2011年6月13日月曜日

ひさしぶり逢へたあんたのにほひで

Santouka081130076

―四方のたより― しっかり-6159歩

久しぶりに早朝の散歩。
二日つづきの大雨がやっと霽れて、夏至も近い頃合の午前5時はすでに薄明りで、歩くにつれどんどん明るくなっていく。
住吉公園をぐるりと周回してから大社の方へと足を運んだが、どっこいいずれの門扉も閉じられていて、境内には入れない。開門は4月~9月は午前6時、10月~3月は午前6時30分と表札にあり、時計を見ればまだ5時半、やむをえず社塀に沿って南の方へ廻ると、ほぼ正方形の広い御田に出会す。
田圃の中央には櫓造りの舞台が設えられてあり、細
い橋懸りが手前の岸へと伸びている。明14日が例年行われる御田植祭だそうで、なるほど周囲にはテントが張られパイプ椅子も所狭しと並べられていた。
あまりご無沙汰だった所為か、歩き始めて30分も経つと、情けないことにへばってきて運びが緩む。やっぱり日々継続してなくてはダメだネと、ちょっぴり反省しつつも、あとはのんびりと歩いて帰参。
歩行計によれば「しっかり-6159歩-53分」とあった。

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記憶では70年代後半から80年代にかけてほぼ毎号のように購読していた青土社の月刊誌「現代思想」、30年ぶりになるか、特集「うつ病新論」の2月号を取り寄せ、このほど通読、雑誌をほぼ隅から隅まで読み切るなどとんと久しいことだけれど、私にとってはそうさせるだけの内容であった。
以下、参考になった論考を目次順に列挙しておく-
・立石真也「社会派の行き先-4」連載
・特集対談討議-内海健/大澤真幸「うつ病と現在性-<第三者の審級>なき主体化の行方」
・鈴木國文「<うつ>の味-精神科医療と噛みしめがいの薄れた<憂うつ>について」
・津田均「<うつ病>と<うつの時代>」
・熊木徹夫「<らしさ>の覚知-診断強迫の超克」
・村上靖彦「固有名とその病理」
・小泉義之「静かな生活-新しいことは起こらないこともありうる-アレント」
・粥川準二「バイオ化する社会-うつ病とその治療を例として」
・柳澤田実「ノンコミュニケーション-生の流れを妨げない思考のために」
・美馬達哉「ホモ・ニューロエコノミクスの憂うつ」

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-168

6月26日、同前。
曇、近郊散策、気分よろし、御飯がうまい、但し酒はうまくない、これも人生の悲喜劇一齣だらう。
蚤はあたりまへだが、虱のゐたのにはちよいと驚いた、蝿や蚊はもちろん。
-略- 青龍園-妙青寺境内、雪舟築くところ-を改めて鑑賞する、自然を活かす、いひかへれば人為をなるたけ加へないで庭園とする点に於てすぐれてゐると思ふ、つゝじとかきつばたとの対照融和である-萩が一株もう咲いてゐた-。
午後はあてどもなく山から山へ歩く、雑草雑木が眼のさめるやうなうつくしさだ、粉米のやうな、こぼれやすい花を無断で貰つて帰つた。
おばさんが筍を一本下さつた、うまい、うまい筍だつた、それほどうまいのに焼酎五勺が飲みきれなかつた!-明日は間違なく雨だよ!-
ほんたうに酒の好きな人に悪人がゐないやうに、ほんたうに花を愛する人に悪人はゐないと思ふ。
改造社の俳句講座所載、井師の放哉紹介の記録を読んで、放哉は俳句のレアリズムをほんたうに体現した最初の、そして或は最大の俳人であると今更のやうに感じたことである。
「刀鋒を以て斬るは勝つ」、捨身剣だ、投げだした魂の力を知れ。
-略- 今朝はめづらしくどこからも来信がなかつた、さびしいと思つた、かうして毎日々々遊んでゐるのはほんたうに心苦しい、からだはつかはないけれど、心はいつもやきもきしてゐる、一刻も早く其中庵が建つやうにと祈つてゐる。‥‥
近頃また不眠症にかかつて苦しんでゐる、遊んで、しかも心を労する私としては、それは当然たらうて。

※表題句には「緑平老に」前書あり、この句の外7句を記す

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Photo/妙青禅寺境内の雪舟作と伝えられる庭


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