2011年8月6日土曜日

すずしく自分の寝床で寝てゐる

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―四方のたより― 季節が移りつつ‥

夕食の後、ベランダに出て煙草を一服。かすかな涼風が心地よい。西南の空には八日の月か、右から左から盆踊りの唄が競うように聴こえてくる。この頃になると過ぎゆく夏を感じて、なんだか和やかな気に満たされてくるような、そんな落ち着いた気分になれるものだ。

―表象の森― 岡鹿之助の「積雪」1935年

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画面の中景において右の方から現われた小川は、その真中を下方に向かって縦に流れ、前景にある橋をくぐってまた右に消えて行く。小川の両側には人家がばらばらに立ち、樹木も少しある。遠景には丘や樹木が見える。そのような眺めの全体に降りやんだ雪がたっぷり残って、まったくの積雪の景色であり、遠くの空だけが青い。-この油彩について、鹿之助は後年次のように書く。

「雪の景色を描くつもりではなかった。
自分で拵えたキャンヴァスが、この時は大変に面白くできたので、その白い、少しザラザラした艶消しの面を出来るだけ生かしたのものだと思った。雪の構図はそれから考えついた。白のなかに、ごく僅かな色でリズムやハーモニイをもって、一つの秩序をつくってみようと試みた。」

画家はふつうモチーフからマテイエールへと行くものだろうが、ここでその順序は逆だ。画面における好ましい白というマティエールへの強い関心があり、ついで、それに対応する適切なモチーフとして、雪が過去の記憶のなかから呼びだされているわけである。
これは極度に図式化された言いかただろうが、鹿之助の油彩の美学における一方の真実であるにちがいない。そして、それは思いきり一方に傾いているために、鹿之助がもう一方において白に対し、なんらかの別の特に強い関心をもつという均衡の成立を暗示するものだろう。その均衡こそ、彼の芸術がめざす「静的な浄福」にも深くかかわるはずである。
鹿之助が後年語っているところによれば、あらゆる色彩のなかで、彼にとっていちばん自分の言いたいことがいえるもの、そんな風に基調として親しみやすく、なじみも多く、執着もあるものは褐色であるが、これに対し、いちばん好きなものはほかならぬ白であり、「白の非情なあの美しさを出したい」と思っていたという。
そうなると、「静的な浄福」を画面に実現することをめざす鹿之助が、あるときマティエールとしての白い油絵具を、造形や構図のために雪という対象と広く結びつくかたちで深く望んだとすれば、それは同時に彼が、胸のなかの悲しみや怒り、欲望や失望などを、そのまま秘めるかやがて消すかするために、きびしく抑制あるいは批判していたということだろう。
いいかえれば、「白の非情なあの美しさ」をかたどって降り積もった雪が、画面に浮かぶ具象でありながら一種抽象に近い観照の表情として、画家のそのときの人生に似合わしかったということであるにちがいない。
 -「マロニエの花が言った-下巻-」P506-554「日本人の画家さまざま」より

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-209

8月6日、暁の雨は強かつた、明けても降つたり晴れたりで、とても椹野川へ鮒釣りに行けさうもないので、思ひ切つてお暇乞する、ここでもまた樹明さんの厚意に涙ぐまされた、駅まで送つて貰つた。
何といろいろさまざまのお土産品を頂戴したことよ! 曰く茶卓、曰く短冊掛、曰く雨傘-しかも、それは其中庵の文字入だ-、曰く何、曰く何、そして無論、切符から煙草まで、途中の小遣までも。
汽車と自動車だから世話はない、朝立つて昼過ぎにはもう宿にまひもどつた、一浴して一杯やつて、ごろりと寝た。
やつぱり、川棚の湯は私を最もよく落ちつかせてくれる、昨日、学校の廊下で籐椅子の上の昼寝もよかつたが、今日の、自分の寝床でのごろ寝もよかつた。
朝湯と昼寝と晩酌とあれば人生百パアだ!

※表題句の外、1句を記す

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Photo/川棚の湯の神、青竜権現を祀る松尾神社

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Photo/北の旅-2000㎞から―洞爺湖、晴朗ならば左側に羊蹄山が望める筈だが‥-’11.07.24


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