2010年8月19日木曜日

お地蔵さんもあたたかい涎かけ

Santouka081130046


―表象の森― 古里の香り匂い立つ

「今月の」ならぬ、月もとっくに変わって、7月の購入本などのご紹介。
「100年前の女の子」は佳品。
私の父母の田舎は徳島県南部や高知県の山里で、北関東の片田舎とはまた趣は異なるが、古里の香り匂い立つ田舎暮しの片々が、中学を卒業する頃まで毎年のように夏休みに帰参しては過ごした田舎の光景や風情が喚起され、ひととき懐かしい郷愁に誘われては、心地よき時間を堪能させてもくれた。

081800


―先月-7月-の購入本―

・S.モアレム「迷惑な進化」NHK出版
副題に「病気の遺伝子はどこから来たのか」とあるように、適者生存として進化してきた生物としての人類が、糖尿病や皮膚がんなど、現代社会で「病気」として遺伝子資産をもてあましている様子が明快に説明される。

・船曳由美「100年前の女の子」講談社
関東平野、群馬県館林の北西、県境の矢場川を越えると栃木県の足利、二つの町のあいだに高松という小さな村があった。明治42-1909-年、そこに寺崎テイという女の子が生れた。里帰りしてテイを産んだ実母は、姑と折合いが悪かったか、生後1ヶ月のテイだけを嫁ぎ先へと送り返した。
実母に見捨てられるという数奇な運命を背負わされた乳飲み子の、健気で勝気で賢い女の子として成長を遂げていく姿が心に沁みるが、大正頃の風俗や習慣が詳細に活写されており、民俗学的な関心からもたのしく読める。

・内田百閒「百鬼園随筆」新潮文庫
漱石門下の異才・内田百閒の昭和8年に上梓されたという代表的随筆。

―図書館からの借本―
・C.レヴィ・ストロース「パロール・ドネ」講談社メチエ
40年代前半から70年代半ばまでの32年間を、コレージュ・ド・フランスで行った講義と研究指導の、その年々の詳細で生々しい報告書を一冊に束ねたのが本書「パロール・ドネ」だそうだ。訳者は中沢新一。


―山頭火の一句―
行乞記再び -97
4月7日、曇、憂鬱、倦怠、それでも途中行乞しつつ歩いた、3里あまり来たら、案外早く降り出した、大降りである、痔もいたむので、、見つかった此宿へ飛び込む、楠久、天草屋

-略-、今日は県界を越えた、長崎から佐賀へ。
どこも花ざかりである、杏、梨、桜もちらほら咲いてゐる、草花は道につづいてゐる、食べるだけの米と泊るだけの銭しかない、酒も飲めない、ハガキも買へない、雨の音を聴いてゐる外ない。

此宿はほんたうにわびしい、家も夜具も食物も、何もかも、―しかしそれがために私はしづかなおちついた一日一夜を送ることが出来た、相客はなし-そして電灯だけは明るい-家の人に遠慮はなし、2階1室を独占して、寝ても起きても自由だつた、かういう宿にめつたに泊れるものでない-よい意味に於ても悪い意味に於ても-。

よく雨の音を聴いた、いや雨を観じた、春雨よりも秋雨に近い感じだつた、蕭々として降る、しかしさすがにどこかしめやかなところがある、もうさくら-平仮名かう書くのがふさはしい-が咲きつつあるのに、この冷たさは困る。
雪中行乞で一皮だけ脱落したやうに、腹いたみで句境が一歩深入りしたやうに思ふ。自惚ではあるまいと信じる、先月来の句を推敲しながらかく感じないではゐられなかつた。

友の事がしきりに考へられる、S君、I君、R君、G君、H君、等、等、友としては得難い友ばかりである、肉縁は切つても切れないが、友情は水のやうに融けあふ、私は血よりも水を好いてゐる!

天井がないといふことは、予想以外に旅人をさびしがらせるものであつた。
-略-、今夜も寝つかれない、読んだり考へたりしてゐるうちに、とうとう一番鶏が鳴いた、あれを思ひ、これを考へる、行乞といふことについて一つの考察をまとめた。

08180
Photo/伊万里湾を望む楠久あたりの風景

08181
Photo/創業200年という松浦一酒造

08182
Photo/七福神の弁財天で名高い荒熊稲荷神社


人気ブログランキングへ

0 件のコメント:

コメントを投稿