2011年6月10日金曜日

待つてゐるさくらんぼ熟れてゐる

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―表象の森― 「江戸の紀行文」を読む

著者板坂耀子は’46年生れ、昨年3月、福岡教育大教授を定年退官した、と。
曰く、芭蕉の「おくのほそ道」は名作だが、江戸時代の紀行としては異色の作であり、作為に満ちて無理をしている不自然な作である。この異色の名作「おくのほそ道」でもって、江戸期に花開いた二千五百二余る数多の紀行が、正当な評価も得ることなく、文学史から顧みられることなく終始してきたことに対し、まず一石を投じ、俳諧の世界ではともかく、紀行作家たちの中では、芭蕉の影響は皆無に近く、彼やその作品と関係ない場所で、近世紀行を生み育てる営みは行われていた、と。
その背景には、「参勤交代というシステムが、各大名を軸として中央の文化と地方の文化を上手に混ぜ合わせ-略-、各藩毎の地方文化を、少なくともその上澄みの部分に於いては極めてハイ・レベルで均質なものとする事に成功した。」という中野三敏-西国大名の文事-の説を引き、旅が娯楽化し、都から鄙へという図式が崩れていったことがある、と。

芭蕉より少し時代を下った江戸中期の上田秋成が、紀行「去年の枝折-コゾノシヲリ-」の中で、旅先で会った僧の意見として、芭蕉に対し悪態をついているとして引用している。
「実や、かの翁といふ者、湖上の茅檐、深川の蕉窓、所さだめず住みなして、西行宗祇の昔をとなへ、檜の木笠竹の杖に世をうかれあるきし人也とや、いともこゝろ得ね。-略- 八洲の外行浪も風吹きたゝず、四つの民草おのれおのれが業をおさめて、何くか定めて住みつくべきを、僧俗いづれともなき人の、かく事触れて狂ひあるくなん、誠に尭年鼓腹のあまりといへ共、ゆめゆめ学ぶまじき人の有様也とぞおもふ。」

以下、二章から十章までほぼ時代を追って、異色の芭蕉ならず、主流となった江戸紀行の作者たちを紹介していく。
名所記としての、林羅山「丙辰紀行」-1616頃-
寺社縁起としての、石出吉深「所歴日記」-1664頃-
実用性と正確さに徹した、博物学者貝原益軒の紀行「木曽路紀」-1685-「南遊紀事」-1689-
益軒の曰く、「詩のをしへは温厚和平にして、心を内にふくみてあらはさず。是、風雅の道、詩の本意なるべし。-略-ことばたくみにしかざり、ことやうなる文句をつくりて、人にほめられんとするは、詩の本意にあらず。故に詩を作る人、学のひまをつひやし、心をくるしむるは、物をもてあそんで、志をうしなふ也。かくの如くにして詩を作るは、益なく害ありて無用のいたづら也。風雅の道をうしなへり。歌を作るも又同じ。」-文訓-

古学者本居宣長の「菅笠日記」-1795-
宣長は、見るもの聞くもののみならず、自らの心の内にわきおこる、さまざまな相反する感情まで何一つ切り捨てず、最大限にとりいれてこの紀行を書こうとした。彼の文体は、明晰で平明で、かつ雅文の格調や品位を失うことがない。益軒が生み出した力強さや多彩さをとりいれつつ、ひとりの個人の内面を描く古来からの日記文学とも合体し、新しい時代の紀行文学として成立させている、と。

奇談集としての、橘南谿「東西遊記」-1795頃-
古川古松軒の蝦夷紀行「東遊雑記」-1788頃-
女流紀行としての、土屋斐子「和泉日記」-1809頃-
江戸紀行の集約点としての、小津久足「青葉日記」

06102
<日暦詩句>-30-
なんといふ駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
真っ黒なかたまりが
投げこまれる
 -石原吉郎詩集「サンチョ・パンサの帰郷」所収「葬式列車」より-昭和38年-

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-167

6月25日、同前。晴后曇、梅雨の或る日は、といつたやうな気分。
朝焼けはうつくしかつた-それは雨を予告するのだが-、自然のうつくしさが身心にしみいるやうだつた。
朝、青草-壺に投挿すために-5.6本を摘んだ、露も蜘蛛もいつしよに。
燕の子が、いつのまにやら巣立つてゐる、それらしいのがをりをり軒端近く来ては囀づる。
水田もまた、いつのまにやら、いちめんの青田となつてゐる、そして蛙が腹いつぱいの声でうたうてゐる。
生きのよい鯖が一尾8銭だつた、片身は刺身、塩焼きにして食べた、おいしかつた、焼酎一合11銭、水を倍加して飲んだがうまくなかつた。
たしかにアルコールに対する執着がうすらぎつつある、酒を飲まないのではなくて飲めなくなるらしい、うれしくもあり、かなしくもあり、とはこのことだ。
捨てられて仔猫が鳴きつづけてゐる、汝の運命のつたなきを鳴け、といふ外ない。
新聞配達の爺さんが、明日からは魚を持つてまゐりますから買うて下さいといふ、新聞と生魚! 調和しないやうで調和してゐると思ふ。

※記載は表題句のみ。

06101
Photo/妙青禅寺境内にある山頭火句碑


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