2011年9月6日火曜日

まがつた風景そのなかをゆく

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―四方のたより― 樹木希林のCM-雑草篇

「やっぱりひとりがよろしい雑草」と、山頭火のよく知られた句を呟く樹木希林――
バツクには福山雅治が歌う「家族になろうよ」が流れ、
ややあって、前句をひとひねりしたかのように「やっぱりひとりじゃさみしい雑草」と呟く――、
そんなモノローグのCMがこのところ眼を惹くが、これはどうしても耳に触る。

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山頭火には、前句に対照するかのように「やっぱりひとりはさみしい枯草」という句があるのを、ご存じの人も多い筈、
ひとりがよろしい雑草-は昭和8年、ひとりはさみしい枯草-のほうは昭和11年と、句作の時期が離れるが、ともに小郡其中庵時代の句作で、後者は、いわば対句のように、前者の存在を抜きにしては生まれ得ない。
CMの制作者も、また樹木希林も、このことを知らぬわけでもなかろうに、あえてそういうデフオルメをしたのだろうが、これでは下手をすると、山頭火の句作においても
「やっぱりひとりがよろしい雑草」-「やっぱりひとりはさみしい枯草」の対照が、
「やっぱりひとりがよろしい雑草」-「やっぱりひとりじゃさみしい雑草」へと転移してしまう誤解が生じかねないし、実際そういう受けとめをしている人たちをかなり生み出してしまっているようだ。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-240

9月6日、3時になるのを待つて起きた、暫時読書、それから飯を炊き汁を温める。‥
気分がすぐれない、すぐれない筈だ、眠れないのだから。
昨日は誰も訪ねて来ず、誰をも訪ねて行かなかつた、今朝は樹明さんが出勤途上ひよつこり立ち寄られた、其中庵造作の打合せのためである、いつもかはらぬ温顔温情ありがたし、ありがたし。
-略-、夜は樹明、冬村の二兄来庵、話題は例によつて、其中庵乃至俳句の事、渋茶をがぶがぶ飲むばかりお茶うけもなかつた。
今日うれしくも酒壺堂君から書留の手紙がきた、これで山頭火後援会も終つた訳だ-決算はまだであるが-、改めて、私は発起賛同の諸兄に感謝しなければならない、殊に緑平老の配慮、酒壺堂君の斡旋に対して。

※表題句の外、3句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―苔の洞門にて-’11.07.25

三日月、遠いところをおもふ

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-239

9月5日、曇、どうやらかうやら晴れそうである。
つつましい、あまりにつつましい一日であつた、釣竿かついで川へ行つたけれど。――
彼から返事が来ないのが、やつぱり気にかかる、こんなに執着を持つ私ではなかつたのに!
ふと見れば三日月があつた、それはあまりにはかないものではなかつたか。――
  三日月よ逢ひたい人がある –彼女ぢやない、彼だ-
  待つともなく三日月の窓あけてをく –彼のために-
この窓は心の窓だ、私自身の窓だ。
-略- とうしても寝つかれない、いろいろの事が考へられる、すこし熱が出てからだが痛い、また五位鷺が通る。
とぶ虫からなく虫のシーズンとなつた、虫の声は何ともいへない、それはひとりでぢつと聴き入るべきものだ。
味覚の秋―春は視覚、夏は触覚、冬は聴覚のシーズンといへるやうに―早く松茸で一杯やりたいな。-略-

※表題句及文中句の外、3句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―支笏湖にて-’11.07.25


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