2011年5月3日火曜日

さみしいからだをずんぶり浸けた

Santouka081130071

―四方のたより― 国芳展を観る

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昨日、連休の谷間の2日、旅から帰ったKAORUKOにとっては4日ぶりの登校日、此方は昼前から出かけ、大阪市立美術館で開催中の国芳展へ。
ごった返すほどというほどの人出ではないがかなりの盛況、ものが版画という小さな平面だけに、なかなか進まぬ列に従って順繰りに鑑賞するのは相当な根気を要する。
途中、会場なかほどにある休憩所で一息入れたのも併せ、最後のshopまで辿り着くのに一時間半はかかったか。
400に余る作品を前後期に分けて展示するというこの催し、後期は連休明けの10日からだそうだが、もう一度足を運ぶ気力は起こりそうもないので、このたびの展示作品すべてを網羅した記念誌-2500円也-を購って美術館をあとに。
昼下がりの新世界の横丁は人人の波、どの店も客でいっぱい、名高い串カツ屋などでは順番待ちの列が狭い路地を埋めていた。

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<日暦詩句>-26

もう何日もあるきつづけた
背中に銃を背負い
道は曲がりくねって
見知らぬ村から村へつづいている
だがその向こうになじみふかいひとつの村がある
そこに帰る
帰らねばならぬ
目を閉じると一瞬のうちに想いだす
森の形
畑を通る抜路
屋根飾り
漬物の漬け方
親族一統
削り合う田地
ちっぽけな格式と永劫変らぬ白壁
柄のとれた鍬と他人の土
野垂れ死した父祖たちよ
追いたてられた母達よ
そこに帰る
見覚えある曲り角から躍りだす
いま始源の遺恨をはらす
復習の季だ
その村は向うにある
道は見知らぬ村から村へつづいている
  -黒田喜男詩集「不安と遊撃」所収-昭和34年-「空想とゲリラ」より

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-159
6月17日、同前。

梅雨日和、終日読書、さうする外ないから。
アイバチといふ魚を買つた、10銭、うまくていやみがなかつた-ナマクサイモノを食べたのは、何日目だつたかな-、そしてうどん玉二つ、5銭、これもおいしかつた、今晩は近来の御馳走だつた。
このあたりも、ぼつぼつ田植がはじまつた、二三人で唄もうたはないで植ゑてゐる、田植ゑは農家の年中行事のうちで、最も日本的であり、田園趣味を発揮するものであるが、此頃の田植は何といふさびしいことだらう、私は少年の頃、田植の御馳走-煮〆や小豆飯や-を思ひだして、少々センチにならざるを得なかつた、早乙女のよさも永久に見られないのだらうか。-略-
土地借入には当村在住の保証人二名をこしらへなければならないので、嫌々ながら、自己吹聴をやり自己保証をやつてゐるのだが、さてどれだけの効果があるかはあぶないものだ、本人が本人の事をいふほどアテになるものはなく同時にアテにならないものもない。
一も金、二も金、三もまた金だ、金の力は知りすぎるほど知つてゐるが、かうして世間的交渉をつづけてゐると、金の力をあまり知りすぎる!
私の生活は-と今日も私は考へた-搾取といふよりも詐取だ、いかにも殊勝らしく、或る時は坊主らしく、或る時は俳人らしくカムフラーヂユして余命を貪つてゐるのではないか。
法衣を脱ぎ捨ててしまへ、俳句の話なんかやめてしまへよ。
それにしても、やつぱりさみしい、さみしいですよ。

※表題句の外、7句を記す

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Photo/川棚温泉近くにある豊浦リフレッシュパークに咲き乱れる菜の花


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