2012年1月21日土曜日

夢の女の手を握つたりなどして夢

Ichibun981127022

―温故一葉― 田中恒子さんへ

 先日は、突然の電話で、さぞ驚かせたことと思います。
図録、拝受。昔の巻手紙のような、いささか型破りな体裁に驚きましたが、見ていくうちに、美術館に行って諸作品を観ているかのような、そんな工夫なのだと合点、思わずニヤリと笑ってしまいました。
お言葉通り、50円切手50枚を同封させていただきます。ご査収下さい。
時折、九条へも行くことがあるので、偶にひょいと覗いては、義次君と話をすることもあります。
彼が大学卒業後、豊中市役所に就職したのも、幼い頃の一時期を豊中に住んでいた事と遠くつながっていたのかも知れないな、などとそんな連想も、ご本を読みながら思い浮かびました。
大変不躾とは思いつつ、いくつかの雑文と2冊の本を同封させていただきます。
一つは、中原喜郎氏-市岡14期-の作品集。間質性肺炎を罹病していた彼は’06年12月に急死しました。私の手許に二冊ありましたので、お手許にお加えいただければ幸いです。
あと一つは、あまりに私的なものでまことに申し訳ないのですが‥。
この世にはよくある不幸事、それが偶々何の因果かこの身にも降りかかったにすぎないのですが‥。
ちらりと読み捨てていただければ、と思います。
70歳を越えて、コンテンポラリーダンスに嵌まり、成ヤンこと北村成美の追っかけをしているとのこと。
益々、お元気に、老いにこそある青春を謳歌してください。 -2012.01.21-

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三年前のいつ頃だったか、新聞紙面に大きく紹介された現代美術作品のコレクター田中恒子女史、その写真を見て驚いた。
なんと私が子ども時代を過ごした九条の家の隣人、しかも中学・高校とずっと一緒で仲良しだった同級生のすぐ上のお姉さんだったのだ。家族同士で一緒にハイキングに行ったことも何度かある。
旧姓は水島といい、高校も市岡で4年先輩にあたる11期生。大阪市大の家政学部へ進学、後に京大大学院を経て、市大の教授となられ、退官後は名誉教授にある。
20年余り前から現代美術のコレクションをはじめ、その数は積もり積もって1000点にのぼるという。彼女のコレクションが、'09年12月に和歌山県立近代美術館で「自宅から美術館へ」と題され、展覧会が催されていたのだが、このほどその図録が出版されていたのを知り、遅まきながら手に入れたいと思った。
出版社へ電話したら、すでに在庫はないが、女史の手許にいくらかは残っているかもしれないので、連絡先を教えるから電話されたら、と。
そんな次第で、電話を介してながら、半世紀ぶりかの女史とご対面ならぬご対聞となった。
二日後、件の図録が送られてきた。

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―山頭火の一句― 其中日記-昭和9年-261

2月9日
朝は曇って寒くて、いまに雪でもふりだしさうだつたが、だんだん晴れてきてぬくうなつた、吹く風は冷たいけれど。
山をあるく、風がさわがしい、枯枝をふんで寂しい微笑をさがすといふのが、ロマンチケルだ。
午後、岐陽さん呂竹さん、来庵、珍品かたじけなし、といふ訳で、さつそく一杯やつて御馳走ちようだい、うまいうまい。
敬坊はいまだに帰らない、アヤシイゾ!
街へ出かけるとて、書きのこして曰く、アブラ-いろいろのアブラ-買ひに! よかつたね!
やりきれなくなつて、街まで出かけて熱い湯にはいる、戻つてくると、庵には灯がついてゐる、敬坊が炬燵にぬくぬくと寝てゐるのだつた。
酒と米とを持つてくることを忘れない彼は涙ぐましい友情を持ちつづけてゐる、彼に幸福あれ、おとなしく飲んで、いつしよに寝る、一枚の蒲団も千枚かさねたほどあたたかだつた。‥‥

※表題句の外、10句を記す


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