2010年9月22日水曜日

すこし濁つて春の水ながれてくる

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―日々余話― 息抜きの小旅行

息抜きといっても、日頃息抜きばかりのような私自身には要らぬもの。
元来気質として対人恐怖症的な一面をもっている連合い殿の、それなのに仕事は対人の応接、サービス事業が主体で、それも些か責任ある立場におかれては、おそらくは同僚たちより倍して自身を鼓舞、強いなければならないだろうから、彼女にとっては時折の息抜き・ガス抜きが欠かせないものとなる。
そこで気は心、ないよりはましの、一泊の小旅行を、急場しのぎのように、この三連休に挟み込んだ。
とにかく企図したのがつい2週間ほど前、思うようには宿泊先もとれないから、友人の力を頼みとした。急遽押さえてもらったホテルは、嘗て彼自身が総支配人として君臨したというもの、顔の利かない訳はない。

日曜-19日-の稽古を終えてから、そのホテル-草津-へと直行、1号線から京滋バイパスをとったからか、思ったよりスムーズに走行、早々と4時過ぎにはホテルに着いた。
ゆったりまったりと寛いだ後、夕食に外へと出た。食事を終えてもまだ7時前という宵の口、此処、JR草津の西口駅前は東口に比べて新興の街並みなのだろう、その街路を少し散策してから、A-SQUAREなる大きなショップセンターに入っていく。なにしろ駐車場3000台を収容するというから、かなりの規模の複合施設。こういう類を目的もなく散策するなど、初老の男にとっては、あまり時間持ちのしないものだが、女と子どもにとってはけっこう楽しめるものらしい。結果、2時間近く過ごしてしまったか。

翌朝-20日-、ゆるりと10時前に出立。琵琶湖畔に沿って車を走らせ、先ずは近江八幡の八幡堀界隈へ。いわゆる近江商人発祥の町並を散策というもの。「近世畸人伝」を著したという伴蒿蹊ゆかりの、明治には小学校や女学校にも使われたという壮大な3階構造の旧・伴家住宅、平屋造りだが、その広い平面を、商いとしての公と居宅としての私をいかにも合理的に分割構成した間取りをもつ旧・西川家住宅など。
文化財保護法の改正によって「伝統的建造物群保存地区」の制度が発足したのは昭和50年だったそうだ。修理修景費用や関連費用に国からの補助金がつき、税制優遇措置もあることから、以来、全国各地から相次いで名告りが挙がり、現在では74市町村で87地区、約16,180件の伝統的建造物が保存すべき建造物として特定されているそうな。

次いでさらに足を伸ばして彦根へと向った。彦根城の大手門前筋、「夢京橋キャッスルロード」と名付けられた300m余りの行楽客向けに整備された街並には、ちょいと吃驚させられた。ゆるキャラ「ひこにゃん」の誕生は4年前だそうだが、それより以前、平成11-‘99-年にはほぼすべての整備を終えたという、この些か恥ずかしいような名を冠した街並み、どう考えても長浜の黒壁スクエアの成功に刺戟されてのことだろう。自動車の通行も多く、スローモーにしか進まぬ車中から眺めただけだが、なんだかあざとい臭いが先に立つような光景だった。

その彦根城を少しばかり通り過ぎて、次の目的地、龍潭寺に着いたのは2時頃だったか。石田三成の居城でもあったという佐和山城趾の麓に座すこの寺は、小堀遠州ゆかりの寺というので訪ねてみた。
方丈の南庭は、枯山水で「ふだらくの庭」と称されるという。あの竜安寺の石庭は、大小の石が15個使われているだけだというが、こちらの庭ではその数48個、その数の差が、発想の違いを表し、また造形の違いともなる。この枯山水の作庭は、寺のパンフによれば、小堀遠州ではなく、開山僧の昊天-コウテンと読むか-であるらしい。

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Photo/龍潭寺の方丈南庭、枯山水のふだらくの庭

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奥の書院東庭は、背後の佐和山を借景した「蓬莱池泉庭」と称されるが、こちらはその昊天と遠州の合作とされる。なんとなくわずかに窮屈そうな感じがするのは、地形的条件からくる制約の所為か。
もう一つの瀟洒な庭、書院の北庭は、小さな裏木戸から茶室へと通じる路地の庭といったものだが、文字通り瀟洒なという形容が相応しく、自然で控えめな感じのするものだった。
方丈の裏側には、小さな4つの座敷があり、その3つには、それぞれ襖絵が描かれていたが、これらの絵の作が森川許六とあり、芭蕉の弟子、蕉門十哲にも数えられる許六その人であり、その許六が狩野派の絵師でもあったことは寡聞にして知らなかった。

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Photo/同じく書院東庭、蓬莱池泉庭

帰路もまた琵琶湖畔を走り、石山で京滋バイパスへ、三連休の終日というのに渋滞に巻き込まれることもなく午後6時半無事帰着。

―山頭火の一句― 行乞記再び -104
4月14日、雨となるらしい曇り、行程3里、生きの松原、その松原のほとりの宿に泊る、綿屋

行乞途上、わからずやが多かつたけれど、今日もやつぱり好日。
女はうるさい、朝から夫婦喧嘩だ、子供もうるさい、朝から泣きわめく、幸いにして私は一人だ。-略-

どうでもといはれて、病人のために読経した、慈眼視衆生、福聚海無量、南無観世音菩薩、彼に幸あれ。
今年はじめての松露を見た-店頭で-、松原らしい気分になった、私もすこし探したが一個も見つからなかった。-略-

此宿はよい、家の人がよい、そして松風の宿だ、といふ訳でずゐぶん飲んだ、そしてぐっすり寝た、久しぶりの熟睡だつた、うれしかつた。
途中、潤-うるふ-といふところがあった、うるほさないところだつた。
私は此頃、しゃべりすぎる、きどりすぎる、考へよ。
同宿6人、みんなおへんろさんだ、その中の一人、先月まで事件師だつたといふ人はおもしろいおへんろさんだつた、ホラをふいてエラがる人だけれど憎めない人間だつた。
木賃宿に於ける鮮人-飴売-と日本人-老遍路-との婚礼、それは焼酎3合、ごまめ一袋で、めでたく高砂となつたが、かなしくもうれしいものだつた。

※表題句の外、新句4、再録6句を記す

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Photo/生の松原は現在の福岡市西区

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Photo/生の松原の東側には、今に残る元寇の防塁跡


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