2011年8月1日月曜日

逢へてよかつた岩からの風に

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―四方のたより― 螺線館だより

一週間の北の旅に発つ二日前だったか、ベルリンを拠点に活動をつづける「螺線館」の嶋田三朗君から近況を知らせる便りがあった。

 暑中お見舞い申し上げます ―2011年7月22日
みなさまのご活躍とご健康をお祈りします。
 2月に上演した最新作「カフカ開国」は、西ベルリンにある100席の『ベルリン日独センター』で6回上演しました。インターネットなどの情報で見つけてきたという人やカフカに興味があるという人々の合計544人の観客から、「綿密なカフカの理解だ、表現がたくましい、多面的で、深く、オリジナルだ、、」等の批評がありました。
 4月16日に、映画「カリガリ博士」で知られる東ベルリンの『ブロートファブリック劇場』の60席のホールで「サンチョ・パンサ」第一場を2回上演し、「アバンギャルドの洞察」等の意見があり、2回とも満席でした。
 4月30日にベルリンの工場地域にある20席ほどの『ドドハウス劇場』での「旅をする裸の眼」第4章The Hungerの演劇的朗読公演で、「日本的アクセントのドイツ語の違和感を使うのではなく、演劇的に意図されたドイツ語の発音や発声や話し方の効果を使って演じている、ことがはっきりわかる」と好評でした。
 今年3月11日の地震があった時、ドイツ人の共演者やスタッフが知らせてくれました。ドイツのテレビや新聞が速報を出していたからです。私達はテレビを置いていないのでインターネットで地震速報を見ました。12日にはドイツのすべての新聞が第一面で大きな写真入りで報道しました。また、ドイツ、スペインなどの知り合いが、心配してメールを送ってきてくれました。私達の頭によぎったのは、阪神大震災の時のことです。とにかく、遠くても何か出来ること、と考えて、
劇団らせん館は、3月19日(土)に、ベルリンの中心地のひとつであるアレクサンダー広場の、人々が待ち合わせる場所「世界時計」の下で、太鼓コンサートをしました。普通の人々が集まる広場、数々の反戦デモもいつも出発する広場で、地震の経験のないベルリンの人々に切実さを知ってもらいたいと思いました。午後4時から30分ほどのコンサートを2回しましたが、たくさんの人が観て150人ほどの人々が募金をしてくれました。「らせん舘コンサートの観客からの募金」として、日本赤十字に送ってくれるドイツ赤十字に振込みました。

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 このことは、ベルリンのイベント情報誌『Tip』(2011年3月31日発行号)に劇団らせん舘の演劇活動についての嶋田三朗へのインタビューとして紹介されました。
 そのほか、3月25日フンボルト大学の日本学の教員学生の被災者支援募金の催し、4月1日英国大使館勤務の人々の被災者支援募金行事、5月30日ベルリンメトロポリタンスクールのチャリティーバザー、それぞれの催しに協力をして太鼓演奏をしました。
 わたしたちは、太鼓公演のときも、独自の構成や演技、衣裳の工夫で、ヨーロッパ人の従来の「日本らしさ」のイメージをはみ出し、破りつつ、現代のわたしたちの太鼓演奏をしています。それは「何」とも呼ぶことができないで、観客はLasenkan風と呼んで、そのように感じてくれる人々がいます。
 今度の震災と原発についての世界での報道によって、ドイツの人々が日本に対して持っていた考えが、今、変化しつつあります。
そのことを私達も充分に理解して受け止め、これからも、ベルリン・関西・様々な公演地で、Lasenkan風に交流して演劇創造をしていきたいと思います。

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 これからの予定:
10月12日 兵庫県県民芸術劇場として、小学校公演「泉のそばのガチョウ番の娘」(グリム童話より)
12月8日 ベルリン ブレヒトハウス文学館にて「旅をする裸の眼」第5章 INDOCHINE1992 演劇的朗読公演
2012年4月13日・14日 「白熊のトスカ」(多和田葉子作「雪の練習生 第2部」より)初演
  オペレッタ風演劇公演 演出:嶋田三朗 
  兵庫県立芸術文化センター 小ホール
これからもよろしくお願い申し上げます。
皆様にお会いする日を楽しみにしています。

  劇団らせん舘 嶋田三朗(代表・演出)
  /市川ケイ(俳優・制作部)とりのかな(俳優・制作部)

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-204

8月1日、歩いて3里、汽車で3里、そして樹明居だ、いつもかはらぬ友情にひたつた、うれしかつた。
夜は飲んだ、冬村、二三男の二君来訪、4人でおそくまで話しつづけた。
午前中2時間は厚狹裏町行乞、午後の2時間はまた船木町行乞、時々気分がみだれた、没分暁な奥様、深切なおかみさん、等、等。
昨日は蓮華のうつくしさ、今日は木槿のうつくしさを見た。
糸根-愛寝-といふ紫式部の古蹟、寝太郎餅といふ名物。
馬占山の最後に一滴の涙をそそぐ。
朝御飯がもっともおいしいほどの健康と幸福とを私は恵まれてゐる、合掌。
樹明居、夏はすずしく冬はあたたかい、主人は道としての俳句に精進しつつある、私は是非とも樹明居の記を書かなければならない-緑平居の記、白船居の記、そしてい其中庵記と共に-。-略-

※表題句の外、11句を記す

08011
Photo/山陽小野田市厚狹の寝太郎権現堂

08012
Photo/北の旅-2000㎞から―函館の五稜郭-’11.07.24


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