2010年6月12日土曜日

ふるさとは遠くして木の芽

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―日々余話― 84歳、なお矍鑠たり

昨日、大阪地裁に行った折、裁判所の地下1階で、偶然にもばったりと大和田幸治さんと出会した。もう何年もお見かけしてなかったので、つい声をかけて立ち話に及んだが、どうやら連合大阪を相手取って訴訟を起こしている要宏輝氏の公判に来ていたらしい。

失礼千万なことだが、あらためて歳を確認させてもらって驚いた。昭和2年生れというから、誕生日がくれば84歳になられるのに、いまなお全金港合同の事務局長や田中機械支部の執行委員長の職をまっとうしておられる。この闘志の人には引退の二文字は眼中にないのだろう、よしんば病に倒れるようなことがあっても、象徴的なまでの圧倒的な存在の大和田幸治その人を、周囲の人々は到底現職から外せないのではないかとさえ思われる。

私が大和田幸治の存在に触れたのは、関西芸術座の創作劇「手のひらの詩」の、劇中の主人公モデルとしてであり、田中機械の労働組合のなかで、社外工の本工化・女性差別賃金撤廃など、先進的な労働条件改善を実現していく運動を描いたものであった。1970年のことで、この時の演出は道井直次氏、脚本は柴崎卓三氏だ。

そして時が流れて、劇中のではなく現実の大和田幸治本人とまみえたのは88年になってからのことだと思うが、この折の印象は、眼光人を射るがごとくの強い眼差しに、まことに鮮烈なものがあり、脳裏に描いてきた想像の人物像が、眼前の人物と見事に重なり合ったような気がしたものだった。

その大和田さんが関与しているらしい要宏輝氏の連合大阪訴訟がどんなものか、ネットで調べてみた。
要宏輝自身が立ち上げているWebサイトがあり、訴訟等についても詳細な報告がある。
これによれば、大阪地裁では、昨日-6/10-の午前10時から午後4時まで、被告側2名と、原告-要氏-側1名の証人尋問があり、大和田さんはその原告側証人として法廷に立っていたことになるのだ。

―山頭火の一句― 行乞記再び -80-
3月21日、晴、彼岸の中日、即ち春季皇霊祭、晴れて風が吹いて、この孤独の旅人をさぴしがらせた、行程8里、早岐の太田屋といふ木賃宿へ泊る

少しばかり行乞したが、どうしても行乞気分になれなかつた、嬉野温泉で休みすぎたためか、俊和尚、元寛君の厚意が懐中にあるためか、いやいや風が吹いたためだ。

夕方、一文なしのルンペンが来て酒を飲みかけて追つ払はれた、人事じやない、いろいろ考えさせられた、彼は横着だから憎むべく憐れむべしである、私はつつましくしてはゐるけれど、友情にあまり恵まれてゐる、友人の厚意に甘えすぎてゐる。

※表題句の外、句作なし

山頭火はこの日、嬉野から県境を越えて長崎県の波佐見町を通り抜け、現在の佐世保市三河内へと入り鉄路に沿って早岐へと歩いたか。

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Photo/早岐-はいき-の町から見た佐世保市

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Photo/現在では早岐駅のすぐ隣駅がハウステンボスだ。


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