2011年8月3日水曜日

松もあんなに大きうなつて蝉しぐれ

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―表象の森― 光晴と貘

ひさしぶりに清岡卓行の「マロニエの花が言った-下巻-」を読み継いでいる。
上巻を読み終えたのはもう3年余り前、その折、次いで下巻に取りかかったものの、すぐ積読状態になって、そのまま年月ばかりが過ぎ去ってきたが、それでも鮮烈な印象はずっと脳裏に保持され続けていた。それほど私にとっては類い稀な良書なのだろう。

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下巻冒頭は、パリ国際大学都市で華々しい活躍を見せる日本人大富豪薩摩次郎八の登場に始まり、藤田嗣治・ユキ夫妻の栄光の帰国エピソード、ブルトンらのシュルレアリスム内の対立抗争劇へと分け入っていく。
これらを序章として、いよいよ登場するのが詩人金子光晴だが、以後この巻の大部はほぼ光晴の詳密な評伝と化していくかと見えるのだが、とにかくおもしろい、実作者が実作者について肉薄し掘り下げていく作業というものは、まさに表象世界の内奥に迫って実に説得力ある像を結ばせてくれるものだ、とつくづく感じ入る。
妻の三千代を伴った放浪ともいうべき二度目の長いヨーロッパ旅行から帰国した光晴は、ほどなく8歳下の山之口漠と初めて出会う。以後、貘の胃がん発症による’63-S38-年の死にいたるまでの30年を、光晴と貘は互いに恋情にもひとしい友情に生きたようである。
光晴は、貘の処女詩集「思弁の苑」の序文において、「日本のほんたうの詩は山之口のやうな人達からはじまる」と題し、「貘君がもし、自殺したら、僕は、猫でも、鳥でも、なおほしてんたう虫でも自殺できるものであるといふ新説を加へる」と書き、さらに「貘君によつて人は、生きることを訂正される。まづ、人間が動物であるといふ意味で人間でなければならないといふ意味で人間でなければならないといふ、すばらしく寛大な原理にまでかへりつく」と書いている。

<日暦詩句>-38
 「生活の柄」  山之口貘詩集「思弁の苑」より
歩き疲れては、
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋もれて寝たのである
ところ構はず寝たのである
寝たのであるが
ねむれたのでもあつたのか!
このごろはねむれない
陸を敷いてはねむれない
夜空の下ではねむれない
揺り起こされてはねむれない
この生活の柄が夏むきなのか!
寝たかとおもふと冷気にからかはれて
秋は、浮浪人のままではねむれない。


―山頭火の一句―
行乞記再び-昭和7年-206

8月3日、風、雨、しみじみ話す、のびのびと飲む、ゆうゆうと読む-6年ぶりにたづねきた伯母の家、妹の家だ!-。
風にそよぐ青竹を切つて線香入をこしらへた、無格好だけれど、好個の記念品たるを失はない。
省みて疚しくない生活、いひかへればウソのない生活、あたたかく生きたい。
東京からまた子供がやつてきた、総勢6人、いや賑やかなこと、東京の子は朗らかで嬉しい、姉―彼等の祖母―が生きてゐたら、どんなに喜ぶだらう!
風雨なので、そして引留められるので、墓参を明日に延ばして、さらに一夜の感興を加へた。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/大道の種田酒造場廃墟跡の傍にあった酒店-’01.09.06

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Photo/五稜郭に復元された箱館奉行所-’11.07.24


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