2011年9月7日水曜日

枯れようとして朝顔の白さ二つ

Santouka081130097

―日々余話― 由らしむべし知らしむべからず

そのとき、私は愕然とした――

そうか、そうだったのか、それが事の本体か‥、なんということ、これは‥、この問題は、そういことだったのか。

問題の渦中にある者、それがのっぴきならない問題であればあるほど、肝心の当事者が、その問題の本質を見きわめるということはほんとうに難しい、困難極まることだと、つくづく思い知った。

事はもう25年前、’86-S61-年5月の出来事、一方の当事者は私自身である。それは一定の法的手続きが採られるに至ったことなのだが、その手続きの採りよう、それがどうしても臓腑にしっかりと落ちず、小さな瘡蓋のようなものになったまま、とうとう今日まできてしまったのだが‥。

この両三日ほど、否やもなくまたぞろこの問題に向き合わねばならなくなって、それこそ文字どおり肚を据えて考えていたのだが、雷にでも打たれたかのごとく突然、問題の本質が見えたのだった。それはまさに有ってはならぬ、人としてとんでもない事なのだが、その事にはっきりと思いあたったのだった。

これはまさしく「由らしむべし、知らしむべからず」の支配者の論理-
人が他方を人として侮り、知-無知の、支配-被支配の構図に置かなければ、けっして為しえないこと――それが事の本質だったのだ。

考えてみれば、仮に私が当事者ではなく、交わりのあるなしに拘わらず他者からの相談ごととして、このような類似の問題に第三者として直面していたとすれば、おそらく大した苦労もせずその問題の本質を見ぬき得ていた筈だろうに、当事者であったがゆえに私は、四半世紀もの間、見れども見えぬ、朦朧とした雲霞のなかにうち過ごしてきてしまったのだ。

 ――この件については、あまりに極私的ゆえ、これ以上具体的には綴れないのです――

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-241

9月7日、朝、天地清明を感じた、いはゆる秋日和である、寒いほどの冷気だつた。
-略-、今日の午後は、樹明さんと冬村君とが、いよいよ例の廃屋を其中庵として活かすべく着手したとの事、草を刈り枝を伐り、そしてだんだん庵らしくなるのを発見したといふ、其中庵はもう実現しつつあるのだつた、何といふ深切だらう、これが感泣せずにゐられるかい。
明日は私も出かけて手伝はう、其中庵は私の庵じやない、みんなの庵だ。
樹明さんからの贈物、-辛子漬用の長茄子、ニンヂンのまびき薬、酒と缶詰。
真昼の茶碗が砕けた、ほがらかな音だつた、真夜中の水がこぼれた、しめやかにひろがつた。‥
一つの風景-親牛仔牛が、親牛はゆうゆうと、仔牛はちよこちよこと新道を連れられて行く、老婆が通る、何心なく見ると、鼻がない、恐らくは街の女の成れの果だらう、鐘が鳴る、ぽかぽかと秋の陽が照りだした、仰げばまさに秋空一碧となつてゐた。‥

※表題句の外、4句を記す

09071
Photo/北の旅-2000㎞から―札幌の時計台-’11.07.25


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