2010年8月17日火曜日

忘れようとするその顔の泣いている

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―表象の森― 神尾真由子のPaganiniを踊ってみる
先月の27日以来、なんと20日ぶりの言挙げ。
ブログを始めてかれこれ6年にもなるが、これほどペースダウンしたことはない。これといって特段の事情があった訳でもない。いくつか思いあたる節もあるが、どれも決定的というほどにはあらず、漫然と複合的に作用したのかな、というしかない。
で、今日はとりあえず、今週末予定の「夏の夜の舞と小宴」と題した
6年ぶりか、久しぶりに稽古場で行うイベントの紹介。

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残暑御見舞。
ちょいと沈黙しているあいだに早くも盆の月となってしまいました。
かといってけっして稽古を休んでいた訳じゃありません。
Eric Satieの曲なぞかけて踊ってみると、ぐんと動きの発想がひろがります。
それにしても神尾真由子というViolinistは凄いですネ。音楽は門外漢の身でとても講釈なぞ出来ませんが、Paganiniの「24 Caprici」に脱帽、驚き入ってます。機会があればぜひ生の演奏を聴いてみたいものです。
いつもは稽古でご厄介になっているアソカ学園ですが、Work Shopよろしく即興なぞご覧いただいて、一夕気楽な小宴を得たいと思いますが如何でしょうか。
但し席料1000円也をご喜捨願うことになりますが、お運び願えれば幸甚に存じます。
  初秋とはいえ猛暑の砌   四方館亭主/林田鉄

―山頭火の一句― 行乞記再び -96

4月6日、晴たり曇つたり、風が吹いて肌寒かつた、どうも腹工合がよくない、したがつて痔がよくない、気分が鬱いで、歩行も行乞もやれないのを、むりにここまで来た、行程わづかに2里、行乞1時間あまり、今福町、山代屋
死! 死を考へると、どきりとせずにはゐられない、生をあきらめ死をあきらめてゐないからだ、何のための出離ぞ、何のための行脚ぞ、ああ!

此宿はよい、昨夜の宿とはまた違った意味で、-飲食店だけでは、此不景気にはやってゆけないので安宿をはじめたものらしい、うどん一杯5銭で腹をあたためた、久しぶりのうどんだつた、おいしかつた。-略-
人間の生甲斐は味はふことにある、生きるとは味はふことだともいへよう、そして人間の幸は「なりきる」ことにある、乞食は乞食になりきれ、乞食になりきれなければ乞食の幸は味はへない、人間はその人間になりきるより外に彼の生き方はないのである。

金のある間は行乞などできるものでない、また行乞すべきものでもあるまい、私もとうとう無一物、いや無一文になつてしまつた、SさんGさんに約束した肌身の金もちびりちびり出してゐたら、いつのまにやら空つぽになつてしまつてゐる、これてせよい、これでよいのだ、明日からは本気で行乞しよう、まだまだ袈裟を質入してもに二三日は食べてゐられるが。-略-
今夜も寝つかれなくて、下らない事ばかり考へてゐた、数回目の厠に立つた時はもう5時に近かつた-昨夜は2時-。

※表題句には夢と註記あり、この句の外10句を記す

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Photo/鳴き砂で知られる、その名も所縁のぎぎが浜

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Photo/松浦党水軍の梶谷城趾

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Photo/隣町にある上志佐の棚田


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