2010年12月15日水曜日

バスが藤の花持つてきてくれた

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―日々余話― Soulful Days-43- これで終り?

先の11月29日午後2時、損害賠償請求の民事訴訟における最後の公判期日。
この日も前々回に続いて、一方の被告T.K本人が出席した。無論、過保護な親の意向が強く働いていたこととはいえ、これまでは親任せ、代理人任せにしていた訴訟ごと万事が、最後の最後になって、和解調停の解決へと運ぶ関門として、遺族と対面して直々に詫びの言葉を、という裁判官からの要請によって、やむなく公判の席に臨んだ9月のときから、自己の社会的責任において否応もなく逃れえぬ最低限のこと、そんな場面に初めて彼は立たされた訳だし、その延長として自ら出席することを選択して来たのだろう。

数日後、K弁護士から、この日の公判で成立した和解条項の、正本の写しが送られてきた。
<和解条項>
1. 被告両名は、原告らに対し、本件交通事故に基づく損害賠償債務として、連帯して、既払金を除き、合計××万円の支払義務があることを認める。
2. 被告両名は、原告らに対し、連帯して、前項の金員を平成22年12月30日限り、原告ら代理人の指定する下記記載の銀行口座に振込んで支払う。ただし、振込手数料は被告両名の負担とする。
3. 被告M株式会社と被告T.Kとは、本件事故の過失割合が、訴外M.M7割、被告T.K3割であることを相互に確認する。
4. 原告らは、被告両名に対するその余の請求をいずれも放棄する。
5. 原告ら、被告両名及び利害関係人は、原告らと被告両名との間及び原告らと利害関係人株式会社Nとの間において、本件交通事故に関し、本和解条項に定めるもののほか、何らの債権債務のないことを相互に確認する。
6. 訴訟費用及び和解費用は各自の負担とする。

これで刑事民事双方に及んだ訴訟事は、すべて終り、幕は降りたのだ。
RYOUKOがその命を落とすこととなった事故の顛末は、顛末という限りにおいては、その事故の当事者、M.MとT.K双方の、それぞれの向後の人生に降りかかる軛の重さ、その軽重に、その明暗にどう考えても不条理としか思えぬ大きな差違を残しながら、すべて終ったのである。
そしてわれわれ遺族、同じ遺族とはいえ母のIkuyoと父の私は、すでに一つの家族として共にはなく、IkuyoにはIkuyoの孤独な軛が、生きている限り逃れえぬものとしてのしかかり、ただひたすら哭くしかない日々がずっと続くのだろう。
そう、彼女には、同じ<な>く行為だとしても、<哭>という表記がふさわしい、と思われる。
そして私はといえば‥。

―四方のたより― DANCE CAFÉ 2010 EVE

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―山頭火の一句― 行乞記再び -127
5月7日、晴、行程2里、福川、表具屋

ほがらかに眼はさめたのだが、句会で饒舌りすぎ、夜中飲みすぎたので、どこかにほがらかになりきれないものがないでもない。
さうさうとして出立する、逢うてうれしさ、別れのつらさである、友、友の妻、友の子、すべてに幸福あれ。
富田町行乞-そこは農平老の故郷だ-、そして富田よいとこと思つた、行乞相は満点、いつもこんなだと申分ない。

けさ、立ちぎはの一杯二杯はうれしかつた、白船老の奥さんは緑平老の奥さんと好一対だ。
ここまで来るとS君のことが痛切に考へられる、S君よ健在なれ、私は君の故郷を見遙かしながら感慨無量、人生の浮沈を今更のようにしみじみ感じた。

此宿は飴屋の爺さんに教へられたのだが、しづかできれいで、気持ちよく読んだり、書いたりすることが出来る、それにしても私はいよいよ一人になつた。

※表題句のみ記す

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Photo/富田は現在の周南市富田だろう。この町には中央に大きな風車を設置した永源山公園がある

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Photo/その永源山公園から周南市街地や瀬戸内海を望む

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Photo/公園から西南の麓には山崎八幡宮があり、その節分祭風景


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