2011年7月7日木曜日

畦豆も伸びあがる青田風

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―表象の森― 古典様式とマニエリスム

古典様式は神秘という「秘匿されたもの」を、「悟性的な」単に「昇華された」自然において描き出そうとし、
マニエリスムは「秘匿されたもの」を、「寓意的な」「イデア」のうちに往々にして「デフォルメされた」自然において力を発顕せしめようとする。
かくて形而上学的意味でも、二つの相異なった、とはいえ存在論的関連においてはいずれもそれなりに存在関連的な、「人間性の原身振り-ウル・ゲベルデ-」と関わり合うのである。
そのいずれもが―それぞれ相異なるあり方で―深淵的なものに関連づけられている。
古典主義者は神をその本質-エッセンス-において描き出し、
マニエリストは神をその実存-エクジステンツ-において描き出す。
古典様式の危険は「硬化」であり、マニエリスムの危険は「解体」である。
緊張としてのマニエリスムなき古典様式は擬古典主義に堕し、抵抗としての古典様式なきマニエリスムは衒気生へと堕するのである。
  ―G.R.ホッケ「迷宮としての世界-上-」岩波文庫より

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Photo/ヤコボ・ダ・ボントルモの「十字架降下」1523-1530

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-179

7月7日、雨、空は暗いが私自身は明るい、其中庵が建ちつつあるのだから。―
しかし今日も行乞が出来ないので困る、手も足も出ない、まつたくハガキ一枚も出せない。
時々、どしやぶり、よう降るなあ!
昨日も今日も、そして明日も恐らくは酒なし日。
どこの家庭を見ても、何よりも亭主の暴君ぶりと妻君の無理解とが眼につく、そしてそれよりも、もつと嫌なのは子供のうるさいことである。
歯痛がやんだら手足のところどころが痛みだした、一痛去つてまた一痛、それが人生だ!

※表題句の外、4句を記す

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Photo/山口ふたり旅―青海島の奇巌めぐり-’11.05.01


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