2011年7月8日金曜日

墓に紫陽花咲きかけてゐる

Santouka081130077

―表象の森―<日暦詩句>-34

  「繭」   那珂太郎
むらさきの脳髄の
瑪瑙のうつくしい断面はなく
ゆらゆらゆれる
ゆめの繭 憂愁の繭
けむりの糸のゆらめくもつれの
もももももももももも
裳も藻も腿も桃も
もがきからみもぎれよぢれ
とけゆく透明の
鴇いろのとき
よあけの羊水
にひたされた不定形のいのち
のくらい襞にびつしり
ひかる<無>の卵
がエロチックに蠢く
ぎらら
ぐび

びりれ
鱗粉の銀の砂のながれの
泥のまどろみの
死に刺繍された思念のさなぎの
ただよふ
レモンのにほひ臓物のにほひ
とつぜん噴出する
トパアズの 鴾いろの
みどりの むらさきの
とほい時の都市の塔の
裂かれた空のさけび
うまれるまへにうしなはれる
みえない未来の記憶の
血の花火の
  ―詩集「音楽」-S40-より

070801
那珂太郎―1922年福岡市生れ。福岡高校在学中、矢山哲治・真鍋呉夫・島尾敏雄・阿川弘之らの「こゝろ」創刊に参加。43年東京大学国文科卒。50年詩集「エチュウド」。51年「歴程」に参加。65年詩集「音楽」により室生犀星賞・読売文学賞。以後、詩集「はかた」、随想「鬱の音楽」、評論「萩原朔太郎私解」、評論「詩のことば」、詩集「鎮魂歌」など。現在なお存命にて東京杉並の久我山に住む。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-180

7月8日、雨、少しづつ晴れてくる。
痔がよくなつた、昨春以来の脱肛が今朝入浴中ほつとりとおさまつた、大袈裟にいへば、15ヶ月間反逆してゐた肉塊が温浴に宥められて、元の古巣に立ち戻つたのである。まだしつくりと落ちつかないので、何だか気持悪いけれど、安心のうれしさはある。
とにかく温泉の効験があつた、休養浴泉の甲斐があつたといふものだ、40日間まんざら遊んではゐなかつたのだ。
建ちさうで建たないのが其中庵でござる、旅では、金がなくては手も足も出ない。
ゆつくり交渉して、あれやこれやのわずらひに堪へて、待たう待たう、待つより外ない。
臭い臭い、肥臭い、ここでかしこで肥汲取だ、西洋人が、日本は肥臭くて困るといふさうだが、或る意味で、我々日本人は糞尿の中に生活してる!

※表題句の外、9句を記す

070802
Photo/山口ふたり旅―山口市小郡の其中庵にて-’11.04.30


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