2011年5月9日月曜日

笠ぬげば松のしづくして

Santouka081130073

―四方のたより― ふたり旅Repo-1

4月29日、天気晴朗、午前9時過ぎ出発。
玉出~池田間の阪神高速はスムーズに流れたが、中国道は池田入口から渋滞、宝塚のトンネルを抜けるまで1時間余りを要し、社PAでトイレ休憩。
中国道は、山陽道に比べ、道路面が荒れ傷みが進んでいるように思われる。次の休憩地は七塚原SAだったか、いずれも車と人で溢れている。レストランでのんびり昼食などとても望めそうもないので、腹の足しになりそうなものを買い求め、またぞろ車を走らせる。
そのまま走れば、宿泊予定の津和野には3時半過ぎには着いたのだろうが、気分を変えて、山陰へ抜けるべく千代田JCTから浜田道へと方向転換。日本海に沿って国道9号線を走る。その国道9号、しばらくは海沿いがつづくが益田市からは山間部へと分け入って山口市へと連なっていく。
遠回りしたので津和野に着いたのは午後4時過ぎ。ひとまず旧城下を通り抜けて、津和野城の山裾にある太鼓谷稲成神社へ。

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Photo/太鼓谷稲成神社全景と、社殿を背にして

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津和野の城下町、保存地域の殿町の堀割には無数の鯉が泳いでいるが、これがなべて大きく些か気味が悪いほどにメタボときているから、KAORUKOは怖がって近寄ることもできないでいた。

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Photo/堀割に泳ぐ大きな鯉たち

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宿は旧城下界隈から少し離れた町外れにある民宿のごとき「若さぎの宿」、さっそく内風呂をもらって、それから夕食。
食後の小一時間ほど、黄昏時の散策と洒落込んでみたが、宿で借りた婦人ものの下駄で歩くのに疲れたとみえて、KAORUKOのほうはなんだか精彩がない。此方もこちらで長い運転の疲れがどっと出てきて、早めの就寝となった。

<日暦詩句>-29
生きていることが
たえまなしに
僕に毒をはかせる
いやおうなさのなかで
僕が殺してきた
いきものたちの
なきがらを沈めながら
いまでは僕も
神のように
僕自身をゆるしているけれど
まもなく
あの暗い天の奥から
僕をめがけて
ふつてくる雪が
邪悪な僕の
まなこをとざすとき
僕になきがらが
なきがらだけの重みで
そのまましずかに
沈んでいくように
  ―会田綱雄詩集「鹹湖-カンコ-」所収「鹹湖」

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-162
6月20日、同前。

雨、梅雨もいよいよ本格的になつた、それでよすい、それでよい、終日閉ぢ籠つて読書する、これが其中庵だつたら、どんなにうれしいだらう、それもしばらくのしんぼうだ、忍辱精進、その事、その事。
雨につけ風につけ、私はやつぱりルンペンの事を考へずにはゐられない、家をもたない人、保護者を持たない人、そして食慾を持ち愛慾を持ち、一切の執着煩悩を持つてゐる人だ!
ルンペンは固より放浪癖にひきずられてゐるが、彼等の致命傷は、怠惰である、根気がないといふことである、酒も飲まない、女も買はない、賭博もしない、喧嘩もしない、そしてただ仕事がしたくない、といふルンペンに対しては長大息する外ない、彼等は永久に救はれないのだ。
今日も焼酎1合11銭、飛魚2尾で5銭、塩焼きにしてちびりちびり、それで往生安楽国!

※表題句の外、8句を記す

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Photo/復元保存されている山口市小郡の其中庵


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