2011年11月10日木曜日

月にほえる犬の声いつまでも

Dc091226141

―表象の森―
断片化の迷走
またまた旧聞に属するが、3日に京都へと出かけ、御所近くの府庁旧本館で行われた「すごいダンス」を観た。
といっても、12時の部と2時の部のプログラムの内、昼食休憩後に駆けつけるも大入り満員の為、後半のほうは見損なってしまったのだが‥。
その前半の4つのダンスを観ながら、想起したのが「断片化」であり、このWordで目の当たりに進行するものたちのことを考えていた。
断片化をコラージュと言い換えてもいいのだが、コラージュの技法については、河本真理の「切断の時代-20世紀におけるコラージュの美学と歴史」なる労作があり、本書は「20世紀を通じて数多く制作されたコラージュの原理に基づく作品は、異なる様々な構成要素の引用と組み合わせから成り、均質な空間を破壊する不連続性を特徴とする。作品を「切断」-断片化-するという破壊的な身振りとあらゆる要素の綜合という、相反する極の間を絶え間なく揺れ動くコラージュは、造形芸術における単なる一技術上の問題を越え、近代文明の認識そのものを問うパラダイムとなる。」といった視点から、20世紀芸術のコラージュ的技法の数々を具体的なアプローチで分析してみせている大著で、一度は読んでみたいと食指が動かぬ訳ではない。
ここにコラージュの制作過程を分かりやすく図示したものを引いておこう。
<コラージュ・アクティヴティにおける、選択された部分の行方>
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選択された部分の切り取られる前のそれぞれの完成作品では、そのものひとつとしてのゲシュタルトを形成しており、これから切り取られる部分である事物自体、各々の完成された世界のレトリック・文脈に則ってその中でのある意味合いを有している。しかし、いったん切り離された切り抜きは、選択し切り取った行為者の意味合いが付加され、それまでの文脈の中での意味を失いとは異なる、新たな意味を持つことになる。
次に、他の切り抜きとともに台紙という新しいひとつの空間に配置されることにより、そこで出会った事物同士との関係性が生まれ、新たなる文脈上におかれ、新たなる意味が生まれることになる。
<図2-1>から<図2-2>への流れでは、元来の意味が消失され、<図2-2>から<図2-3>への流れの中で、新たなる意味合いと関係性の形成が生まれる。つまり、帰属する作者の意向に伴い、各々のパーツの意味合いの変化がある。
<図2-1>において、既存の空間内にあるパーツの意味と、<図2-3>に構成された同パーツでは、役割も変化し、それ自体の意味合いも変化している。これを、一種の錬金術とも換言することが出来得るし、新たなトロンプ・ルイユ-騙し絵-とも考えることが出来る。
     -「かけ橋機能としてのコラージュ」-佐藤仁美-より
このようなコラージュ的技法は、たしかに20世紀において、絵画・彫刻の美術のみならず、詩や小説、音楽あるいは建築にいたるまで、あらゆる芸術に大きな変容をもたらしたといえるだろうし、また舞踊におけるコンテンポラリー化なども、その延長にあるのだろう。さらにいえば、アートの日常化といった90年代以降の社会的潮流にも、コラージュ的技法のひろがりを見てとることもできるだろう。いいかえればコラージュこそが近代から現代への橋渡しをしたといっても過言ではないのかもしれない。
さて、断片として切り取られたさまざまな動きが、かように新しい関係性の中で意外性に満ちた相貌を呈してくるとすれば、コラージュとして成功したということになるのだが、私がこの日観た4つのダンスにそのような事例を見出すことはまったくなかったといっていい。断片が断片のままにただ虚しく並列していくといった躰でしかなく、むしろこの技法の負の側面、未熟なコラージュ的なるものの弊害であり、色褪せた悪しき断片化の類を見せられたというしかない。
とまれ、これら4つのダンスばかりではない、いまや低レベルの安易なコラージュ的作品は枚挙に暇がない、というのが現実だ。私などの実感としては、おそらく30年がこのかたずっと、かような迷走・退行がダンスや演劇の世界を席巻してきたのだ、と思われる。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-254
9月20日、小郡町矢足、其中庵。
晴、彼岸入、そして私自身結庵入庵の日。 朝の井戸の水の冷たさを感じた。
自分の一人で荷物を運んだ、酒屋の車力を借りて、往復二度半、荷物は大小9箇あつた、少いといへば少いが、多いと思へば多くないこともない、とにかく疲れた、坂の悪路では汗をしぼつた、何といふ弱い肉体だらうと思つた、
自分で自分に苦笑を禁じえないやうな場面もあつた。
5時過ぎ、車力を返して残品を持つて戻ると、もう樹明兄がきてゐて、せつせと手伝つてゐる、何といふ深切だらう。 私がここに結庵し入庵することが出来たのは、樹明兄のおかげである、私の入庵を喜んでゐるのは、私よりもむしろ彼だ、彼は私に対して純真温厚無比である。
だいぶ更けてから別れた、ぐつすり眠つた、心のやすけさと境のしづけさとが溶けあつたのだ。
昭和7年9月20日其中庵主となる、-この事実は大満州国承認よりも私には重大事実である。
※この日句作なし、表題句は18日付記載の句

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Photo/復元されている小郡の其中庵内部-11.04.30


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