場からも検討が行われ、玄奘の残した「大唐西域記」は、もはや単なる古代の旅行記にとどまらず、その正確無比な記述は考古学の手がかりになり、また人類学の貴重な記録としても精彩を放つ。

―図書館からの借本―
別冊太陽「宮本常一-『忘れられた日本人』を訪ねて」
  々 「土門拳-鬼が撮った日本」
  々 「長谷川等伯-桃山画壇の変革者」

―山頭火の一句― 行乞記再び -88
3月29日、からりと晴れてゐる、まだ腹具合はよくないが、いよいよ出立した、停滞する勿れ、行程3里、相ノ浦、川添屋

恋塚といふ姓、夫婦株式会社といふ看板、町内規約に依り押売・物貰・寄附一切御断りといふ赤札。
今晩は飲みすぎた、地球が急速度で回転した、私自身も急速度で回転した、一切が笑つた、踊つた、歌つた、そして生滅してしまつた!-此貨幣換算価値55銭-
酔ひざめの夢を見た、息づまるほど悲しい夢だつた、ああ生れたものは死ぬる、形あるものはくづれる、逢へば別れなければならない、-しかし、ああ、しかしそれは悲しいことである。

※句作は表題句のみ

佐世保市内には旧石器終末期頃の洞窟遺跡が計25箇所あるという。松浦西九州線を佐世保駅から5km余り北へ行くと泉専福寺駅があり、その駅近くには12000~3000年前といわれる世界最古級の豆粒文-とうりゅうもん-土器が出土した泉福寺洞窟がある。

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Photo/泉福寺洞窟と、復元された豆粒文土器

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佐世保市相浦町は、その泉専福寺駅から西へ8kmほど歩いたあたりの港町。

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Photo/相浦の港


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