2010年11月13日土曜日

晴れたり曇つたり籠の鳥

Santouka081130052

―世間虚仮― 深刻、就職氷河期

若者受難の就職氷河期はいよいよ深刻さを増しているようだ。
今朝の新聞によると、大学生の就職内定率が、10月1日時点で、最低を記録しているという。全国平均で57.6%、大都市が集中する関東圏でも61.0%、近畿圏では60.5%といずれも過去最低だった昨年の同時期をさらに割り込んでおり、とくに理系の下げ幅は大きく過去最大だそうな。
但し、この調査比較はバブル崩壊後の就職氷河期が始まった頃、96年以降のものらしいが‥。
それにしても若者たちにとっては過酷な状況だとつくづく思わされる。

―表象の森― 埒をあける

どうにも低調だった読書ペースが少しばかり回復してきている。
前回に引き続き、石田梅岩の語録から「手前ヲ埒アケル」。
いにしえの和語の用法というものは、直観的に感応はできるものの、理において得心するのはなかなか難しい。
「埒」とは、白川静「字通」によれば、声符は寽-ラツ-、[説文]に「庳-ひく-き垣なり」とあり、ませがきの類をいう。小さな土垣-ドエン-や、また馬場の柵などをもいう。競べ馬を見る人は、柵外で久しく待たされるので、漸く入場が許されることを「埒が開-ア-く」という。上賀茂神社の神事である競べ馬から出た話されている、と。

松岡正剛は「千夜千冊」第807夜で、石田梅岩の「都鄙問答」を採りあげ、「手前ヲ埒アケル」について念入りに説いている。
「‥、自分の性格の積層構造を知ることだ。雲母のように重なっている性格の地層をひとつひとつ知る。-略-、そして、いったいどの層に自分のふだんの悪癖が反射しているかを突きとめる。そのうえで、その使い慣れてしまった性格層を別の性格層での反射に変えてみる。」
或は、「自分という性(さが)をつくっているのは、年代を追って重なってきた自分の地層のようなものである。性層とでもいうべきか。その層を一枚ずつ手前に向かって剥がしていく。そうすると、そのどこかに卑しい性格層が見えてくる。そこでがっかりしていてはダメなのだ。そこをさらに 埒をあけるように、進んでいく。そうするともっとナマな地層が見えてくる。そこを使うのだ。
だから、別の性格に変えるといっても、別種の新規な人格に飛び移ろうとか、変身しようというのではなく、自分の奥にひそむであろう純粋な性層に反映して いる性格を、前のほうに取り出せるかどうかということなのだ。このように使い慣れた性格を剥がすこと、あるいは新たな性格を取り戻すことを、それが<手前の埒をあけていく>なのである」、と。

以下は未記載の8、9月の購入本など。10月以降は次回にでも‥。
-8月の購入本-
・結城浩「数学ガール - フェルマーの最終定理」SoftBank
・渡辺公三「闘うレヴィ=ストロース」平凡新書
・野間秀樹「ハングルの誕生 - 音から文字を創る」平凡新書
・梯久美子「散るぞ悲しき - 硫黄島総指揮官栗林忠道」新潮文庫

-9月の購入本-
・結城浩「数学ガール - ゲーデルの不完全性定理」SoftBank
・辻邦生/北杜夫「若き日の友情 - 辻邦生・北杜夫往復書簡」新潮社
・梯久美子「硫黄島 - 栗林中将の最期」文春新書
・松原久子「驕れる白人と闘うための日本近代史」文春文庫

-図書館からの借本-
・大井玄「環境世界と自己の系譜」みすず書房
著者は内科医にして元国立環境研究所所長。認知症診察、エイズ研究、唯識、文化心理学、脳科学、歴史学、そして社会経済学まで、幅広く深い実践と思索が結晶した、類い稀なる未来への提言。

現在の地球環境危機をまねいた要因は、<開放系>と<閉鎖系>という相異なる社会環境の系譜にある。「ヒトは、歴史的にその生活・文化・環境へ適応しなが ら、自己観や生存戦略意識としての倫理意識を形成してきた。狭く貧しい〈閉鎖系〉で譲り合い助け合う生存をつうじて、典型的日本人のつながりの自己観と<関係志向>の倫理意識が作られた。広漠たる<開放系>で競争し、闘いながら欲望追求の自由をつうじて、アトムのようなアメリカ人の自己観と<個人志向> の倫理意識が形成されてきた」。

競争型社会と協調型社会が成立するための生存戦略は、環境世界と自己観のあり方に動機づけられる。開放系-資源と領土が無限にひろがっている状態-としての古代ギリシアから開拓期アメリカ、閉鎖系-資源も領土も限られている状態-としての古代日本から江戸時代へと文 明史をたどりながら、自立自尊の<アトム的自己>によって富の分極化を加速させるグローバリズムから、<つながりの自己>によって他者や環境へ配慮する来 るべき倫理への転換を模索する。

・中村圭志「信じない人のための<宗教>講義」みすず書房

―山頭火の一句― 行乞記再び -114
4月24日、

雨、春雨だ、しつぽりぬれる、或はしんみり飲める、そしてまた、ゆうぜん遊べる春雨だ、一杯二杯三杯、それはみな惣三居士の供養だ。
朝湯朝酒、申分なくて申分があるやうな心地がする、さてそれは何だらう。

読書、けふはすこし堅いものを読んだ。
昨夜はたしかに酔うた、酔うたからこそエロ街を散歩したのだが、脱線しなかつた、脱線しないといふことはうれしいが、同時にかなしいことでもある-それは生活意力の減退を意味するから、私の場合に於ては-。

此宿はよかつた、よい宿へとびこんだものだと思つた、きれいで、しんせつで、何かの便利がよろしい。
同宿4人、老人は遊人だらう、若者は行商人、中年女は何だか要領をえない巡礼さん、最後の四十男はお稲荷さん、蹴込んで張物の狐をふりまはす営業、おもしろい人物で、おしやべりで、苦労人で辛抱人だ。
夕方、そこらを散歩する、芭蕉柳塚といふのがあつた、折からの天神祭で、式三番叟を何十年ぶりかで見た、今夜はきつと少年の日の夢を見るだらう!

※表題句の外、1句を記す

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Photo/「八九間 空で雨降る 柳哉」と芭蕉の句が書かれた芭蕉柳塚

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Photo/芭蕉柳塚のある小倉の安国寺


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