2011年8月10日水曜日

去る音の夜がふかい

Santouka081130090


―四方のたより― KAORUKO紙芝居板「北の旅」その2

H20110725
「二日目 七月二五日
 朝食の後、すぐに出発して、一時間くらい走ったら、支笏湖のそばにある苔の洞門に着きました。苔だらけの大きな岩がいっぱいでびっくりしました。案内のおじさんが三人の写真を撮ってくれました。
それから湖のそばを走って、峠の山道を越えて、札幌へ向かいました。時計台に着いたのはもう十二時ごろでした。平日なのに観光の人が次々と来ていました。私たちは時計台のそばのお店に入って昼食にしました。私はまたマグロとサーモンのお寿司を食べました。
それからまた車で移動です。二時間あまりかかって、やっと富良野に着きました。
ファーム富田に行って、広いお花畑の中を歩きました。紫、黄、赤、白、いろんな花がいっぱい咲いていました。
それから五郎の家にも行きました。富良野演劇工場にも寄ってみました。宿のノースカントリーに着いたのは六時半ごろでした。

H20110726
「三日目 七月二六日」
 富良野の宿を出たのは八時。今日のはじめの目的地は釧路湿原で、その距離は二七〇㎞もあります。高速の道東道を走りましたが、十勝平野は見わたすかぎり緑の畑と牧草地で、建物が一つも見えませんでした。
 やっと釧路湿原駅に着いたのは、もう十二時をすぎていました。車を降りて森の小道を歩くと、アブやヤブカの虫が次から次とおそってきて、はらいのけるのに大変でした。
今度は湿原の道路を走って、丘の上の展望台の方へ行きました。湿原というのは、草原が広がっている湿ったところだそうです。釧路湿原は、ものすごく広くて、展望台から見てもずっと草原がつづいていました。その後下のレストランでやっとお昼を食べました。
 それからまた車で走って阿寒湖に行きました。阿寒湖では、白鳥の足こぎボートに乗りました。お母さんと一緒でしたが、三十分こぎつづけるのは、とてもしんどかったです。でもすごく楽しかった!
 そしてまたどんどん車を走らせて、奥屈斜路温泉の森つべつの宿に着いたのは六時ごろでした。ランプの宿という名がついていて、そのロビーは、いろんな電灯で、とてもやさしいふんいきでした。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-213

8月10日、晴れて、さらさら風がふく、夏から秋へ、それは敏感なルンペンの最も早く最も強く感じるところだ。
昨日今日、明日も徴兵検査で、近接の村落から壮丁が多数やつて来てゐる、朝湯などは満員で、とてもはいれなかつた。
妙青寺の山門には「小倉連隊徴兵署」といふ大きな木札がかけてある、そこは老松の涼しいところ、不許葷酒入山門といふ石標の立つところ、石段を昇降する若人に対して、感謝と尊敬とを捧げる。-略-
Sからの手紙は私を不快にした、それが不純なものでないことは、少なくとも彼女の心に悪意のない事はよく解つてゐるけれど、読んで愉快ではなかつた、男の心は女には、殊に彼女のやうな女には酌み取れないらしい、是非もないといへばそれまでだけれど、何となく寂しく悲しくなる。
それやこれやで、野を歩きまはつた、歩きまはつてゐるうちに気持が軽くなつた、桔梗一株を見つけて折つて戻つた、花こそいい迷惑だつた!
夕の散歩をする、狭い街はどこも青年の群だ、老人の侵入を許さなかつた。
真夜中、妙な男に敲き起された、バクチにまけたとか何とかいって泊めてくれといふ、無論、宿では泊めなかった、その時の一句が前記の最後の句-表題句-である。

※表題句の外、3句を記す。

08101
Photo/北の旅-2000㎞から―中富良野町の富田フアーム-’11.07.25


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