2011年7月21日木曜日

伸ばしきつた手で足で朝風

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―表象の森― キリスト教と無神論

<無神論>の問題は、キリスト教的自由意志の問題とセットになっているのだ。
どの文化の<神>の周りにも不信心の輩は生まれたが、キリスト教の神だけが、無神論者を育み、無神論の枠組に守られて自らを存在させ続けたのだ。逆にいえば、権威主義的な統一主義こそが、異質な思想を生み、創造的な緊張を生んだ。神の恩寵と人間の自由意志というパラドクスが、歴史のダイナミクスをもたらしたのだ。
エジプトやバビロンの影響を濃く受けながら、「受肉」による一回性をスタートさせて永劫回帰的な古代呪術世界と決別したパレスティナ生まれのキリスト教は、ギリシャ哲学の弁証法の最良の部分と、ローマ帝国の秩序の最良の部分を糧として、ヨーロッパを形成し、近代世界を出現させた。近代的自我に拠って思考する私なるものは間違いなくその延長にある。この世界で考え続けていくためには、歴史の原動力となった形而上の世界を無神論という舞台裏から眺め直さなくてはならない。―竹下節子「無神論」P277より

―今月の購入本―
・G.ベイトソン「精神と自然」新思索社
副題に-生きた世界の認識論-、初訳版は82年だが01年の改訂版。
前著の「精神の生態学」と本書を読んでみるのが当面の私の課題。それからオートポイエーシス論に入る予定だが‥。

072101
・辻邦生「春の戴冠」新潮社
96年刊の全一冊新装版。ボッティチェルリを軸にフイレンツエの栄養と没落を描いた大長編3000枚。P956の中古書にて廉価の掘出し物。いずれ近いうちに読むべし。

072102
・小川環樹他「千字文」岩波文庫
四字一句で250句でなる中国古代の文字教科書だった千字文の注解書、P469。

・小出裕章「原発のウソ」扶桑社新書
既に本ブログで紹介済。

・古賀茂明「日本中枢の崩壊」講談社
経産省大臣官房付という閑職にほされた現役官僚という著者。もはや末期症状を呈する政と官の病根を詳述した話題の本だが、まさに実務家らしく具体性をもって語られるその内容は、いかにも同工異曲の重複が多く、ハードカバーでP381もの重装備にする必然は感じられない。この程度の内容ならば、もっとしっかりと削り込んで、新書版にて出版したほうが、より多くの読者に触れてよかったのではないかと思われるが、この重厚な単行本化には別次の背景があるのだろう。

・西森マリー「レッド・ステイツの真実」研究社
副題に-米国の知られざる実像に迫る-とあり、1998年以降、アメリカのテキサスに住み、福音主義者らと政治に関わり、選挙現場の取材等に力を入れているという著者が、アメリカの半分を占めるレッド・ステイツ、福音主義者を始めとする保守派キリスト教徒たちのメンタリティを理解し、現代アメリカのキリスト教を深掘りする。

・「芸術新潮―11/07 青木繁特集」
特集の青木繁、知らない部分に触れえたのはちょっぴり収穫。
「非常にうまい画が拵へてみたい、-略-、又同時に平淡な適当な、誰にも分るうまくない絵が作ってみたい、後者が我目的である」。また「うまい画」と「平凡な画」を、「エカキの画」と「ニンゲンの画」とも言換えてもみる青木繁。この両極端がやりたいといい、なおかつ、真に目指すところは「平凡な画」であり「ニンゲンの画」だというのは、表現者として非常に解る話だ。
愛人だった福田たね、落し胤の福田蘭堂、その子の石橋エータロー、そのまた子の石橋鉄也と、四代にわたる数奇な宿縁の物語も読ませる。

・「芸術新潮―11/05 狩野一信特集」
江戸末期の絵師、全100幅五百羅漢のめくるめく綺想グラフティ。4月末から7月初めまで江戸東京博物館で「五百羅漢-狩野一信」展が催され話題に。

072103
―図書館からの借本―
・竹下節子「無神論―二千年の混沌と相克を超えて」中央公論新社
10年5月初版。著者の専門は比較文化史だが、傍らバロツク音楽のアンサンブルグループを主宰するという。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-193

7月21日、曇、しかし朝蝉が晴れて暑くなることを予告しつつある。
山へ空へ、樹へ草へお経をあげつつ歩かう。
黒井行乞、そのおかげで手紙を差出すことが出来た。
安岡町まで行くつもりだつたが、からだの工合がよくないのでひきかへした、暑さのためでもあらうが、年のせいでもあらうて。
物を粗末にすれば物に不自由する-因果応報だ-、これは事実だ、少くとも私の事実だ!

※表題句の外、5句を記す

072104
Photo/JR山陰本線の黒井村駅


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