2011年10月22日土曜日

つかれてもどるに月ばかりの大空

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―表象の森― 榎忠展私感

些か旧聞に属するのだけれど、このまま触れないで済ますのは少なからず「腹ふくくるわざ」にて、ここで言挙げしておく。
先週の土曜-10/15-、兵庫県立美術館に出かけ、先日亡くなった元永定正らの具体の作品を観、野外階段でDance Performanceの公開リハを観て、さらにことのついでに榎忠展をも拝見したのだが、本題はこの榎忠展。

榎忠-エノキチュウ-、Wikipediaによれば、香川県善通寺市出身の1944年生まれ、というから偶々私と同年だ。16歳から現在に至るまで神戸市に住み、定年になるまで金属加工の会社で旋盤工として働きながら、作家活動を並行させてきたという。’70年頃から「裸のハプニング」などPerformance Artを展開、’79年には銃口が山口組々長の自宅に向けられている巨大な大砲のObjet『LSDF』で注目を集め、鉄の廃材や機械部品を用いた彫刻・Objetを連作していく。‘08年に井植文化賞、’09年には神戸文化賞を受賞とあり、近年とくに世評が高いようだ。

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「美術館を野生化する」と題された今回の展示、鉄の廃材やスクラップ化した金属加工品などを用いた立体とインスタレーションが大半。米ソの自動小銃をMotifにした多量の鋳物群、機械部品などで造形した大砲様の立体、夥しい量の薬莢類を積み上げたインスタレーション、或いは溶鉱炉のノロや鋳鉄のバリなどを使った造形や、スクラップとなった工作機械などのシャフト類を大量に並べ立てたインスタレーション-それが写真だ-、etc.。
多くの評者が賞するように、たしかにどれもが異様で力強い存在感を放っている、と見える。だが、私の眼には、ただの悪趣味、短絡的思考の虚仮威し、これ見よがしの世界としか映らなかった。いやむしろ観るほどに不快感をつのらせるばかりの展示であった、というべきか。

ここで先ず触れておかねばならないことは、先述したように、定年になる数年前までは旋盤工を身すぎ世すぎとしてきたというこの作家榎忠にとっては、これら作品群の素材、鉄のスクラップや無用と化した加工品の数々はなべて彼の日常で深く馴染んできた代物ばかりであるのと同様に、私もまた巷間鉄工の町といわれる下町で育ったばかりか、親の家業そのものが鉄工所であったし、要するに境遇は違えど彼と同様、こういった諸々の鉄材・鉄製品にはどれも生々しい記憶がさまざま固有に貼りついている者だということである。このさまざまなタネを肌身でよく知る者にとって、彼の作品世界から受けとめる印象は、多くの評者がいう讃辞「この異様で力強い存在感」とはむしろ遠く、なんだか空疎で、見え透いたものにしか映らないというのは、ごく自然なことではないだろうか。とりわけ人を喰った展示は、ある一つの室内全体を、今でこそスクラップでしかないが、30年ほど前ならまだ下町の鉄工所などではよく見かけられた旋盤やフライス盤などの工作機械を並べ、そのままに陳列していたことだ。これには逆の意味で度肝を抜かれた。
とくに彼がこれらスクラップや廃材を大量に駆使してひたすら積み上げたり並べたりしたインスタレーションを展開するようになったのは、あの阪神大震災の破壊されつくした光景に自身遭遇してからのことらしいが、それもまた動機としては単純明快、こんなに判りやすい筋書きはないだろうと思われる。

とまれ重厚長大の鉄の文明は、19世紀から20世紀へと急激な世界資本主義化を果たし、先の世紀末においてすでに終焉を迎え、今や鉄は文明の果ての終末や廃墟のイメージと結びつきやすかろうが、そんなことは判りきったことではないのか。かような教条的思考で、夥しいほどの鉄のスクラップや廃材をもって、鬼面人を威かすがごとき造形世界を開陳しているのが、この「美術館を野生化する」ではないのか、としかどうしても私には思えないのだ。
阪神大震災から16年を経て、この3月に起こった東日本大震災によって、この国はさらに甚大な被害を受け、深刻な危機に見舞われている。この大自然からの言語に絶するような強烈なしっぺ返しに比べれれば、このレベルの見え透いたような「野生化」は後追いでしかなく、せいぜい「野戦化」あたりが相応しい謂いだろう。

端的に言おう、これら榎忠の作品世界を前にして私の脳裡をかすめるのは、芸術と政治というまったく舞台は異なるけれど、ハシイズム-橋下主義-こと橋下徹との類似、同根性である。

※榎忠の作品世界-Photo-については、
兵庫県立美術館「榎忠展」また「樋口ヒロユキ氏の紹介ブログ」などを参照されたい。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-253

9月19日、天地清明、いよいよ本格的秋日和となつた、働らくにも遊ぶにも、山も野も空も、すべてによろしいシーズンだ、よくぞ日本に生まれける、とはこの事だ。
子規忌、子規はゑらかつた-私としてはあの性格はあまり好きでないけれど-、革命的俳人としては空前だつた、ひとりしづかに彼について、そし俳句について考へた、床の花瓶には鶏頭が活けてあり、糸瓜は畑の隅にぶらさがつてゐる。
朝から其中庵へ、終日掃除、掃いても掃いても、拭いても拭いてもゴミが出る。-
此服装を見よ、片袖シヤツにヅボン、そのうへにレーンコートをひつかけてゐる-すべて関東震災で帰郷する時に友人から貰つた品-、頭には鍔広の麦桿帽、足には地下足袋、まさに英姿サツソウか!
更に此弁当を見よ、飯盒を持つてゆくのだが、それは私の飯釜であり飯櫃であり飯茶碗である。
日中一人、夜は三人-樹明、冬村の二君来庵-。
月を踏んで戻る、今夜もまた樹明君に奢つて貰つた、私は飲み過ぎる、少なくとも樹明君の酒を飲み過ぎる。
古釘をぬいてまはる、妙に寂しい気分、戸棚の奥から女の髪の毛が一束出て来た、何だか嫌な、陰気な感じ、よし、この髪の毛を土に埋めて女人塔をこしらへてやらう。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/二人子連れ越前の旅-越前竹人形の里にて-‘11.10.08


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