2011年8月28日日曜日

秋風のふるさと近うなつた

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―四方のたより― 琵琶のゆかた会

今夏で3回目となる筑前琵琶奥村旭翠門下の「ゆかた会」が、今日の午後、藤井寺駅近くの料亭こもだで催された。
毎年2月の「びわの会」は欠かしたことはないが、このゆかた会に関しては前2回とも失礼してきた。三度目のなんとやら、今回はひょいとその気になって、出向いてみた。
会場は、普段は宴会場に供されるのだろう、ずいぶんと広い和室。プログラムは全12曲、末永旭濤ことJunkoは4番目の登場で、演目は明智光秀の最期を詠ずる「小栗栖」、山崎旭萃の代表曲にも数えられる作品だから自ずと稽古にも身が入っていたろう。
旭翠師についてすでに10年、発声は学生演劇から鍛えているから一応問題なしだが、歳も四十を越えたことだし、そろそろ節に艶が欲しい頃ではないか、というのが第一感。

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「ゆかた会」そのものについて一つ難を挙げれば、会場が座敷であること。12曲延べ3時間余を座敷で聴くのは些か堪える。いや聴くほうだけではない、演ずるほうも先番たちを聴きながら同じ座敷で出番を待つのはやはり堪えよう。実際、出番が後になるほど、年期の入ったベテランなのだが、それにもかかわらず少々集中力を欠いていたように見うけられた。
そんななかで、ひとり存分に演じていたのは新家旭桜のみである。彼女には自身の技倆的課題がつねに明確に見えているからだ。琵琶の奏法については余人の追随を許さず、すでに群を抜いた存在である彼女であってみれば、語りにおけるいわば心技体がいかにあるべきか、といった地点に向かっているからだ、と思われる。
宴会用の広い座敷は、本来当座の一同みな胸襟を開いて和やかに、さらにはくだけてよしとする空間だ。そんな場所で、長時間の集中を持続させるのは甚だ難しい、我知らずどうしてもダレが忍び寄るというものだ。
「ゆかた会」を今後も継続していくとすれば、会場については一考されたほうがよいだろう。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-231

8月28日、小郡町柳伊田、武波憲治氏宅裏。
朝から二人で出かける、ちようど日曜日だつた、この雑座敷を貸していただいた-ここの主人が樹明兄の友人なので、私が庵居するまで、当分むりやりにをいてもらふのだ-。
駅で手荷物、宿で行乞道具、運送店で荷物、酒屋で酒、米屋で米。
さつそく引越して来て、鱸のあらひで一杯やる、樹明兄も愉快さうだが、私はよつぽど愉快だ。夜、冬村君が梅干とらつきようを持つて来て下さる、らつきようはよろしい。
一時頃まで話す、別れてから、また一時間ばかり歩く、どうしても寝つかれないのだ。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―札幌自動車道、金山PAにて-’11.07.29


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