2011年5月4日水曜日

霽れて暑い石仏ならんでおはす

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―四方のたより― 箕面の滝道で

選挙が絡んだ所為で、彼岸のときに墓参に行きそびれたままだったのを、やっと昨日の午後に。
その足で、昨年から、この時期、川床を始めたという箕面へと足を伸ばし、滝道を歩く。
新緑の楓群は陽射しに照り映え色鮮やか、その中に山がのこのあたりゆえか、ぽつりぽつりと真つ赤に咲いた椿の花に眼を奪われた。
滝でのひと休みを挟んで往復2時間、駅前の小粋なカフェで珈琲タイム、此処の珈琲がソフトだけれど美味しかった。

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<日暦詩句>-27
旅人が草になげた仮面は光る
物質のめまいすずろぐ谷
するどい沙漠の匂いをちらす木の下に
流刑人の帽のような果実が
投身する その水しぶき
巌の水よ ゆうべの底にかがやき
いなずまは遠い熱情のきざはしもて
橄欖石の肌にこすりつける
ひといろの楔形文字を
きのう果てた嵐の遺書を

起ち そしてあゆめ 時よ
くちずけせよ 朝の岸辺に わがしかばねよ
えたいのしれぬ愛
それこそ「明日」なのだ
  -谷川雁詩集より「わが墓標のオクターヴ」-昭和35年-

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-160
6月18日、同前。

快晴、梅雨季には珍らしいお天気でもあるし、ちようど観音日でもあるので、狗留孫山へ拝登、往復6里、山のよさ、水のうまさを久しぶりに味つた。
道を間違へて、半里ばかり岨路を歩いたのは、かへつてうれしかつた、岩に口づけて腹いつぱい飲んだ水、そのあたりいちめんにただようてゐる山気、それを胸いつぱい吸いこんだ、身心がせいぜいした。
狗留孫山修禅寺、さすがに名刹だけあるが、参詣者が多いだけそれだけ俗化してゐる、参道の杉並木、山門の草葺、四面を囲む青葉若葉のあざやかさ、水のうつくしさ、―それは長く私の印象として残るだらう。
田植を見て「土落し」を思ひだした、それは私が少年時代、郷里の農家に於ける年中行事の一つであつた、一日休んで田植の泥を落すのである、何といふ、なつかしい思出だらう。
昨日も今日もサケナシデー、すこし切ない。
近頃、ひとりごとをいふやうになつた、年齢の加減か、独居のせいか、何とかいふ支那の禅師の話を思ひだしておかしかつたり、くやしかつたりしたことである。

※表題句の外、10句を記す

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Photo/狗留孫山修禅寺の山門

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 〃 /祖師堂内からの遠望

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〃 /参詣道中にある岩谷の十三仏


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