2011年8月7日日曜日

秋めいた雲の、ちぎれ雲の

Santouka081130089

―表象の森― 一抹の違和

「マロニエの花が言った-下巻-」やっと読了。
その終りはやや唐突気味に幕を下ろした感があるが、それにしても愉しくも長い旅路だったように思う。
この詩と散文と批評の壮大な織物が書き起こされたのは1989年、月刊誌「新潮」の1月号からだった。その後、95年7月から数年の中断を挟みつつも、98年5月号に一挙に480枚を上梓し完結編とされた、という。

読後、ふっと心に湧いた小さな疑念がある。それは下巻全体のかなりを占める金子光晴に関する部分においては、藤田嗣治や岡鹿之助、あるいはブルトンらのシュルレアリストたちに触れた他の部分に比して、なんとなく滞留感というか一抹の重さのようなものがつきまとう、そんな気がする。その因は光晴という素材の資質によるものか、あるいはパリにおける嗣治と光晴の、実際の接点があったのには違いなかろうが、他の登場人物たちに比して、その関わりの稀薄さといったものにあるのかもしれない。さらにいえば光晴と三千代のパリ滞在の暮らしぶりやパリ在住の日本人やパリ人たちとの交流ぶりに、資料不足だったのか、嗣治や鹿之助ほどの詳細な活写が乏しいように覗われ、些か精彩を欠いたかのように思われる。

先に挙げた、95年7月の連載中断を挟んで、98年5月に480枚を一挙に掲載して完としたという事情も、このあたりの問題が加味していたのではないか。480枚に相当する部分が終盤の4章「二人の詩人の奇妙な出会い」「『パリの屋根の下』をめぐって」「日本人の画家さまざま」「あとどれほどの夏」にあたるとすれば、そんな小さな瑕疵も止むを得なかったのかと、なんだか腑に落ちてくる気もする。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-210

8月7日、まだ雨模様である、我儘な人間はぼつぼつ不平をこぼしはじめた。
此宿の老主人が一句を示す。―
  蠅たゝきに蠅がとまる
山頭火、先輩ぶつて曰く。―
  蠅たゝき、蠅がきてとまる
しかし、作者の人生觀といつたやうなものが意識的に現はれてゐて、危険な句ですね、類句もあるやうですね、しかし、作者としては面白い句ですね、云々。
動く、秋意動く-ルンペンは季節のうつりかはりに敏感である、春を冬を最も早く最も強く知るのは彼等だ-。
山に野に、萩、桔梗、撫子、もう女郎花、刈萱、名もない草の花。
焼酎一杯あほつたせいか、下痢で弱つた、自業自得だ。

※表題句の外、2句を記す


08071
Photo/北の旅-2000㎞から―一日目の宿、壮瞥温泉のペンションおおの-’11.07.24

人気ブログランキングへ

0 件のコメント:

コメントを投稿